第136話 お祝いされた日(後)
ソファは二人用で、みさきが間に座る分には問題無いけれど、流石に龍誠が間に入るというのは無理がある。だから四人座れるテーブルの方に移動しようという案が出たけれど、どうやらみさきはテレビから離れたくない様子。
「俺が床に座るよ」
「あのっ、それなら私がっ」
まずは龍誠と檀の間で譲り合いが始まり、
「オレも床にする。机低いからそっちのが食べやすそうだし」
暫くすると朱音が口を挟んだ。
こうして、テレビと向かい合う位置に龍誠。その膝の上にみさき。龍誠から見て机の左側面に朱音。彼女の正面に檀という配置で座った。
「朱音、今日はわざわざありがとな」
「別にいいって。何回言うんだよ」
「それくらい感謝してるってことだ。引っ越し祝いなんてしてくれた友達、朱音だけだから」
友達という単語に檀がビクンと反応する。
あれっ、妹さんじゃないの!?
それに気付いた朱音が檀にだけ見えるタイミングで不敵な笑みを浮かべると、檀はまたビクンとした。
もちろん龍誠には見えておらず、彼は独りしんみりとした気持ちになっていた。
二度と会うことは無いと思っていた朱音と再会し、決して思い出したくなかった過去の話をした。そうして昔と同じように話が出来るようになり、しかも引っ越し祝いまでしてもらえた。
龍誠は少しだけ顔を上に向け、とある会話を思い出す。
「そういや今度引っ越すんだけど、なんかやっとかなきゃいけないこととか分かるか?」
「黙れよ天童龍誠。最優先で学習を終えて会社に貢献しろ。僕達は三次元を捨てる」
あのロリコンいつかの茶髪に玉砕したからって八つ当たりしやがって……それに比べて朱音は……!
心の底から感動する龍誠。その様子を見て朱音は下心だけでここに来たことを少しだけ後ろめたく思う。
「これくらい、べつに、当然だろ?」
「そうだな。朱音はそういうやつだったよな……」
昔と同じで良いやつだと再確認する龍誠。
朱音は少し悪戯な表情をして、笑い混じりに言う。
「龍誠は、なんか昔よりも女っぽくなったよな」
「嘘だろ? いやいや、昔より筋肉……は最近落ちて来てるな。でもアレだ、身長とか肩幅とか、むしろ男っぽくなってるはずだ」
どこか誇らしげに言う龍誠。朱音は今の姿を記憶の中にいる龍誠を見比べて、あらためて言う。
「うん、やっぱ女っぽくなってる」
「そんなバカなっ……」
髭か? 未だに髭も生えないのが原因なのか?
本気で悩む龍誠。
朱音は楽しそうに笑って、
「なんか、昔はもっとギラギラしてたし。でも今は黙ってれば完璧女の人にしか見えない」
「ギラギラって何だ。もしかしてアレか肌の色か? つまり、もっと日焼けした方がいいってことか……」
「違うし」
どこまでも真剣に悩む龍誠を見てくすくす笑う朱音。
そんな二人を見て檀は、
ああそれ私も分かります。天童さん、最初に会った頃より目付きとか顔付きとか優しく……。
と声に出して言いたいのだが、二人を見ていると口を挟む勇気なんて出てこない。
だから、せめて心の中で会話に参加しながら、心臓の音が少しずつ大きくなるのを感じていた。
檀は他の女性と楽しそうに話をする龍誠を見るのは初めてだった。一時期みさきが結衣のところに居た頃、檀はみさきの誕生日会に参加したけれど、その時に結衣と龍誠はほとんど会話をしていなかった。だから当時は意識しなかったというか、そもそもあの時は雑念が入り込む余地が無かった。だけど今は違う。
目の前で天童さんが違う女の人と楽しそうに話している。それは純粋に檀を嫉妬させた。
一方でみさきはアニメに夢中だった。
スケートの話は終わって、バレンタインデーに向けたチョコ作りの話が行われている。それを見てみさきは自分の誕生日が近いことを思い出した。
同意を求めて背中にいる龍誠を見上げたみさき。
直後に龍誠はみさきの頬に手を当てて言う。
「おう、もうちょいで誕生日だな。今年は何をしようか」
「……ん」
おまかせ、という意で頷いたみさき。
そうかそうか、と言って頬から手を離した龍誠。
……なんで会話が成立したんだ? と思った朱音だが、口には出さなかった。
みさきがテレビに目を戻すと、龍誠も一緒にテレビに目を移した。それにつられて、朱音と檀もテレビ画面を見る。
