第77話 人形劇に参加した日

 朝だ、朝になった。

 今日、あのホールで人形劇が行われる。


 公民館に残った三人とは話をした。

 あとは、あいつだけだ。


「……」


 正直あまり眠れていない。だから、いつものように俺の寝顔を見に来たみさきと、そこそこ長く無言で目を合わせていた。


「……ん?」


 目をあけたまま寝てるのかな? そんな風に首を傾けたみさき。

 やはりみさきの顔を見ていると心が落ち着く。不思議と頭も冴えるような気がした。


「おはよう、みさき」

「……ん」


 みさきは頷くと、てくてく歩いて昨日のうちに用意しておいた手提げバックを持ち上げた。早く人形劇を見たくて仕方ない様子である。


「まだ二時間くらいあるぞ。とりあえず、顔を洗いに行こうか」

「…………ん」


 しょんぼり。

 やれやれ、こんなに楽しみにされちまったら、本気出さないわけにはいかないよな。


「みさき」

「……ん?」

「楽しみにしてろよ」

「……んっ」


 さて、そろそろ体を起こすか。

 みさきの為に、いっちょ頑張るとしよう。




 かなり早い時間に部屋を出たのだが、みさきの歩く速さに合わせていたからか、公民館に着いたのは程良い時間だった。


 父母の会で決めた集合時間まで、まだ十分くらいある。俺はまず、みさきをホールへ案内した。ホールに入ると、一番前の席にちょこんと座る子供の姿があった。子供って、ゆいちゃんだ。


「よっ、久しぶりだな」

「キシャアアアァァ――!」


 うぉっ、なんか機嫌悪い!?


「み、みさき。ゆいちゃんどうしたんだ?」


 みさきの小さな背に隠れて、ゆいちゃんの様子を伺う。


「フシャアアァァ――!」


 なんだかキレた子猫みたいになっていた。近付いたら噛みつかれそうだ。


「……みさき、何があったのか聞いてくれ」

「……ん」


 堂々とゆいちゃんに近付くみさき。最高に頼もしいぜ。


「なに?」

「ふにょふにょ……」

「……ん」


 なぜ今ので会話が成立した……? ゆいちゃんふにょふにょ言ってるだけじゃねぇか。


 戸惑う俺のところに戻って来たみさき。


「ゆいちゃん、なんだって?」

「ふしゃー」

「……みさき?」

「いかく?」


 マジか、俺威嚇されちゃってるのか。


「みさき、りょーくんどうすればいいと思う?」

「あやまる?」

「そ、そうだな」


 何を謝ればいいのか分からんが、とりあえずそれしかないな。


「すまない、俺が悪かった」

「フシャァ――!」


 ダメだ、会話が成立しない。


「……みさき、ゆいちゃん何で怒ってるんだ?」


 こっそり耳打ちすると、みさきはまたゆいちゃんに近付いた


「なに?」

「ふにょふにょ……」

「……ん」

 

 だから何で会話が成立するんだよ。


「ゆいちゃん、なんだって?」

「ママ、ところ、はやく?」

「早くママの所に行けってことか……」


 確認の意味も込めてゆいちゃんの方を見ると、


「ミシャアアアアァ――!」


 また威嚇された。良く分からんが、とりあえずみさきを信じよう。


「よし。みさき、りょーくんちょっと行ってくるから、ここでゆいちゃんと一緒に座っててくれ」

「……ん」


 みさきは素直に頷くと、とことこ歩いてゆいちゃんの隣に座った。


「……ふにょふにょ」

「ん、たのしみ」


 ふにょふにょ言って耳打ちするゆいちゃんと、頷くみさき。

 俺は新たな言語の登場に困惑しつつ、集合場所へ向かった。




 ――昨日、戸崎結衣が姿を消した後。


 俺は脳が焼き切れるくらい必至に考えた。

 何が悪かったのか、それを考えた。

 やがて、ひとつの答えを見つけた。


 誰も悪くない。


 そうだ、誰も悪くない。

 ならきっと俺は間違えた。こうして悩んでいることに意味は無いし、何より、戸崎結衣を責めたのは間違いだった。確かに彼女はピアスの人に心無い言葉を言った。だけど、そこに悪意が存在したとは思えない。


 だったら、俺がやるべきことは――




 集合場所はいつもの会議室だ。そこに集まった後、俺以外の四人は劇の準備を始めて、俺は保育士の人達と一緒にバスで訪れる子供達を案内するということになっていた。


 果たして、彼女はホワイトボードの前に一人で立っていた。いつもはピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見ている彼女は、しかし力無く俯いていた。俺がドアを開けてことにも気付いていないようだ。


