第54話 夏祭りに行った日(1)

 そろそろ七月も終わる頃。

 みさきを迎えに行った帰り道、俺は一枚のポスターの前で足を止めた。


 夏祭り。毎年近くで開催されていることだけは知っていたが、この街に住み始めてから一度も参加していない。それは特に興味が無かったからなのだが、今年は事情が異なる。


 俺はポスターに目を向けたまま、みさきに声をかけた。


「みさき、お祭り行ってみたいか?」

「おまつり?」


 と直ぐに返事をするみさき。相変わらず言葉数は少ないが、ようやく発声練習の効果が出てきたのか、最近は反応が早くなった。


 足下に居るみさきに目を向けて、きょとんとした顔に問いかける。


「行ったこと無いか?」

「……ん」

「そうか。なら、行くか?」

「……ん」


 なんか乗り気じゃねぇな。とりあえず行っとくか、みたいな感じだ。俺がそんな感じだからか?


 いつもならみさきを乗り気にする為にアレコレ喋るところだが、俺も祭りとか一回しか行ったことねぇしな……しかも無駄に高い物を食い歩いたって記憶しか残ってねぇ。


「……今晩、六時からだそうだ」

「……ん」


 結局、何も思いつかなかった。




 果たして俺達は祭りまで足を運んだ。小日向さんも誘おうかと思ったが、最近は大きな祭りの準備とかで忙しいらしいから遠慮しておいた。


 今回参加する祭りは川沿いにある広場で開催されるもので、普段はポツンとベンチが置いてあるだけの場所に、今日は沢山の屋台が立ち並んでいる。


 そしてその広場からかなり離れた場所で、俺とみさきは立ち竦んでいた。


 ……なんだ、この人の多さ。


 道が無い。むしろ地面が人と同じ高さまで盛り上がったんじゃないかって思えるくらいだ。


 俺は慄きながらみさきに目を向けた。なに? とパチパチ瞬きするみさき。俺は思う、あの中にみさきが飛び込んだら、確実に飲み込まれてしまう。


 引き返すという道もあったかもしれない。

 だが俺は、この祭りに参加するという方向で考え始めた。

 問題はただひとつ、みさきの身長だ。ならば!


「……ん?」


 俺は膝を折って、みさきと目の高さを合わせた。


「持ち上げるぞ」

「もちあげる?」

「ああ、肩車だ」


 俺は軽く呼吸を整えてから、みさきの脇に手を入れて一気に持ち上げた。突然のことに驚いて少し暴れるみさきをなんとか肩に乗せると、小さな脚でガッチリ首を決められ、ついでに髪を掴まれた。


「みさきっ、落ち着け、大丈夫だ!」

「……」


 みさきの手がガタガタと震えて、俺の毛根がちょっとした悲鳴を上げる。ふっ、だが問題ない。俺の毛根はみさき一人支えられないほどヤワじゃない。


「だけどやっぱ少し痛い! みさきっ、落ち着いてくれ!」

「……どこ?」


 喧騒の中、すっげぇ小さな声が耳に届いた。

 どこって下だよ! りょーくん下に居るよ!


 俺は一度みさきを降ろして肩車について説明した後、再びみさきを持ち上げた。今度は暴れなかったが、やはり首は決められた。髪の方はダメだったが、こっちなら鍛えてるから問題ない。


「よし、行くか」

「……ん」


 みさきの小さな声は聞こえなかったが、雰囲気で頷いたのが分かる。俺はしっかりとみさきの足を掴んで、人の群れに飛び込んだ。


 外から見る分にはうんざりするくらい人が居たが、中に入ってみると思ったほどじゃなかった。それは俺の身長が平均よりも頭ひとつくらい抜けているからかもしれない。視界は良好で、先の方までよく見える。


