第180話 SS:スピードしょうぶ!
結衣は耳を疑った。
「ゆい、もう一度だけ言っていただけますか?」
「りょーくんといっしょにくらしましょう!」
いつものように帰宅。
いつものように手伝ってくれるゆいと料理。
いつものように「いただきます」をして……
その直後、ゆいは先の言葉を口にした。
「ゆい、突然どうしたのですか?」
そうしましょう!
即答しかけた自分を戒めながら、結衣は親としての建前を口にする。
「ママ、りょーくんといっしょは、いやなの?」
ゆいは攻める。
「こいびとなのに? どうして?」
ぐいぐい攻める。
トマト嫌だ、もう嫌だ、その一心で攻める。
そして結衣には、ゆいがトマトを嫌がる時の色をしているのが分かる。なぜ同棲を勧めながらトマトを嫌がるのか、結衣にはさっぱり理解できない。だけど、ひとまず忘れて返事をすることにした。
「……その、まだ少し早いかなと」
「あまい!」
ビシィっと言葉を突き付けるゆい。
「スピードしょうぶ!」
見たことのない迫力に結衣は気圧される。
……同棲、してみたい!
という思いが高まっていく。
それを表情の変化から察したゆいは、瑠海から指導された必殺技を発動した!
「あたし、みさきともっと遊びたい」
子供の為に、という大義名分を与えることで背中を押す。これこそ瑠海がゆいに託した必殺技である。
「……龍誠くんと、少し話をしてみますね」
効果は抜群だ!
ゆいは机の下でグッと手を握り締めた。
*
翌朝、結衣は龍誠に電話した。
時刻は早朝、六時頃。日によっては龍誠がまだ寝ている時間。
もしも電話に出たら、勇気を持って誘う。
電話に出なかったら……朝食にトマトを出す!
「えいっ!」
声を出しながらボタンを押した。
直ぐに呼び出し音が鳴って……
一回目、出ない。
二回目、
三回目……
四回目……
『どうした?』
「一緒に住みませんか!?」
龍誠が電話に出ると、結衣の口から反射的に声が出た。
『なんだって?』
当然の反応を受けて、結衣は急激に顔が熱くなる。
……愚か者! 唐突過ぎるでしょう!
しかし、言ってしまった以上は後戻り出来ない。
「もう一度言います。私と一緒に住みましょう」
『……突然だな』
「なんですか、嫌なんですか?」
『そうは言ってない』
嫌ではない! やった!
「では、何も問題ありませんね」
『……そう、だな。とりあえず、どっちに住む予定なんだ?』
どっち……ああ、私と龍誠くんの、どちらの部屋で同棲するのかという意味ですね。
「龍誠くんの部屋は、家賃が十万円程度の賃貸でしたか?」
『そうだな』
「なるほど。因みに私の部屋は賃貸ではありません。お値段は八桁、もちろん支払い済みです。どちらに住みますか?」
『結衣の部屋にしようか』
「バカ! ここは黙って俺のところに来いと言う場面でしょう!」
『…………』
「あ、今のは分かりますよ。ちょっとめんどくさいって思いましたね」
すぅぅっと、息を吸う音が聞こえて。
『黙って俺のところに来い』
「嫌です」
ふっ、私の勝ちですね。
『分かるぞ。私の勝ちとか思ってんだろ』
「…………」
うふふ、心を読まれてしまいました。
『今度はどうして照れた?』
「なっ!? て、照れてません!!」
嬉しい、私のことを分かってきています!
『で、結局どうするんだ?』
「今から会いましょう!」
『落ち着け、平日だぞ』
「まだ時間はあります」
『電話にしよう。流石にきつい』
「やだ、会いたくなりましたもん」
『……子供かっ、もう切るぞ』
「せめて後五分、いえ三十分ほど電話しましょう!」
こうして、二人の同棲が決まった。
ところで結衣は自室で電話をしていて、ドアには小さな小さな耳が付いていた。
「ふっふっふ、さよならトマトさん」
ゆいと結衣の起床時間は、ほぼ一致している。
たまたま目が覚めてトイレへ向かう途中だったゆいは、部屋から漏れ聞こえた声に勝利を確信した。
そして一時間後……
ゆいは、再び赤い悪魔と対面することになるのだった。
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