3-29 ミカルドに呼び出されよう!


 屋上から見上げる空にはもうほとんど円と言って差し支えないほどの蒼白い月――もとい〝地球〟が浮かんでいた。

 いよいよその大きな星が〝完全なる球体〟に満ちるまであと1日。

 

 つまりは明日。

 王子たちはここから見える森の外れにあるエデンの樹の洞から、もとの地球セカイに帰ってしまう。


 はずだった。

 たったひとり、駄々をこねていた王子を除いて。


「駄々をこねているのはお前の方だろう、カグヤ」


 まさにその噂の王子が言った。

 胸元にまで届きそうな長い銀髪が夜の黒を背景にきらきらと光り輝いている。


 ミカルドだ。

 彼は手紙という〝彼らしくない〟方法で今宵、あたしをエヴァの屋上に呼び出していた。


「駄々をこねているのがあたし? はあ? 何言ってるのよ」


 はっ、いけないいけない。

 思わずいつもの遠慮のない感じで文句をつけてしまった。

 

 こうみえても目の前のミカルドは世界一の帝国の嫡子で、記憶世界――つまり〝あたしの過去〟では、輝夜あたしのことを自らの城に匿って最後まで【魔女狩り】を強行する敵軍と戦い抜いてくれたのだった。

 そのことであたしはとてもミカルドに感謝をしていた。ちょっぴり……ううん、。見直したりもした。


 ……だけど。

 

「どうもこうもない。我が〝ここに残る〟と言ってやっているのに、カグヤがそれは駄目だと文句をつけてきているのだろう」


 どこか鼻につく〝上から目線〟な調子は、記憶世界の時よりも大きくなっているような気がするのだ。

 感謝はしてるけど、そう言われると、ねえ……あたしの中の反骨精神がむずむずと蠢いて、ついあたしも皮肉に返してしまうのだった。


「ミカルドがここに残る――へえ。その話、生きてたんだ?」


「ふん。いつ死んだと思った?」


「だって! ……あたしは〝過去の記憶〟を覗いてきたのよ」


 あたしは空を見上げて、少し迷ったけれど言ってやることにした。


「そこで〝なにがあったか〟をあたしは知っているの。知ってしまったの! それでも……ミカルドは、ここに残るっていうの……?」


 記憶世界の中では。

 あたしは【魔女】で、しくも予言の通りに、そうしてまた【あたしのいない地球セカイ】を創った。

 

 あたしはたったひとりで。

 地球を見上げる〝月の上〟に取り残されて――その月と地球を結んでいた魔法が明日には解けてしまう。


 つまりは――


「明日を逃したら、永遠に地球あそこに戻ることはできないのよ?」


 すこし遠くの世界、とか。

 そんな次元じゃない。


 月と地球では文字通り、星と星ほどの距離があるのだ。

 

「………………」


 ミカルドは、答えない。

 天のまんなかに浮かぶ青く白い星を眺めながら彼は沈黙をしている。


「……そ、そうよ! そもそもミカルドこそ、知っていたんでしょう!?」


 他の王子たちは〝あたしとはこの場所エヴァでの出会いがハジメテ〟だと言っていたけれど。

 ミカルドに関しては以前に記憶世界に行ったあとに。

 中庭で〝馬車から降りてきた輝夜あたしとの出会い〟について問いただしたところ、


『今は答えることはできん』


 と目を伏せて意味深なことを言ったのだった。

(当時はそのことで少し怒鳴り合いになっちゃって、そしてそのあと――強く抱擁されてしまったのだけど)


 でも、だったら。


「ぜんぶをあたしが知ってしまった今だからこそ、答えてくれてもいいんじゃない……?」


 あたしは空を見上げたまま固まっているミカルドの横顔に言ってやった。

 彼は夜空のまんなかにある地球をじいと眺めながら、鼻から息を抜いて、


「ふん、そうだな――今となっては昔のことだが」


 とつとつと。

 まさしく絵本の出だしのように語り始めた。


「カグヤには正直に伝えよう。我には――はじめからがあった。カグヤが創りなおした世界でふたたび目覚めた時からな」


「……え?」


「違和感は最初からそこらに溢れていた。魔女狩りをうたったあれだけの〝大戦争〟をしておきながら、気づけば我は傷ひとつついていない帝宮の自らの部屋で、ふだんどおりのベッドの上で、ふだんどおりの朝を迎えたのだ。すぐに周囲の執事や使用人を問いただしたが……返ってくるのは的を射ない返事ばかりだ。そして我は話の中で気が付いた。と」


