第14話

 一夜明けて今日は四月二十五日の土曜日。


 僕は朝から部屋の掃除を始め、昼前に洗濯まで済ませた。


 やっぱり家は落ち着く。

 いつもうるさい隣人さんは朝からバイトに行ってるらしいし。


 それにしてもおじさんとご飯食べるだけのバイトってなんだろう?

 なんだか犯罪臭がするんだが——まあいいか。


 これで今日はゆっくりと過ごせるぞ——なんて考えが甘かったのか、




 ピンポーン……ピンポンピンポンピンポン!




 と、トチ狂ったようにインターホンが鳴り響いた。


「誰だよ昼間っから——でぇえええーーー!」


 モニターを見て僕は腰を抜かしそうになった。

 なんせインターホンを鳴らしていたのはまさかの安藤さんだったからだ……。


 ——十分後。


 僕はフローリングの床に正座していた。

 ベッドで足を組み、僕を凍てつくような視線で見下ろす安藤さん。


 そして、なぜかたいへんご立腹のご様子だ……。


「でぇー? あーしが頼んだ件はどうなってんのぉー?」


 昨日の今日でなにをしろとっ? 短気すぎるっしょこの人!


「あ、いや……それはですねぇ……」


 僕は頭をフル回転させて言い訳を考える。

 が、ここで下手なことを口走れば命がないだろう……。


「昨日の夜、哲太と電話しました!」


 ……嘘ではないけどごめんなさい。

 依頼の件はまったくできておりませんですはい……。


「そ、そうか。で、どうだった?」


「どうして昨日の放課後僕が安藤さんと一緒にいたのか気になっている様子でした」


「なにぃー!」


「ヒィッー!」


 え? なになにっ? 僕ってばなんか安藤さんの地雷踏んじゃった?


「ヤバッ——もしかして、誤解されちゃった?」


「誤解? ま、まあ、僕と一緒にいたことは気にしてた様子ですが……」


「それって嫉妬だよね?」


「……はい?」


「だから嫉妬だよ嫉妬! ああ、まさかあんたと一緒にいて変に誤解されちゃった? ヤダ、哲太くんたらそんなんじゃないってー! わたしが好きなのは哲太くんだけで、こんなチビガリマザコン野郎のことなんか相手にしてないって!」


 誰がチビガリマザコン野郎だ! そして告白もしてないのにどうして僕のことをフったっ?


「ということは哲太くん、あーしらの関係を誤解して嫉妬してるってことだよな?」


 いやいや激しく違うだろ……。


「あははは……。まあ、その誤解はちゃんと解けてますから大丈夫です」


「そ、そっか、ならよかったー……。さすがは恋愛マスター! わたしが見込んだ男だね!」


「ははは……。というか安藤さんはどうしてここに? なんでうちがわかったんですか?」


「あん? 知ってちゃ悪いのか?」


「ヒッ! すみません!」


「あんたの後をつけたのさ。逃げられないようにな?」


 安藤さんはニヤリと笑う。


 恋する乙女はここまでするものだろうか?

 まるで容赦がなくて怖すぎる……。


 むしろ僕じゃなくて哲太の家を特定しろよ——いや、安藤さんのことだからもう特定済みかもしれないな……。


「それにしてもあんた、一人暮らしだったのか?」


「ええまあ……」


「男の一人暮らしの割に綺麗じゃね?」


「あ、ありがとうございます……」


「とか言いつつ、ベッドの下にエロ本隠してんだろー?」


 そう言いながら楽しそうに僕のベッドの下を覗く安藤さん。


 しかし残念。そんなわかりやすいところに隠してるわけないだろう?


 なんせ酒乱痴女のお隣さんが突撃訪問してくるんだからな、こっちは……。


「ん……?」


「どうしました?」


「なんだこれ……?」


 そう言って安藤さんが広げたのは女性もののパンツ。


 ……ん?

 ……パンツ?


 も、もしかして……——


「しかも黒のスケスケレース……」


「オーウ、ジーザス……」


「なんでこんなものがここにあるのか聞こうじゃないか?」


 あんの酒乱痴女ぉおおおーーー!

 なんつー地雷落として行きやがったんだぁあああーーー!


 いやいやいや取り乱すな僕っ!

 ここはいったん深呼吸して冷静になるんだっ!


 すぅー…はぁー…すぅー…はぁー…。

 よし!