「よっ、今日は早いじゃねぇか」


 とびきりの笑顔で挨拶すると、彼女はゆっくり顔を上げた。


「……呼んでませんけど」

「本番だろ!? つうか大丈夫かよ、顔色悪いぞ」

「……問題ありません」


 呟いて、彼女は再び俯いた。こういう姿を見ると、昨日こいつを責めたのは間違いだったかなと思ってしまう。だけど、過ぎたことを悩んでたって仕方ない。


「さて、準備を始めようか」

「……」

「さて、準備を始めようか」

「聞こえています」

「なら返事しろよ、寂しいじゃねぇか」

「……昨日とはずいぶん態度が違うんですね」

「気のせいだろ。そんなことより準備だ。時間が無いから早くしよう」

「早くって……私しかいないじゃないですか」


 今のは俺以外にって意味でいいんだよな? 怖くて聞けねぇけど。

 

「他の方々はどうなりましたか? 私のことが嫌になって欠席ですか?」

「そんなことねぇよ」

「遠慮せず伝えてください。あの後、何があったのか」


 ……やっぱ聞いてくるか。そりゃ昨日あんだけ責めちまったからな。

 むしろ安心した。こいつが昨日のことを少しも気にしないような奴じゃなくて良かった。これなら、俺のやるべきことは変わらない。思った通り、誰も悪くない。


 俺は軽く息を吸って、一晩中考えた言葉を言う。


「何も無かったよ」

「あの、私は真剣な話をしています」

「マジで何も無かった。明日は頑張ろうって話をして、それで終わり」


 うぉ、すげぇ睨まれてる。だけど、これならゆいちゃんの方が怖かったぜ。


「それじゃ、今日は頑張ろうぜ!」

「……あの」

「いろいろあったが、いつまでも気にしてたって仕方ない。だってそうだろ? みんな真剣で、ちょっと考えてることが違っただけだ。いやぁ悪かったな、ついカッとなった。だけど心機一転、切り替えて行こう!」


 きっと、あのとき俺がこいつにキレなければ丸く収まっていた。そう考えると全部俺が悪いんじゃないかって気になるが、だからこそ開き直って、昨日と同じことを言う。


「いい劇にしようぜ!」


 彼女は唖然としていた。この反応は昨日と同じだ。昨日は、このあとノンピアスの人がふっと笑って、それにつられてピアスの人も笑った。そこに遠くから様子を見ていたてっちゃんが合流して、今日について少しだけ話をした。


「……は?」


 果たして彼女は心底呆れた表情でこう言った。実に冷たい態度だが、むしろいつもの通りの反応で安心してしまう。


「ほら、さっさと行くぞ」

「行くって、どこにですか」

「舞台裏って呼ぶのか? とにかく、みんな待ってるから」

「あの、少しは説明してください」

「行けば分かる。早く来いって」


 ドアの所で動くように促すけれど、彼女は足を動かそうとしない。

 俺は軽く溜息を吐いて、彼女の手を取った。


「行くぞ」


 そのまま一歩、二歩と歩いて――全力で手を振り払われた。


「自分で歩けます」

「……そうかよ」


 相変わらずキツイ態度だが、不思議と悪い気分にはならなかった。


「貴方の事が嫌いです」


 なんとも可愛げの無い捨て台詞を残して、彼女はすたすた歩き始めた。その背中を見ながら、あいつやっぱり友達いないんだろうなと思う。それと同時に、あの一匹狼に向かって「友達になってやる」とか言った馬鹿がいたことを思い出した。


 ……よし。


「へいへい結衣ちゃん、ちょっとは呼びに来てやった俺に礼を言ってもいいんじゃないの?」

「気持ち悪いから近寄らないでくださいっ」


 鼻を摘まんでさっと距離を取る結衣。


 多分、こいつとの関係を友達と呼ぶのは難しいだろう。だけど、面と向かって悪態を吐ける関係ってのも、それはそれで貴重だと思う。


 たしか、こんな関係に名前が付いていたような気がする。

 ……悪友、ってのはちょっと違うか。


 とにもかくにも、これで上手く行きそうだ。

 当然だ。あんだけみんな頑張ってるのに、たった一言で台無しになってたまるかよ。その一言をフォローすんのは一言じゃ足りなかったけどな……。


「結衣ちゃんそこ左」

「分かっています。臭いので口を開けないでください」


 このキツイ言葉も、慣れれば普通の言葉だ。

 言葉ってのは不便なもので、言ったヤツの意思を無視して伝わっちまう。たとえそこに悪意が無くても、捉えようによっては悪口になる。だったら逆も然りだ。たとえ悪意があっても、捉えようによっては悪口じゃなくなる。


 少し考え方を変えるだけでいい。

 それだけで、世界は少し優しくなる。


「しゃあ、今日は頑張ろうぜ!」

「喋るなっ」







 なんなのあの人、なんなのあの人、なんなのあの人!


