第137話 SS:けっこん?


「……うそ」


 喧騒の中で、檀は呟いた。

 彼女は目の前にある現実を受け入れられなかった。


 呆然と立ち尽くすことしか出来ない。

 そんな彼女を煽るかのような誰かの声、物音。


 早く行動しろ、さもなくば手遅れになるぞ。

 いくつもの脅迫めいた言葉が脳裏に浮かび上がる。


 ……とにかく、とにかく何かしないと。


 冷静になろうとする檀。しかし耳に入り込む様々な音が異様な程に彼女をせっつく。


 ……とりあえずテレビを消しましょう。


 ポチ、ピッ。

 しーん……。


 こうして音の消えた部屋で、檀は呟く。


「……みさきちゃんが、いない」


 龍誠が朱音を送る為に部屋を出た後、檀は悶々とした感情と共にソファで膝を抱えてテレビを見ていた。


 それから暫くして「天童さん遅いね」とみさきに声をかけた。しかし、みさきの姿は無かった。


 トイレかな? いない。

 お風呂かな? いない……。

 冷蔵庫! いるわけないっ。

 天童さんのベッド!! アヘッ!?


「みさきちゃんどこぉぉ〜!?」


 カチャッ。


「みさきちゃっ、天童さん!?」


 玄関から聞こえた音に振り向き、現れた人物に驚愕する檀。


「ててててんどさっみっちゃっせん!」


 天童さんどうしましょう。みさきちゃんがいません!


「落ち着け小日向さん、何があった」

「みさきちゃんがっ、みさきちゃんがぁ!」

「……ん?」


 龍誠の後ろからひょっこり顔を出したみさき。


「ああ、なんかついてきちゃったらしい」


 みさきを見て苦笑いする龍誠。


「ほらみさき、心配かけてごめんなさい」

「……ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げたみさき。

 檀はすっかり安心して脱力する。


 だからこの時、彼女は龍誠の様子が普段と違うことに気が付けなかった。



 *



 引っ越しには様々な事情がある。それは主に仕事や災害が原因だが、龍誠達のように生活レベルをあげることを目的とした場合もある。


 いずれにしても、環境が変わるというのは人にとって面倒なことだ。

 大人はもちろん、子供にとっても。


 距離的な関係でみさきは転校することにはならなかった。しかし集団登校の集合場所は変わるし、姉妹なのに別々の場所に帰るという闇の深さ……これは幸い教師くらいしか気が付かないとして、とにかく登下校に関する人間関係が変化する。社会に出た大人は軽視することが多いけれど、子供にとって学校の交友関係は非常に重要である。


 果たしてみさきは――


 ……りょーくん、げんきない。


 全く別のことを考えていた。

 今朝は檀が作ってくれたご飯を食べて、いろいろして、時間になったから部屋を出た。


 新しい集合場所のことは聞いていたから、というかマンションの一階だから、ランドセルを背負ったみさきは一人でエレベータに乗った。階段はみさきの身長に厳しい。


 エレベータを降りた先には、同じようにランドセルを背負った集団がいた。みさきより少し大きい程度の一年生から、檀よりも大きい六年生まで、自動ドアを出て直ぐ左側に避けた所に集まっている。


 みさきはてくてく歩いて、その中で一番背の高い女子児童にペコリと頭を下げた。

 直前に教師から話をされていた児童は、みさきを見ると直ぐに理解した。


「あっ、みさきちゃん? よろしくぅ〜、可愛いねぇ〜」


 にこにこ笑って、みさきに手を振る。

 みさきはパチパチと瞬きをして、コクリと頷いた。


 頭の中はりょーくんのことでいっぱいである。

 いつもなら目を向けるだけで全部分かってくれるのに、今日は目を向けて声をかけなければ反応してくれなかった。これは、おかしい……。


 んー? と首を傾けるみさき。

 そんな姿を見て上級生は「可愛いぃ〜」と繰り返す。


 りょーくん、どうしたのかな。

 可愛いぃ〜!

 りょーくん、だいじょうぶかな。

 可愛いぃ〜!

 りょーくん「可愛いぃ〜!」


 りょーくん、かわいいな。

 ……ん?


 何か違うぞ? と思ったけど、何が違ったのか良くわからないみさき。

 そのうち人が揃って、児童達は学校に向かって歩き始めた。


 上級生の背中を追いかけて、てくてく歩くみさき。

 先程までの「可愛いぃ〜」祭りは終わり、少し静かになった。


 これで落ち着いてりょーくんのことを……


「……君は、声を聞いたことがあるか」


 隣から聞こえた声に目を向けるみさき。


「誰かが言った。世界の始まり、そして終わりまでを記した運命の書が存在すると。即ち、この邂逅は創世の時代に産まれし必定。我は今、至福の最中に在る」


 同じクラスの男の子。

 彼は言動が理由で友達が少ない。


 子供達は彼の言動を「おもしろーい!」と素直に受け入れているけれど、それは彼にとって快くなかった。彼は普通に話をしているつもりであり、つまりは「こんにちは」と挨拶をしただけで「おもしろーい!」と笑われるから気分が悪いのだ。


 その点、きちんと言葉を理解したうえで「……ん?」と一言発するだけのみさきは彼にとって最高の友人だ。そんなわけで、彼は元気に声をかけ続ける。


 ……うるさい。


 考え事をしていたみさきはムッとした。


「しー」

「……はい」


 怒られてしゅんとする蒼真。

 

 月曜日。

 みさきは少し機嫌が悪かった。



 *



「おはようございます!」

「……おはよ」


 教室に入って席に着くと、ゆいが元気に挨拶してきた。


「どうしたの?」


 一瞬でみさきの不調を見抜いたゆい。


「……んー?」


 考え中なの。

 みさきの返事を見て・・、一緒に首を傾けるゆい。


「りょーくんのこと?」

「……ん」

「おひっこしで、なにかありましたか?」


 もういちど頷いたみさき。

 やっぱり! と言ってゆいは大袈裟に反応する。


「なにが、ありましたか!?」


 みさきの直ぐ隣で大声を出すゆい。

 もちろん、その声は他の人にも聞こえている。


「る〜みみんっ、なにごと?」


 ゆいとは反対の方から現れた瑠海。

 みさきは二人を交互に見て、なんとなく顔を上に向ける。

 ゆいと瑠海も一緒になって上を見た。


 みさきは昨日見たことを思い出す。

 やっぱり原因はあれしかないと思う。


「……けっこん?」


 この言葉の意味はよく分からない。

 だから、りょーくんが変になった理由は、これを言われたからだと思う。


 どういう意味なんだろう?

 そんな純粋な気持ちでみさきは呟いた。


 しかしこれが――


「「えー!?」」


 今の呟きが龍誠をもっと悩ませることになるなんて、みさきには分かるはずのないことだった。


「しょうさいに!!」

「みさきちゃん、けっこんするの!?」


 ゆいと瑠海の全く違う解釈。

 みさきは予想以上の反応に少し困惑しながら、昨日見たことを話した。

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