ふと龍誠は昨夜……深夜に檀と見たアニメのことを思い出した。
動きとか、そういうのは深夜に見たアニメの方が良かった気がする。絵柄もあっちの方がみさきの読んでいる漫画に近い感じだった。単純に違うタイトルだからだろうか。
「小日向さん、昨日みたいなアニメって今日はやらないのか?」
「……へっ? あ、えっと、はい。遅い時間になら」
突然声をかけられて驚いた檀。
「遅い時間って、昨日と同じくらいか?」
「ええと……はい、そのくらいです」
「そうか、ならみさきには見せられないな」
名前を呼ばれて顔をあげたみさき。
なんでもない、と言って龍誠が額をトントンすると、みさきは気持ちよさそうに目を細めた。
もっとやって。
仕方ないなー。
朱音は二人を見て、だからどうしてコミュニケーションが成立するんだよと疑問に思う。
「昨日一緒に見たアニメ結構面白かったから、みさきも喜ぶと思ったんだ」
「そうですね、ああいうのならみさきちゃんが見ても面白いかもしれません」
極普通の会話。
しかし、朱音はいくつかの言葉を抜き出して眉をしかめる。
昨日、遅い時間、一緒に見た。
……深夜に二人でアニメ見てたってことか?
「なあ龍誠。アニメとか好きだったのか?」
迷わず口を挟んだ朱音。
彼女の心境は先程までの檀と近いものがあるけれど、それで口を閉じるタイプではない。
「いや、昨日はたまたま夜に目が覚めて、その流れで見ただけだ。なんというか新鮮だった」
「……へー」
龍誠の言葉を聞いて、みさきが「おもしろい?」と目で問う。
その視線に気が付いた龍誠は「おもしろいぞー」と目で答えた。
それを見て朱音は「なに今のアイコンタクト……」と思うのだが、やはり口には出さない。
「あの、録画したものなら残ってますよ……?」
「流石小日向さんだ。みさき、後で一緒に見ような」
「……ん」
「ほらみさき、小日向さんにありがとう言っとけ」
「……ありがと」
「ええと……ふひひ、うん、後で見ようね」
檀が笑いかけると、みさきは嬉しそうに頷いた。
それを見て、龍誠もまた嬉しそうな顔をする。
「そうか、みさきはアニメも好きだったのか」
「みさきちゃん、いろんなものに興味を持ちますよね」
「ああ、知識欲ってやつかもしれない。知識っていうと、みさきは本を読むのも好きだよな」
「……ん」
前の部屋にいた時、ダンボールのひとつは本で埋まっていたことを思い出す。
みさきは初めて買い与えられた月刊誌を気に入っていて、二人は月に一度本屋へ足を運んだ。その際、他の本も一緒に買っていた。みさきは決まってその日のうちに読破してしまうけれど、体積の大きい月刊誌の方は半年に一度くらいのペースで処分していたから、収納スペースはダンボール箱ひとつで足りていた。
初めて漫画を捨てる際にみさきが少し抵抗したのは、今となっては良い思い出だ。
そうだ、せっかく近代的な部屋に引っ越したのだから本棚を買おう。と龍誠は次の休日の予定を決める。
「本を読むと賢くなるって言うしな。みさき、欲しい本があったらどんどん言えよ」
「……ん」
「賢いと言えば、みさきちゃんの歳で文庫本とかも普通に読めるのすごいですよね。初めて見た時はびっくりしました」
「……すごい?」
「うん、すごい」
檀の返事を聞いた後、みさきは龍誠の目を見る。
「分かってる。みさきは最高にかっこいいから、本なんて楽勝だよな」
すかさず要求に応えて頭を撫でる龍誠。
「……ひひ」
みさきは嬉しそうに笑って、背筋を伸ばして頭を龍誠の手に押し付けた。
それを見て檀もまた楽しそうに笑う。
そんなやりとりを端から見ている朱音は、ちょっと楽しくなかった。
……なにこれ、完全に家族じゃん。
龍誠と膝の上に乗ってるチビは完全に通じあってる感じで、向こう側に座ってる小日向さんとかいう女も、まるでこれが当たり前みたいな態度をしている。
でもこの光景は、朱音から見れば家族のやりとりでしかなかった。自分も会話の輪に入りたいけれど、そうすることが出来ない圧力を錯覚している。
朱音は妙に体が熱くなった。
無意味に手足を動かして大きな声を出したい衝動に駆られた。
その全てを抑えこんで、少しだけ俯く。
