3-4 告白されよう!


「愛してるよ、カグヤ。だ――」


 三日月が浮かぶ夜。エヴァの屋上で。


 クラノスはそんな二文字を。

 憧れだったはずの二文字を――繰り返す。

 あたしは。


 ……あたしは。


「……っ!」


 たまらずクラノスから距離を取った。

 今度はさらりとした穏やかな風があたしたちの間を吹き抜ける。

 あたしは続けて、

 

「……ごめん」と謝った。


 クラノスの黄金色の髪の毛は、輝くように優雅に揺れている。

 あたしの黒くて長い髪は、戸惑うようにざらざらと揺れている。


「なんて言ったらいいのか、わかんない」


 うまく言葉を紡ぐことができなかった。

 さっきまでは〝とっちめてやろう〟だなんて意気込んでいたのに。

 拳を振り上げて空に向かって叫んでいたのに。


 今はその手で。

 風になびく髪の毛を耳元で抑えながら、動揺を隠すことくらいしかできないでいる。


「なにも言わなくてもいいよ」


 クラノスはふだんとは徹底的に異なる微笑みを浮かべて言った。


「首を縦に振るか、横に振るか――ただそれだけ。簡単でしょ?」


 簡単だ、なんて。

 とてもじゃないけれど。そんなわけがなくて。


「しばらく、時間をちょうだい」


 あたしはつとめて平静を装いながらそう言ってみたけれど。


「嫌だね。しばらくなんて待ってやんない」


 クラノスには強い意志がこもった声で否定されてしまう。


「明日の夜――またここで。その時にを聞かせてよ」


 風の音がなんだかとても近くに感じる。

 轟々と唸るようなその中に、規則正しく響く音があった。

 それは例えば――あたしの心臓の音。呼吸の音。

 塔の大時計が針を刻む音。それらをかき乱す熱い血液の沸騰。


「――カグヤ、聞こえてる?」


 頭の中がうまくまとまらない。

 論理的に物事を考えることは今のあたしにはきっとできない。

 そんなあたしの心中を――きっとどこまでもしながら。


 目の前の腹黒王子は。

 

「返事――楽しみにしてるから」


 いつもみたいな作った笑顔を浮かべてそう言って。


 屋上を、あとにした。


 ばたん。

 扉が閉まった音であたしの意識は急激に現実へと引き戻された。 


「……夢じゃ、ないわよね」


 はあああああ、と溜め込んでいた息をゆっくりと吐いて。

 不規則な呼吸のまま近くの壁にもたれかかるように背中を預けた。

 見上げた視線の先にはつるぎのような三日月。

 黒い夜空のキャンバスには、それ以外の星は見えなかった。


「……夢だったらよかったのに」


 現実との境目が分からない、どこまでもリアルな夢。

 実際の世界には影響を及ぼさない、だれかの空想。


 ああ、そうだ。

 白昼夢。真夏の夜の夢。


 あの時クラノスとふたりでそんな話をしたのも。

 こんな夜だったっけ、どうだっけ。


 両手で顔を覆う。触れる肌はひどく熱い。

 夜の空には時計の針の音が変わらず規則的に響いている。

  

 ――そうだ。時は進み始めてしまったんだ。


 過ぎ去った時間を元に戻すことなんて、神様にだってできなくて。

 ほんの数時間前には確かにそこにあった、残念な王子たちとのの他愛もない触れ合いや。

 森の自然の中で楽しそうに戯れる動物たちの光景が、遥か昔のように感じられた。


 ――別に今すぐにどうこうってわけじゃないけど。


 マロンに言ったそんな言葉があたしの心にずっしりとのしかかってくる。


 胸には手を当てない。きっと心臓がしてるのが分かるから。

 分かっちゃったらやっぱり――悔しいから。


「急すぎるのよ、色々と」


 空を見上げてあたしは呟く。


「ねえ、どうすればいいの――お月様」


 だれかが微笑む口元のようにも見える、空の中央にぼんやりと浮かんだ三日月は。


 どこまでも、どこまでも。


 

 蒼白い光をあたしのもとに届けてくれるだけだった


 

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