 戸崎結衣は、かつてない程に不機嫌だった。

 やはり彼の言葉は自分の調子を狂わせる。他の人からは、どんな悪意のある言葉を受けたところで少しも気にならないのに、彼の言葉には無性に腹が立つ。


 そんな相手の言葉を聞いて、少しでも安心してしまっている自分に一番腹が立つ。これではまるで彼を頼っているようではないか。


 ありえない。彼は、ちょっとだけ私の好きな色と似た色をしているだけだ。

 なのに、事ある毎に姿が重なって見えてしまう。


「じゃ、俺は子供達見てくるんで、あとは任せました」


 え、ちょ、ちょっと!


「はい、今日は頑張りましょう」


 風見さんの返事を聞くと、彼は入って来たドアから外へ出た。私は閉じたドアを暫く見つめてから、恐る恐る振り返った。そこには、風見さんと黒川さん、それから名倉さんが立っていた。


 三人の表情を見るのが怖くて、思わず俯いてしまう。


 ……あの人、言いたい事だけ言って、大事なところは我関せずですか。こういう無責任な所も嫌いです!


「……戸崎さん」

「はい」


 風見さんに声をかけられて、私は緊張を悟られないように取り繕った返事をした。


 今居る場所は、舞台裏というよりかは舞台袖と言った方が正確だ。直ぐ隣に大きなグランドピアノが置いてあって、周囲は黒い幕に囲まれている。少し視線を伸ばせば、そこには昨日のうちに用意した人形劇の舞台があった。そして視線を手前に戻すと、そこには少し硬い表情をした風見さんが居る。


 逃げ場はない。

 ならいっそ、彼女の気が済むまで罵倒を受けよう。


「……」


 彼女が大きく息を吸う。

 私は息を飲んで歯を食いしばった。


「ドンジュアン、やらせてください!」


 しかし、予想された罵倒は聞こえてこなかった。


「子供達はガッカリしてしまうかもしれませんが、それでも、やらせてください!」


 それどころか、頭を下げられてしまった。

 おかしい、頭を下げるべきは私だったはずだ。


「……ダメでしょうか?」


 ……あ、えっと、返事をしなきゃ。


「いえ、そんなことはありません。是非、お願いします」

「……ありがとうございます!」


 彼女はとびきり嬉しそうな色を見せて、頭を下げた。

 ……嘘は、吐いていない。


「ゆいぽん、指示をお願いします」

「……え、えぇ」


 なんで、何が起きたの?


「では、名倉さんはインカムを持って調光室へ向かってください。インカムで台詞を送りますので、合図だけお願いします」

「はい、分かりました」


 どうして誰も私を責めないの?


「風見さんと黒川さんは、私と一緒に劇の流れを確認しましょう」

「「はい」」


 不自然なくらい滞りなく、劇の準備が進んだ。

 そうこうしているうちに、子供達の元気な声が聞こえ始めた。


「そろそろ時間ですね」


 私が言うと、二人は緊張した面持ちで頷いた。


「……あの」


 この時になって、私は初めて問いかける。


「なぜ、何も言わないのですか?」


 二人は互いの顔を見合わせると、途端に噴き出した。


「何か、おかしなことを言いましたか?」

「いえ、失礼しました……その、思い出してしまって」


 ……思い出す?


「昨日、天童さんが私達に言ったんです」


 風見さんは、少し困ったような表情をして言う。


「腹が立っただろうけど、絶対に悪気は無いから……」


 何故か言葉を切って、黒川さんを見た。

 黒川さんは笑いを堪えるような仕草を見せて、コホンと咳払いをする。


「絶対に悪気は無いから、俺の友達を責めないでやってくれ……って、私達に言ったんです」


 お世辞にも似ていないモノマネをして、黒川さんは笑った。


「……そう、ですか」


 それ以上、私は何も言えなかった。

 ただ、左の手首が熱を帯びているのを感じた。






 ……疲れた。

 保育士の人達と一緒にヤンチャな子供達をやっとの思いで席に座らせて、俺は後ろの方の席に座った。ここからだと、前で騒いでいる子供達の姿、なによりみさきの姿が良く見える。


 しっかし、佐藤のやつマジで五十人集めてたのかよ。なんだその無駄な集客力。おかげで超大変だったじゃねぇか。幸い、しっかりした子が多くて人手不足ってことは無かったが……アレだな、女の子すげぇな。大人の手に負えないクソガキを黙らせる技術は是非ご教授願いたいところだ。


 さてさて、劇の方はどうなったかな。

 あいつ、上手く話せてるかな?