すると、脚の上に紙袋が置かれたままなこと気が付いた。
もともとこの中身を食べる為に絨毯の上に座ったのだが、会話の流れで失念していた。
本来の目的を思い出した朱音は、少しだけ唇を噛んで龍誠を見る。
龍誠は嬉しそうな顔で女の子の頭を撫でていた。
女の子もまた幸せそうな顔をして笑っている。
そして二人の隣で例の女が楽しそうな笑顔を浮かべている。
「小日向さんもどうだ? みさき、撫でられるのが好きらしい」
「そうなんですか? じゃあ、ちょっとだけ」
朱音は少し紙袋を強く握った。
クシャッという音がしたけれど、その小さな音に気が付いたのはきっと朱音だけだ。
直ぐ隣にいるはずなのに、自分だけ違う場所にいるように感じる。
手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに、龍誠の姿がとても遠い所にあるように思える。
思わず手を伸ばして、龍誠の腕を引いた。
「どうした?」
当然のように手は届いて、龍誠は朱音の方を向いた。
朱音はハッとして、まるで夢から覚めたような感覚に襲われる。
「……これ、早く食べよ」
少し目線を逸らして、紙袋を持ち上げて言った。
「ああ悪い、そうだったな。ケーキだと皿も用意した方がいいか?」
「うん、スプーンとかも」
「そうか。小日向さん、スプーンって……」
「ありますよー。今度こそ私が用意するので、待っていてください」
んしょ、と言って立ち上がる。
「悪いな」
「いえいえ」
檀を見送った後、龍誠は朱音に目を戻した。
「さて、待っている間にケーキを並べようか」
「いいよ、やる。一応お祝いだし」
「そうか。そういうことなら、遠慮なく」
「……うん」
頷いて、朱音は紙袋を机に載せる。そして丁寧に中から新たな箱を取り出して、側面に貼ってあるシールに爪を差し込み、器用に箱を開いた。
中には様々なケーキが入っていた。
一見すると昨日のケーキバイキングで見たものに似ているけれど、よく見ると違いに気が付く。明らかに、このケーキの方が丁寧に作られていると分かる。
「なんか、スタリナとかいう店のケーキ。結構有名らしいけど、知ってるか?」
店の名前を聞いた瞬間、みさきは大きく目を見開いた。
龍誠もどこかで聞いたことのあるような単語を記憶の中から探し、直ぐに思い当たる。
「ああ覚えてる。あそこのケーキは美味かった」
「そっか、食べたことあるんだ。これ、そこのやつ」
「マジか!? 朱音っ、それはいい、最高だ、最高の選択だ」
あの店の味は忘れられない。
一度行って以来、誰かの誕生日などでケーキを食べる機会が無かったから再度行くことは無かったし、正直なところ店の名前を忘れかけていたけれど、味だけは鮮明に覚えている。
「待てみさき、もうちょい我慢だ」
「……ん」
机に身を乗り出しかけていたみさきは、断腸の思いで身を引いた。
「そんなにうまいのか?」
実は工場の従業員に勧められて買っただけの朱音は、思わぬ食い付きに驚いていた。
「ああ、今迄に食べたケーキで一番うまかった」
「……そうか」
……今度、あいつらにも買っていこうかな。
「お待たせしました。おー、美味しそうですね」
「うん、美味しいよ」
「へっ、あっ、は、はい。すみません」
なんで謝られたし。
と思ったけど口には出さない。
ビクビクしながら皿を用意する檀。
龍誠は朱音と檀を交互に見て、うーんと首を傾けた。
みさきはケーキに夢中だった。
「冷たい……って、こらみさき、よだれよだれ」
「……ん?」
と上を向いた拍子に零れたヨダレがみさきの顎を伝って服の上に落ちる。
「うおおマジかっ!」
「あわわっ、ティッシュ持ってきまっ、まっ」
慌てる檀と龍誠。
朱音は溜息ひとつ。
「たくっ、どんだけ食い意地はってんだよ」
ポケットからハンカチを取り出して、みさきの口元を拭いた。
「助かった。悪いな、今迄こんなことは無かったんだが……」
「まあ仕方ないでしょ。その子いま何歳だっけ」
「そろそろ七歳だ」
「そっか……まあ、あと三年もすれば治るんじゃね?」
「そうだな。このケーキだからってのもあるだろうが……みさき、よだれは我慢しないとダメだぞ」
「……ん」
早く食べたかったの。ごめんなさい。