「違います。僕のではありません」


「だったら誰の?」


「おそらくはお隣さんのものかと……」


「ほほう……。つまりお前はアレか? こんな黒のスケスケなパンツを履いているお隣さんとはパンツを脱がせるほどの関係ってことか?」


「いや逆です。お隣さんは自分から脱ぐタイプのやつです。向こうが押しかけてきてほとほと困ってるんですよ、こっちは……」


「さすがは学園最強の恋愛マスター様だな? 相手にする女は猿みたいに見境がないビッチで、そんなのもヘーキで受け入れるってわけだ?」


「違います。誤解です。僕は一切相手にしていません」


「ここにパンツがあるのがなによりの証拠だろ?」


「状況証拠なだけです。真実は——とにかく僕は潔白で童貞です」


「ふーん……」


「………………」


「………………」


「とりあえずグループLIMEにあげとくか?」


「それだけはご勘弁をぉおおおーーー!」


 僕は安藤さんに掴みかかり、マウントを取った。


 まさかこの僕がヤンキーに立ち向かうなんて誰も想像してなかっただろう?


 僕は必死に安藤さんからパンツを奪おうと試みる。

 もちろん安藤さんのではないっ!


「か、返してください! 僕のじゃないですけど!」


「ははは! やーだね! 誰がこんなオイシイネタを手放すかっ!」


 手を伸ばせばあと少しで届きそうなのに、安藤さんが邪魔をしてパンツが手に入らない。


「いいんですかっ? 哲太との関係を取り持てるのは地球上でただ一人僕だけなんですよっ?」


「てめぇ、今それを持ち出すとは卑怯だぞ!」


「僕だって人生がかかってるんだー!」


「あっ——コラ! おい! 変なとこ触んなっ!」


 と、そのとき——




「——オーッス、作太郎! 部活オフだったから遊びに…きて…やっ…た……——」




 たぶんそのとき、その場にいた全員の時間が一瞬止まった。


 パンツを奪おうと安藤さんに覆いかぶさる僕。

 パンツを握りしめたままの安藤さん。

 そして、タイミング悪くその場を目撃してしまった哲太。


 ……なんだね、この状況は?

 そして時は動きだす。


「す、すまんすまん! お取込み中だったみたいだな? 俺はこれでー」


「ち、違うの哲太くん! これはっ!」


「そうだぞ哲太! 僕はただ安藤さんからパンツを奪おうとしただけでっ!」


「ちょ、おい! 言い方っ!」


 哲太はなにかを察したらしい。おそらく事実とは逆方向のことだろうが……。


「あははは……。よかったな親友。とりあえず俺から言えることは——色々、頑張れよ!」


 哲太は扉を強く閉めた。


「違うのー! お願い待ってぇーーー!」


 涙目になりながら扉に向かって手をかざす安藤さん。


「せめて俺たちの話を聞いてくれぇーーー!」


 叫んだとて無駄だとはわかりつつも叫ばずにはいられなかった僕。


 ははは……。

 修羅場って、案外簡単に遭遇しちゃうもんなんだね?


 だれでもいいから僕の平穏無事な休日を返してくれぇーーー……。


 ややもあって、安藤さんは肩を落とし、すんすんと鼻をすすりながら帰っていった。


 もはや僕を殴る気力もなかったらしい。

 安藤さんの小さくなった背中を見た僕は、なんだかいたたまれない気持ちになりながらも、怒りの矛先を隣人の方へと向ける。


 帰ってきたらお仕置きだな、あの酒乱痴女め……。




  * * *




「たっだいまー——ヘブンっ!」


 夕方過ぎ、僕は能天気に我が家に帰ってきた(?)吉川さんに脳天チョップをかましてやった。


「いったぁ……。なに? はじめてのDV?」


「家族になってから言えっ! あんたなぁ、こっちはあんたのせいで散々だったんですよっ?」


「えぇーっと、なにが?」


「しらばっくれやがって! ——これですよっ!」


 僕は件のパンツを吉川さんに差し出した。


「なにこのパンツ超セクスィー! ……今晩のオカズ?」


「違うわアホタレ! これあんたのだろっ? これのせいで誤解が誤解を生んで収拾つかなくなってしまったんだこっちはっ!」


 すると吉川さんはなにかピーンときた感じの表情を見せた。


「ほうほう。——ま、なにがあったかをじっくり説明してもらおうじゃあないか?」

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