『むかし、むかし、あるところに……』


 お、突然始まったな。大丈夫かよ、子供達すげぇ騒いでるぞ。

 そんな俺の心配を他所に、舞台の緞帳がゆっくりと上がった。すると騒いでいた子供達も舞台に目を向けた。


 なにあれー!

 にんぎょーだー!

 しーずーかーにーしーてー!


 案の定騒ぎ出したが、どうやら注意してる子もいるらしい。


 フシャアアアアァァ――!


 あ、ゆいちゃんか。


『ドンジュアンという超かっこいい人と』

「俺はドンジュアン。チョーかっこいい男だ!」


 お、そこそこ上手く――かっこよくなーい! だれそれー! ――うっわガキども容赦ねぇな。


『スガナレルという変わったオジサンがいました』

「わぁたしくはスガナレル。ドンジュアン様のお友達でございます!」


 ノンピアスの人は相変わらず上手――ギャハハッハ! おもしろーい! ――すげぇ反応いいな!?


『ドンジュアンはとってもかっこいいけれど、少し悪い人でした』


 こいつはこいつで子供の反応を無視して劇を進めるのか……なんつうか流石だな。

 それはさておき、


「……上手く話せたみたいだな」


 静かに呟いた。

 ドンジュアンの役は変わらずピアスの人が担当していて、三人の演技に不穏な空気は感じられない。純粋に子供達を楽しませようとしているのが伝わってくる。


 俺は脱力して、大きく息を吐いた。

 初めての経験だった。誰かと一緒に何かをやる……本当に分からない事だらけだったが、どうやら無事に終わりそうだ。


 果たして、劇は滞りなく進んだ。

 やはり子供達は騒いでいたが、劇が進むにつれてその声は小さくなった。純粋に、話が面白かったからだろう。場合によっては騒いでるクソガキを強制退場させようと思っていたが、こういう正攻法の力技は、なんというかあいつらしい。


 俺は、ガキの頃にロミオとジュリエットを見た事がある。教養がどうとかいう話を聞かされた後、劇場に連行されて大人しく数時間座っていたのを覚えている。


 確か、あの劇で見たロミオはとても賢い人物だった。しかし、このヴェローナ物語に登場するロミオは、とても愚かだ。


 ロミオの母に目を付けたドンジュアンに見事に言い包められて彼を屋敷に住まわせることになったり、手を繋いだら子供が出来るという園児並の性知識をドンジュアンに笑われたり、とにかく頭のネジが何本か外れたような存在だった。