人生の八割はみさきで出来ている龍誠だが、叱る時はちゃんと叱る。
みさきはみさきで素直にしょんぼりする。
「まあでも、あのケーキ美味しかったから仕方ないよな」
しょんぼりしたまま頷いたみさき。
「ふひひ。みさきちゃん、もうちょっと待っててね」
「……ん」
こくりと頷いたみさき。
ムっと唇を一の字にして、ケーキをロックオン。
もうよだれは零さない。
一方で朱音はよだれを拭いたハンカチを折りたたんでポケットに戻しながら「ちゃんと叱るんだ」と思った。
これまでの印象だと龍誠は病的にあの女の子を溺愛しているから、今のは少しだけ意外だった。
それと同時に、自分も同じように怒られたことがあることを思い出す。主に学校へ行けとかそういう内容で「……ああ、やっぱり龍誠は自分の知っている龍誠なんだ」と再確認出来た。
すると嫌でも昔との違いが際立つ。
あの頃、みさきと呼ばれている女の子の位置には自分がいた。龍誠とまるで家族のようなやりとりをするのは自分だけだった。
でも今は、その場所に違う人がいる。
龍誠とは昔のように話が出来るようになった。
だけど違う。
同じではない。
そこは、彼の隣は、自分の居場所だったはずだ。
「朱音、ハンカチありがとな。よだれ付いちまったけど、洗わなくても大丈夫か?」
「……いい、気にすんな」
朱音はどこか乾いた笑みを浮かべて、
「オレと龍誠の仲だろ?」
しかし、その変化は龍誠には伝わらない。
「そうか……ほんと、何から何までありがとう」
そして、それぞれの皿の上にケーキが載って、四人は揃って手を合わせた。
それからは、たわいない話を続けながらケーキを食べて、やがて朱音が帰ることになった。
もちろん帰りも龍誠が送ることになり、二人は一緒に部屋を出た。
道中、龍誠は繰り返し朱音に感謝を伝えた。
朱音の返事はどこか上の空だったけれど、それは龍誠にとって違和感を生むほどのものではなかった。
だから、彼は朱音の心の変化に、最後まで気が付けなかった。
「なあ龍誠」
駅の前で朱音は足を止めた。
「どうした?」
いつかの無人駅とは違って、周囲には少ないながらも人の姿がある。
歩道の隅には街灯の代わりにガードレールが淡々と続いていて、明かりは駅を含む周囲の施設から漏れるものだけだ。しかしながら、辺りはまるで昼間のように明るい。
朱音は真っ直ぐ龍誠の目を見ていた。
あの部屋で龍誠が他の人と話している時、朱音は彼の存在を遠くに感じた。
龍誠があの女と楽しそうに話している姿を見て、一秒毎に離れていくような気がしていた。
彼の声を聞く度に、他の人に向けられた笑顔を見る度に、焦燥感が高まっていった。
それは時間と共に強くなって、龍誠と二人で歩いている間も一向に静まることがなかった。
「龍誠、あいつと結婚すんの?」
しかしそれは、龍誠にとっては唐突な問いかけだった。
「……え?」
間の抜けた返事。
朱音は一歩距離を詰めて言う。
「そのつもりで同棲してるのか?」
それは朱音にしてみれば当然の疑問だった。
いや、きっと誰が見ても同じことを思っただろう。
ただ一人、本人を除いては。
「いや、そんなつもりでは無いが……」
尻すぼみになる返事。
それは見慣れない朱音の様子に動揺しただけだったのだが、朱音にはそうは思えなかった。
「……嫌だ」
何が、と問う前に、朱音は言葉を紡ぐ。
「龍誠の傍に、他の人がいるの、嫌だ」
突然の状況に龍誠の頭は追いつかない。
しかしそれは、朱音もまた同じだった。
彼女の中に恋愛感情は無い。
それは本人の自覚がどうこうという話ではなく、そもそも概念自体が存在しなかったのだ。
だがそれは、嫉妬という別の形で彼女の心を支配した。
龍誠を誰かに盗られるのは嫌だ。
子供のような原始的な欲求が彼女を動かした。
「本当に、あいつとの結婚は考えてないのか?」
真っ直ぐな言葉。
「……ああ、考えてない」
「それならっ」
抑えきれなくなった想いは行き場を求めて、開かれた口にそれを抑える力なんてあるわけがなくて。
「……結婚、しないか? オレと、龍誠で」
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