3-19 お姫様を励まそう!(カグヤの記憶⑧)


『『――カグヤ!』』


 輝夜の部屋に踏み入れて、彼女のことを見た瞬間に。

 

『『っ……!?』』


 王子のだれもが言葉を失った。


 部屋は随分と暗かった。

 窓は木の生板で無造作に打ち付けられ、光はその隙間から微かに漏れているだけだった。

 壁には油の切れかけたランプが並び弱々しい灯りだけが周囲に散っていた。


『……みんな』

  

 そんな仄暗い空間のベッドの上で。

 揺れる蝋燭の灯りに照らされていたのは、今までの知っている輝夜ではなかった。

 陰影のせいもあろうが肌は蒼白く頬は窪み、身体はやせ細って表情には覇気がなかった。


『ミカルド――みんなを連れてきてくれたのね』


 唯一。

 ミカルドの姿を見たときだけ、その口元が綻んだように見えたが――或いはそれも揺らめく光の都合であったのかもしれない。

 

『ごめんなさい、


 どう声をかければいいか分からずにいる王子たちに向かって、輝夜は続ける。


『音がね、聞こえるの。戦場の音よ。目をつむっても、こうして外を見なくても……この耳に届いてしまうの。月の光が、どんな僅かな隙間でも縫って差し込んでくるみたいに。世界の音からは逃げられないの』


 輝夜は片手の平を頭の横につけながら言う。


『それはあたしの、【月神の加護】をもらったあたしの特性みたいなものかもしれないけどね。そんな音が聞こえるたびに、あたしの中で、黒黒としたのようなものが溜まっていくのが分かるの。このままじゃいけない。分かっているんだけど、あたしにはどうすることもできなくて。いくら強固に蛇口を閉めても垂れてくる黒い水が、コップの中に段々溜まっていくみたいに……いつかはそれが、溢れ出しちゃいそうで怖いの。そうなったら、あたし――どうなっちゃうのか分からなくて。自分でも、怖いの』


 その言葉の節々は震えていた。

 きっといつもの彼らなら、『気にするな』なんて温かい言葉をかけて、駆け寄ってその身を抱きしめたり。

 王子様らしく気の利いた仕草のひとつでもふたつでも、望む限りをしてくれたのかもしれないけれど。


 目の時の輝夜は、どこまでも悲壮で、どこまでも切実で。

 そんな針の先のような雰囲気にあてられて、だれも動くことすら。言葉を発することすら。できずにいた。

 

『ごめんね。あたしのせいで』輝夜がふたたび自責する。『……あたしひとりが、いなくなっちゃえば、……』


『『カグヤ!!!!!』』


 その言葉に、たまらず王子たちが叫んだ。

 明確な〝怒り〟の感情を込めた語気だった。


『………………』

 

 それでも輝夜の表情はぴくりとも動かなかった。

 目線は薄暗闇の虚空を見つめている。

 口元は微動だにしない。きちんと息をしているのだろうか。それすらも分からなくなってくる。

 まるで人形のように心が抜けてしまっているかのようだった。

 

 重苦しい沈黙の中で――ふと、微かな旋律が聞こえた。


『――ピアノ?』


 輝夜がようやく顔を傾けた。


『アルヴェ、かしら』


 それは塔の1階に残っていたアルヴェが奏でたピアノの音だった。

 可愛らしい衣服に身を包んだ〝彼女みたいな彼〟が演奏をしている、どこか倒錯して、どこまでも透明感のある旋律だ。

 弾いているのは何の曲なのかは分からない。

 それでも、その繊細で淡く、それでいてすべてを包み込んでくれそうな柔らかい演奏は、他ならぬ輝夜に向けてのものだということが自然と彼女にも理解できたようだった。


『……きれいな、音』

 

 部屋の中に吹き込んでいたすきま風が止んだ。

 揺らめいていた蝋燭の灯りも落ち着いたようだ。

 ベッドのシーツ上に落ちた輝夜の影が、安定を取り戻す。


 だけれど。

 こうしている間にも、世界は血眼になりながら【魔女】である輝夜を探し、捕えようとしている。

 そのためにおびただしい血が流れている。それが教科書の中の歴史ではなく、現在の中の事実として世界に存在している。


『…………っ』

 

 輝夜が顔を伏せて、と泣き始めた。


 ――カグヤはもう、限界だ。


 クラノスが叫んでいた言葉が、今ありありと皆の脳裏によみがえっていた。

 王子たちは目線を床に落とし唇を噛み締めている。

 

 どう行動すればいいのかが分からない。

 どんな発言をすれば輝夜の哀しみがおさまるのか見当がつかない。

 どう祈れば正しいのかが分からない。


『………………』

   

 様々な不吉な予兆を孕んだ空気の中で。

 輝夜の嗚咽と、優しいピアノの音色だけが、歪な調和音ハーモニーのようにしばらくの間響き渡った。

 

 

      ☆ ☆ ☆



 【魔女狩り】の戦火は佳境を迎えようとしていた。

 

 世界中の国家が【連合軍】を組成し、その矛先を輝夜を匿う帝国に向けていた。

 魔女狩りに反対しミカルドの援護をしていた各国の翼賛軍よくさんぐんたちも、じりじりと続く戦で随分と戦力が摩耗された。

 それでも、要地である輝夜を擁する帝都内【ミカルド宮】に踏み込めずにいたのは、やはりそこに集結する戦力の屈強さからでもあった。


 帝国嫡子であり数多の軍を指揮する竜騎士ミカルド、魔王の力を引き継ぐマロン、水上王国が誇る世界一の魔法使いクラノス。

 3人を筆頭にして他の王子たちも、この世界では各国を代表するような、一目置かれる実力と兵団の持ち主たちだった。

 

 それら精鋭部隊に加えて、Sランクのスキルを数多操る【月神の加護】を持つ底知れない強さを秘めた輝夜自身――


 そんな〝チートクラス〟の人材たちが守る【ミカルド宮】はまさしく鉄壁には違いなかったが……。


 いよいよ、戦況は傾き始めた。

 キッカケは輝夜を魔女と決めつけた正教会お抱えの予言士が、


『いよいよ来る新月、【月狂いの魔女】は世界を滅ぼすであろう』

『同時に新月により魔女は力を内に溜め込み力は弱まる』

『次の新月こそ、千載一遇の機である!』


 などと、また都合の良い神託を授かったことに起因する。

 明確な期限と機会を伝えられた結果として、世論はさらに【魔女狩り】の決行に傾いた。


 

 来る次の新月の夜。

 世界は持てる限りの最大戦力を、輝夜擁する【ミカルド宮】に投入することが決まった。


 

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