 その結論に至る詳細を聞くに、どうやらミカルドたちの住む世界は〝輝夜あたしが満月に導かれ霧のトンネルを通って異世界に迷い込んだあの日〟にまで時が戻っていたようだった。


「最初は当然驚きはしたが、我にとってはそんなことはどうでもよかった。なぜなら―その世界からは、カグヤの存在が消えていたのだ」


 ミカルドはあたしの方を振り向いた。

 吊り上がった瞳には青い炎のようなものが浮かんでいる。

 見抜かれたあたしの心臓が思わずどきりと高鳴った。


「我が帝国が誇る密偵を遣わせ、もともとカグヤの出身である【サリーヌ領】だけではない。文字通り世界中をくまなく探した。しかし……カグヤの姿どころか、ひとつの情報も。ひとかけらの手がかりすらも見つからなかったのだ。


 ミカルドは唇を噛み締めるように言う。

 あたしは世界に存在していない――それもそうだ。輝夜あたしはその時〝月〟にいたのだ。

 星が違えばいくら地球セカイ中を探そうが見つかるわけがない。

 

「その時の我の気持ちが分かるか! 空に浮かぶ月にも劣らない〝黒髪の美女〟の話をするたびにまわりからは呆れられ、精神状態すらも疑われた。『夢でも見たのでしょう』と嘲笑われた。しかし、夢などではない!」


 夢などではないのだ! とミカルドは語気を強めて繰り返した。

 

「我を見つけて安堵の息をつき、手を振ってくれる白い指先が。甲に接吻をすれば恥ずかしそうに頬を染める表情が。手作りの料理を褒めると嬉しそうにはにかむその口元が。我の記憶に焼き付けられたそのひとつひとつの仕草が――偽物なわけがないだろう! 夢なわけがないだろう! 今でもありありと思い出されるカグヤのぬくもりが――夢などであってたまるか」


「……ミカルド」


 あらためてあたしは思い出す。

 ミカルドは。目の前の銀髪の、キザで上から目線の皇子様は――


 あたしのことを、のだ。


 記憶の世界の中だけじゃない。

 あたしが生きるこの〝月の上の世界〟でも。


 ミカルドははっきりと、言葉にして――告白をしてくれていたのだ。


 輝夜について熱弁をふるうミカルドを見ていると、その事実がありありと思い起こされて。

 あたしの身体を巡る液体がどんどん熱くなっていくのが分かった。

 

「そして我は周囲に頼ることを諦め、カグヤを探すべく放浪の旅に出た。この世界のどこかに必ずカグヤがいる――そう信じてな」


 ミカルドの熱意をもった言葉は止まらない。

 まわりにとっては〝いるはずのない黒髪の少女〟を探すために国を出た、ということになる。

 確かに帝国の人たちから嘲笑されても無理はないないかもしれない。

 

「あたしなんかのためにそこまでするだなんて……ばっかじゃないの」


 と口では言ってやったけど。

 あたしの頬は真っ赤に染まっている。ミカルドにそこまでだなんて。

 緩みかけた口元を引き締め直していたら、彼は続けた。


「馬鹿でもいい。世界中からいくらけなされ罵倒されようともかまわない。すべて些末さまつなことだ。その旅先で――姿を見つけた時の感動に比べれば、な」


「っ!」


「カグヤ! 我はふたたびお前を見つけた。また逢うことができて――本当によかった」


 夜の光に照らされたミカルドの言葉は。

 やっぱりどうしたって気障に映って。


 あたしの心臓を、いっそう高鳴らせるのだった。



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