「どうだみさき、面白そうな屋台あるか?」


 頭上のみさきに向かって声を投げかけた。特等席にいるみさきの顔は見えないが、肌を通じて伝わるみさきの動きから、あちこちキョロキョロしているのは分かる。


「……」

「わりぃ、何か言ったか?」


 小さな声が聞こえたような気がしたが、周りの音のせいでうまく聞き取れない。


 目線を上に向けていると、みさきの手が視界に映った。それが指差す方に目を向けると、そこには金魚を扱う屋台があった。


「やってみたいか?」


 返事の代わりに、みさきはトントンと俺の頭を叩いた。やりたいらしい。


 流れに従って歩くこと数分、俺は目的の屋台の前で足を止めた。


「ラッシャイ! いっかひゃっえっよ一回百円だよ!」


 何語を話してんだこのオッサン。


「みさき、降ろすぞ」


 乗せた時と同じように手探りでみさきの脇に手を入れると、小さな抵抗があった。


「みさき?」


 ふと、乗せる時に暴れていたことを思い出す。もしかしたらみさきは高い所が苦手なのかもしれない。心の中で謝りながら膝を折って、頭が地面に付きそうなくらいに体を丸めると、みさきはゆっくり地面に降りた。


ひゃっけん、よ!百円だよ


 相変わらず何を言ってるのか分かんねぇが、オッサンの隣に一回百円って看板があることから察するに、たぶん金を要求されている。


 財布から百円玉を二枚取り出して渡すと、オッサンは水の入ったボウルとポイを俺とみさきに手渡した。俺が受け取ると、みさきも同じように道具を受け取る。


 ポイをクルクル回して物珍しそうな目をするみさき。


「みさき、これは金魚すくいだ」

「きんぎょ?」

「ああ。このポイを使って、金魚をすくう遊びだ。見てみろ」


 ちょうど俺達と同じくらいのタイミングでポイを受け取った一組の男女の方を見る。よーしと言ってポイを構えた男が、さっと金魚を一匹すくいあげた。それを見て女の方がすごーいと黄色い声を出す。


「……」

「……りょーくん?」


 俺は男女から目を離して、金魚達を睨み付けた。


「みさき、見てろ」

「……ん?」


 俺は先ず、イメージした。


 金魚をすくう自分の姿。

 それを見て目を輝かせるみさきの姿。


 このイメージを無意識のレベルにまで刷り込んだ後、あらためて獲物を見る。


 ……この勝負、負けられない。


 俺はポイを構え、まずは観察した。水槽には沢山の金魚が居て、それぞれ大きさが違う。大きさ以外にも、動き方が違う。元気に泳ぎ回る金魚、水面でパクパクしている金魚、底の方でじーっとしている金魚……。


 ……大人しいヤツはダメだ。力を隠してる臭いがぷんぷんする。泳ぎ回ってる奴も論外だ。となると残ってるのは水面でこっちを挑発してる奴らか。こいつら、なんでパクパクしてんだ?


 理由は分からないが、売られたケンカは……買うしかねぇ! もう金払ってるし!

 いくぜ! 勝負だ金魚!


 俺はパクパクしている中でも出来るだけ小さいヤツに向かってポイを近付けた。

 ポイが金魚に近付く度、集中力が増していく。

 やがて音が消え、色が消え、世界には俺と金魚だけが残された。


 ……静かだ。


 金魚の動き、ヤツが口を動かすリズム、タイミング。そのすべてが手に取るように分かる。

 俺は直感に従って金魚の下にポイを忍び込ませ、そっと持ち上げた。


 見事に持ち上がった金魚はポイの上で一度だけ体を痙攣させると、負けを認めたかのように動きを止めた。


 ……ああ、聞こえる。みさきが俺を称賛する声が、俺の内側から聞こえて来る。


「ま、ざっとこんなもんだ」

「……ん」


 と頷いて、ポイを構えるみさき。

 あ、あれ? リアクションそれだけ?


 がっくりと肩を落とす俺。


 すごーい! 十匹目! という声と、ポイの上で動きを止めていた金魚が水の中に落ちた音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。


 そして少ししょんぼりした俺が見守る中、みさきが金魚にポイを近付ける。

 流石みさき、一度見ただけで学習したのか見事に金魚をすくいあげた。

 そのあとポイを上下に振って金魚を下に落とす。


「……」


 破れたポイから目を離し、どう? という目で俺を見るみさき。

 流石みさきだ。俺がやった事を忠実に再現……いや、これそういう遊びじゃねぇから。

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