第103話 第八話:みさきとたららんたららん

 たららんたららん。

 みさきの小さな指が大きな鍵盤に触れる度、ピアノの澄んだ音色が室内で反響する。


 金曜日の学校帰り、みさきは戸崎家へ訪れた。みさきは学校から真っ直ぐ向かおうとしたのだが、ゆいが強く言うから檀への連絡は済ませてある。


 出かける時は誰と何時まで何処にいて何時に帰ってくるか伝えること。ゆいはママの教えを忠実に守る。


「あーゆーれでぃ?」


 ふにゃんとウインクに失敗したついでにパチンと指を鳴らせなかったゆい。


「おーらい」


 打ち合わせ通りの返答をしたみさき。すまねぇ英語はさっぱりなんだ状態のみさきは言葉の意味を理解していないけれど、ゆいがワーワー言うから仕方なく付き合った。ゆいは満足そうな表情で鼻を鳴らすと、じゃーんと言って一冊の本を掲げる。


『小学生でも出来る作曲入門(下)』


「うえは?」


 とみさき。


「あっち!」


 少し離れたところにある本棚を指差したゆい。


「うえは、ひゃくにじゅっページありました。しかし! このほんには、うえのないようが、よんページでまとめられています!」


 じゃあ最初から四ページで書いて欲しいよねとゆい。だが入門書とは得てしてそういうもので、最初から四ページで書かれたら何が何やら分からなくなるということをゆいはまだ知らない。


「ちょっとつめて」


 ピアノの椅子に座るみさきの左側に立って、えいえいと両手で押すゆい。みさきは素直に右側によった。そのスペースに飛び乗ったゆいは、楽譜を置くところに本を置いた。


 みさきの体が小さいのもあるが、ピアノ用の椅子は、まだ一年生の二人なら一緒に座っても窮屈に感じない程度の大きさがある。もちろん二人の足は床に届いていなくて、静かに下を向くみさきの足の隣で、ゆいの足が元気に揺れていた。


 ゆいは、みさきの話を聞いた次の日から作曲の勉強を始めた。

 妹の為に頑張っちゃうぞ、お姉ちゃんだから! という心境である。


 果たして、ゆいは勉強した内容を思い出しながら、たららんとピアノを鳴らす。


「これがシーコードです!」

「しーふーど?」

「たべものちがう!」


 首を傾けたみさきに向かって、ラから始まるABCについて話すゆい。

 みさきは適度に相槌を打ちながら、真剣に話を聞いていた。


 一般的に知られている音階はドレミであるが、とある業界ではラシドの順番でABCと表記する。

 シーコードは、ドミソという三種類の音を表していて、名前の由来はド(C)から始まるコードだから、ということである。同じ要領で、レ(D)から始まるコードならディーコードと表現する。


 そもそもコードって何よという疑問には、おそらく研究成果という回答が最適であろう。

 音楽業界の人達が「この音の組み合わせを使う頻度が高いような気がする……」という具合に発見した音の組み合わせが、コードである。平易な言葉にするならば、綺麗な音のテンプレート。


 作曲は、いくつかのコードを組み合わせて出来る「コード進行」によって行われる。もちろん例外もあるが、それはここでは忘れよう。


「わかった?」

「……ん」

「エクセレント! つぎはリズムです!」

「りずむ?」


 作曲で重要なのは、コードとリズムだ。リズムにコードを当てはめれば、だいたい曲っぽくなる。この時に当てはめるコードの組み合わせがコード進行であり、もちろんこれにもテンプレが存在する。


 さて、リズムとは何なのだろう。

 なんてことはない。誰もが聞いたことのある四分の四拍子とかいうアレである。


「こうだよ!」


 ドミソーと演奏して聞かせるゆい。


 楽譜を思い出して頂きたい。五本の線の上にオタマジャクシが並んでいるアレだ。あの線を四分割して、オタマジャクシを四匹ずつ置くのが「四分の四拍子」である。約分したら一じゃないか、と考えてはならない。


 では具体例として、最も簡単な作曲を行おう。

 とりあえずリズムは四分の四拍子で、コード進行はCCCCとする。これをドレミで表すと、


 ドミソー♪

 ドミソー♪

 ドミソー♪

 ドミソー♪


 となる。ここにパッと思い付く歌詞を重ねて……


 ドミソー きのうー

 ドミソー たべたー

 ドミソー ごはんー

 ドミソー おいしー


 蛇足だろうが、昨日食べたご飯美味しいという歌の音階は、ドミソとは違う音でも構わない。標準語でも関西弁でも外国人っぽくても良いということだ。圧倒的な自由度である。


 そして、ここまで出来れば、あとは自分の感性と相談しながら強弱を付ければ完成だ。


「かんたん!」

「……ん」


 なんだか自分にも出来そうと思うみさき。

 ゆいはみさきの表情を見て「やっぱりあたしって説明が上手なのね!」と得意そうな表情をした。


「こちらがコードひょうです!」


 ようやく本の出番。

 ゆいは栞を挟んでおいたページをパラっと開いて、みさきに差し出した。


「このなかから、くみあわせて、つくりましょう!」

「んっ」


 力強く頷いたみさき。

 早速、コード表に記載されたコードを順番に……


「んー?」


 オタマジャクシで表記されたコード表を見て目を細めるみさき。まだ楽譜を見たことの無いみさきには、これが何を示しているのかさっぱり分からない。


 そこでみさきは考える。

 なんか、線が五本ある。線の一番上には「A」とか「B」とかの記号があって、線の間か線の上に黒い模様がある。模様の隣には、これまた知らない記号があったりなかったりする。


「これ、ひいて?」

「シーコード!」


 ドミソーとピアノを鳴らすゆい。


「これは?」

「ディーマイナー!」


 レファラーとピアノを鳴らすゆい。


「こっちは?」

「ディーコード!」


 もう一度レファラーとピアノを鳴らすゆい。今度のファは黒い方の鍵盤。


 みさきはコード表に書かれた記号を見ながら、ゆいの演奏と言葉を思い出す。

 たぶん、Cはシー。Dはディー。他のEとかは分からないけれど、黒い模様はCの一番下にある音がドで、そこから順番に上方向へ続いていそう。「♭」この記号は黒い鍵盤を押せばいいのかもしれない。


 みさきはパチパチと瞬きをして、試しに「F」と書かれたコードを弾いてみる。


「エフコード!」

「これ?」


 本を指さすみさき。


「そうだよ!」


 どうやら正解だったらしい。

 同じ要領で他のコードも試すみさき。


「ジーコード!」

「これは?」

「エーマイナー!」

「これは?」

「なにそれ!?」


 しょんぼりして、見ていたコードを指さすみさき。


「シーセブンはこうだよ!」


 たららんと音を鳴らすゆい。それを見て、みさきは間違えていた部分を頭の中で修正する。


 次はこれ。その次はこれ。

 みさきがコードを試す度に、ゆいが答え合わせをする。


 全てはりょーくんに喜んでもらうため。

 この日、みさきの曲作りが始まった。

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