間章 春前

第28話 SS:ゆいとみさきと将来の夢

 ぽんぽこ保育園では、今日もたくさんの園児が楽しく騒いでいる。


 昨今、幼児施設からの騒音にクレームを入れる心に余裕の無い都会人が話題になったが、そんなもの都会から外れた場所にあるぽんぽこ保育園には関係ない。


「まったく、すこしはしずかにできないのかしらっ」


 文句を言うのは彼女くらいのものである。

 彼女の名前は戸崎(とさき)ゆい。少し短い髪を可愛らしく二つ結びにした女の子は、それをプイッと揺らして頬を膨らませる。


「まったく?」


 ゆいと机を挟んだ位置に座るみさきは、きょとんと首を傾けて少し長い髪を揺らした。


 机の上には算数ドリル(2年生)とノートが並べられていて、二人は今日も仲良く勉強している。


 まったく、みさきは掛け算も出来ないのね、と得意気な顔をするゆいが、割り算を覚えたみさきにライバル心を燃やすのは少しだけ先の話。


 まずは9×9くくを覚えるのよ、と元気に言うゆいの顔をじーっと見るみさき。


「なに?」


 じーっとゆいの顔を見るみさき。

 

「なにかついてる?」

「ゆいちゃん、しょうらいのゆめ、なに?」


 無垢な瞳で問われたゆいは、まぁと目を輝かせる。むふんと鼻を鳴らして立ち上がると、えっへんと腰に手を当てて言った。


「ぐもんね!」

「ぐみ?」

「そーそー、しょうらいはグミみたいなおいしいレディーに……なりません! ぐもん!」


 言葉の意味を聞いたつもりだったみさきは、思わぬノリツッコミに眉をしかめる。


「まったく、いちにんまえのレディーをめざしてるっていってるでしょ!」

「めざす?」


 理解できるキーワードから意味を類推しようとするみさき。


「そう! そのために、ならいごとだってしてるんだからっ」

「ならいごと?」

「レディーのたしなみ!」


 機敏な動きで椅子に座り、タタタンと指で机の上を撫でる。


「ピアノ! おんがくはレディーのたしなみ!」

「ぴあの?」

「ふふん、みさきにきかせてあげるね!」


 確かお昼寝するところに置いてあったはずだ。ゆいは立ち上がり、きょろきょろと首を振って保育士を探す。


「……せんせー、せんせー、ママじゃなくて、せんせい……」


 すー、はー。


「ママ! ピアノつかってもいいですかっ、はっ、れんしゅうしたのに!?」


 子供らしく元気に騒ぐゆいを見て、子供らしからぬみさきはパチパチと瞬きをした。


 果たして、困り笑顔を浮かべた保育士が監督する中で、ゆいによるミニコンサートが始まる。


 椅子に座り、ペダルに届かない足を揺らしながら、ゆいは得意気な笑みを浮かべた。


「……きょくもくは、エリーゼをふんじゃった」


 混ざってるよ! と心の中で思いながら、保育士は拍手をする。


 何が始まるのだろうとドキドキするみさきの前で、ゆいは第一音を鳴らした。


 エリーゼのために。

 小さな手を一生懸命に動かした見事な演奏に、みさきはもちろん保育士も息を飲んだ。ペダルを使えず指も届かないせいで、少し音が飛んでいるように聞こえるが、とても5歳とは思えないような演奏だった。


 この曲は静かなアルペジオで始まり、どこか寂しい雰囲気の落ち着いた音が奏でられる。


 それは、あるところで一変する。

 弾むように軽快な音色。一人で演奏しているとは思えない程に多くの音が次々と響き渡る。


 演奏が終わった後。

 保育士は、ぽかんと口を開けていた。


 ゆいが振り向く。

 保育士は思い出したように拍手をした。みさきもペチペチと手を叩いた。


 ゆいは満足した表情で椅子から降りて、えっへんと鼻を鳴らす。


「レディーのたしなみ!」


 その姿が、みさきにはとてもキラキラして見えた。

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