 しかしながら、文字通り子供のように真っ直ぐジュリエットへの愛を口にしたロミオに、ドンジュアンは心を動かされることになった。


 果たして、ドンジュアンのロミオ告白大作戦が始まる。

 舞台は、原作でロミオとジュリエットが恋に落ちたバルコニーのシーンへ。


 人形劇の舞台でも、可愛らしい作りの家とベランダバルコニーが登場していた。ここでロミオは、ドンジュアンのサポートを受けてジュリエットに告白をする。


 しかしそれはロミオの言葉ではない。ロミオは背後に隠れたドンジュアンの声に合わせて、身振り手振りを付けるだけ。それがドンジュアンの作戦だった。


 だが彼にはひとつ誤算があった。それはドンジュアンの婚約者が、ジュリエットと仲良くなっていたことだ。ちょうどロミオがバルコニーに訪れた時、二人は同じ部屋に居た。


 果たしてドンジュアンの声に気付いた婚約者は、ジュリエットを盾に背後で台詞を言うという、ドンジュアンと同じ作戦を実行することにした。


 最初はスラスラと愛の言葉を口にしていたドンジュアンだが、それに対して婚約者は辛辣な言葉で返事をする。やがてケンカとなり、絶対に修復不可能な状態になった。


 その時には、ロミオもジュリエットも身振り手振りを付けることを止めていた。


「……もう、ダメです。嫌われてしまいましたわ」


 ジュリエットは涙を流す。

 それを見て、ロミオは――


「違う! 聞いてくれジュリエット、今のは僕じゃない!」


 真実を明かし、初めて自分の言葉を口にした。その真っ直ぐな愛の言葉はドンジュアンと婚約者のケンカを止め、ジュリエットの心をしっかり掴んだ。


 皮肉な話だ。

 自分に自信が無いから自分よりも優秀な人を頼ったのに、結果的にはそれが原因で失敗してしまった。そんな絶望的な状況は、しかし自分の素直な言葉によって覆された。


 ならば、きっと初めから自分でやっていればもっと上手くいったのだ。自分を信じていれば、何も問題は起こらなかったのだ――いや、それは違う。


 ドンジュアンが居なければ、ロミオは一生かかっても告白出来なかっただろう。結果はどうあれ、ロミオは彼によって機会を得たのだ。


 俺も同じだ。

 みさきのおかげで、いろんな人のおかげで今が有る。

 

 それはきっと、プロみたいな演技力でロミオを熱演しているあいつも同じだ。


 果たして緞帳が降りた時、舞台には子供達からの惜しみない拍手が注がれた。







 劇が終わったあと、まずは五十人の子供達をバスへ誘導し、後の事を保育士の二人に任せてホールに戻った。そこで父母の会の五人は、まず家に子供を届けてから、再び公民館に戻って片付けをするということになった。


「貴方は来なくていいです」


 と、戸崎結衣。

 相変わらずの言葉に俺は苦笑いした。


「ゆいぽん、ロミオの演技凄かったです!」

「いえいえ」

「流石戸崎さんですね」

「いえいえ」


 俺への態度はともかく、あの二人とは本当に上手くいっているようで何よりだった。


 そんな流れでみさきを家に送って、直ぐにまた公民館へ戻った。祭りの後は寂しいと言うが、まさにその通りで、片付けをする時はぽっかりと胸に穴が開いたような気分だった。


「呼んでないんですけど」


 と、戸崎結衣。

 わざわざ言わなくてもいいっつうの。


 果たして片付けも終わり、ついでにホールの掃除もした後、四人で別れの挨拶をした。あいつによる事務的な挨拶だったが、ノンピアスの人は感極まって泣いていた。


 解散した後、俺は一人で公民館に残った。

 早くみさきに会いたいという気持ちはあるけれど、ちょっとだけ見てみたいものがあった。


 ホールを挟んだ反対側。戸崎結衣が一人で弁当を食べていた場所。昼間はガラス張りの窓から降り注ぐ日光が眩しいだけの場所だが、夕方になると景色が一転する。


 昨日、残った三人と話をした後は少ししか見られなかったが、一度しっかり見てみたいと思っていた。


 窓際に有る出っ張りに座ったら、残念ながら外の景色を見ることは出来ない。そして不親切なことに、反対側に座る為の物は存在しなかった。俺は仕方なく壁に背を預けて、窓の外を見る。


 思った通り、綺麗な夕陽と景色が広がっていた。

 開けた視界に映る木々と屋根、少し大きな池。それらが茜色の光を反射して、神秘的な輝きを見せている。


 長く息を吐いて、脱力した。

 疲れた。それほど体を動かしていないのに、それはもう疲れた。このまま夕陽を見ていたら眠ってしまいそうだ。というか、もう目を閉じていた。


 シーンと、静寂がここに俺しかいないことを伝える。


 ……帰るか。


 そう思った直後、足音が聞こえた。

 目を向けると、あいつが此方へ歩いてきていた。


「……」


 すたすた歩いた戸崎結衣は、なぜか俺の隣で止まると、同じように壁に背を預けた。


「……」

「……」


 なんとなく動くタイミングを奪われた俺は、仕方なく夕陽に目を戻す。

 その時、息を吸い込むような音がした。


「……今日はっ」


 トンと床を鳴らして、彼女は俺の前に立った。

 夕日に照らされた頬が茜色に染まり、それから、見たことの無い表情をしていた。


 彼女はもう一度息を吸って、




「今日は、ありがとうございました!」




 そう言って、走り去った。

 きっと、その背中を目で追う俺は間抜けな表情をしていたと思う。


「…………」


 また、大きく息を吐いた。

 またしても帰るタイミングを失ってしまった。


 壁に背を預けたまま、思わず頭を抱える。


「……やばい」


 我慢しても頬が緩む。

 ありがとうって、こんなに嬉しい言葉だったのかよ。

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