第144話 SS:眠れない夜 ー檀ー


 深夜、檀は漫画を描いていた。

 もちろん連載に向けた物で、まだまだ締め切りまで余裕があるものの、修正とかいろんなことを考えると一日でも早く描き上げたいのだが……。


 ……集中できない。


 邪念というか雑念というか、煩悩……は少し違う。

 何って、もちろん龍誠のことだ。


 連日彼の引っ越しを祝う人が部屋に訪れた。

 それは良い。問題は、そのことごとくが女性で、しかも何だか敵意を感じられたことだ。


 ……やっぱり天童さん、モテるんですかね。


 そのことに違和感は無い。それくらい彼の良い所を知っているし、それを知っているのは自分だけなんて思うこともない。だけどもちろん、良い気分ではない。


 溜息ひとつ。

 檀は手を止めて、机に突っ伏した。


 檀は引っ越しと同時にデジタルで漫画を描く機材を揃えた。もちろんアナログな方法で下書きのような事をすることもあるけれど、基本的にはデジタル、パソコンを使って漫画を描いている。


 暗い部屋で長時間パソコン画面を見ていた目はしょぼしょぼしていて、目薬をさしたらヒンヤリとして気持ちよかった。そのまま暫く目を閉じていると、パソコンのファンがファンファンする音だけがウィーンと耳に入ってくる。


 普段ならこの音を聞きながらでも眠れるけれど、今日は何となくパソコンの電源を落とした。


 光が消えて、次に音が消える。

 真っ暗で静かになった部屋。

 感じるのは頬に伝わる机の冷たさだけ。


「……」


 言葉は出てこない。

 ただ、もやもやした感覚だけが自分の内側に漂っている。


 この感覚は何なのだろう。

 嫉妬とは少し違う。もちろん近い気持ちはあるけれど、どちらかといえば悲しいという気持ちの方が強いような気がする。


 何が悲しいのか。

 これも上手く表現出来ないけれど、例えるなら予想と違ったみたいな、そんなガッカリ感がある。身勝手に失望して、自虐的な喪失感を味わっている。小難しい表現になってしまうのは、きっと遠回りをしているからだ。答えは考えるまでもなく分かっていて、しかし、いや、だからこそ違う道があるのではないかと考えてしまう。


 だけど、どれだけ考えても結局は同じところに辿り着く。


 ……天童さんは、私のことをどう思っているんでしょう。


 ほんの一ヶ月前だ。同じ場所に引っ越そうと言われ、二つ返事で頷いた。最初は上手く理解出来なかったけれど、考えれば考える程に同棲という言葉が頭の中で大きくなった。


 てっきり、そのつもりなのだと思っていた。

 実際、引っ越した最初の日の深夜に結婚がどうという話をされた。


 あれは婉曲的なプロポーズだったのでは!?

 そう思って悶えたのも束の間、朱音さんが引っ越し祝いに来た。きちんと話をしたわけではないけれど、彼女は確実に天童さんのことを意識していて、しかも私を警戒していた。


 天童さんは彼女を駅まで送った。

 そのあと帰ってきた時は普通だったけど、次の日の朝は何だか少し様子が違うような気がした。


 どうして?

 何かあったの?

 ……聞きたい。


 そんなことを考えていたら、次は他の人が引っ越し祝いに来た。

 また女性。しかも吃驚するくらいの美人さん。

 どんな関係なのだろうと思っていたら、みさきちゃんの母親という衝撃の事実。

 そのうえ天童さんに色目を使っていて、私のことを朱音さんと同じような雰囲気で見ていた。


 どういうこと?

 どういう関係?

 ……聞きたい。


 聞きたい。聞きたい。

 全部、ちゃんと教えて欲しい。


 でもそれを聞く勇気なんて持っていなくて、結局は黙って悶々とするしかない。

 そうしていると見えてくることがある。

 見たくないものが、見えてくる。


 あの二人と話している時の天童さんと、私と話している時の天童さんは、同じ顔をしていた。


 どうして?

 天童さんにとって、私は特別な存在なんかじゃないってこと?


 身勝手にも、そんなことを考えてしまう。

 思えば具体的な話は一度もしていなくて、何もかも思い込みでしかないのだ。


 ……思い込み。


 思い込むなという方が、無理なのではないだろうか。だって私は彼と同棲している。だって彼は私に結婚の話をした。そんなことがあって、そんなことを好きな人にされて、だけどただの勘違いなんて、そんな酷い話は無いのではないだろうか。


 ……分からない。


 彼にとっての私とは、なんなのだろう。


 ただの同居人? 

 悩み相談を受けてくれる都合の良い人?


 そんなのってない。

 そんなの酷すぎる。


 嫌だ。

 嫌いだ。

 こんなことを考えてしまう自分が、どうしようもなく嫌いだ。


「……」


 声にならない声を出して、檀は強く目を瞑った。

 それから指だけを動かして、机に絵を描く。

 手慣れた動きは一筆で人の形を描き、顔の部分へと続く。

 そこで指は止まった。

 そこから先は、指を動かすことが出来なかった。


 ……天童さんの顔が見えない。


 聞きたい。

 だけど怖い。

 それでも――


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る