第26話 いろいろ記念日

「みさき、あと一歩だ。頑張れ」


 俺が戦いを終えた後。

 みさきもまた、やり遂げようとしていた。


「……ん」


 牛丼ミニ。みさきの前に立ちはだかるタンパク質の塊は、あと一口というところまで減っていた。


 深呼吸を繰り返すみさき。

 その幼い額でキラリと汗が光る。


 やがてみさきはキリリと力のある眼差しを牛丼に向けて、最後の一口を子供用スプーンで持ち上げた。


「……」


 それが口に入る直前。

 みさきは、グッと身を引いた。


 本能が避けているのだろう。

 みさきの小さな胃が、全力で拒絶しているのだ。


 ……頑張れ。


 俺は机の下で拳を震わせる。

 みさきは目を閉じて、長い息を吐いた。


 そして小さな口を思い切り広げる。

 そこに子供用スプーンを突っ込んだ。


「いぃぃよし!」


 みさきは大きな目を見開いて、俺を見る。みさき自身も驚いた様子で、最後の牛丼を咀嚼している。


 小さな口元がムニョムニョうごく。

 一回、二回、三回と攻撃を繰り返して――ゴクリと喉を鳴らした。


「……ごちそうさま」


 それは初めての「ごちそうさま」だった。


「やったなみさき! ついに完食だ!」

「……ん!」


 みさきは勢い良く頷いた。

 直後、顔色を青く染めて俯いた。


「お、落ち着けみさき。大丈夫だ、慌てるな」

「……ん」


 ギュッと口を一の字にして上を向くみさき。

 数秒後、顔を正面に戻したみさきは、ほっと息を吐いた。思わず俺も安堵の息を吐く。


「やったな。カッコよかったぞ」

「……ん」


 あらためて、声をかける。

 みさきは嬉しそうな顔で、静かに頷いた。




 夜。

 三人は銭湯へ向かっていた。


「おー、全部食べたの? ひひ、すごいね」

「……んっ!」


 みさきと小日向さん。

 スッカリ仲良くなった二人の隣で、龍誠は空気になる。


「そっかぁ、みさきちゃん。きっと将来は大きくなれるね」

「……ほんと?」

「うん、いっぱい食べるんだよ。ほんと、私みたいに後悔しないようにね……」


 そっと両胸に手を当てる檀。

 みさきは不思議そうな顔をしながら、龍誠に目を向ける。


 みさき二人分くらい大きい龍誠。

 立っている時、龍誠の顔はみさきから遠いところにある。


 そこに近付けるなら――


「みさき? どうかしたか?」


 ぷいっと顔を背けたみさき。

 ショックを受ける龍誠とふひふひ笑う檀。


「ふふん、実は私も、今日はスペシャルな檀さんなのです」

「……ん?」

「あとは海苔を挿れて終わり! ふへへ、今回は早かったなあ私」


 のり?

 料理のこと?


「……いっぱい」


 もう食べられないよと呟いたみさき。


「そ、それはちょっと困るかな……」


 修正点が多いとアヘってしまう檀。

 いまいち噛み合っていない二人を見ながら龍誠は気を引き締める。彼の一週間に対する評価が決まるのは、このあとだ。




 脱衣所に入った龍誠は、直後に目的の人物を見つけた。


「よう、一週間振りだなロリコン」

「ああ、パソコン返して貰いに来たぞ天童龍誠」


 ロリコンを自然と受け入れる和崎は、龍誠の名前をフルネームで言って振り向いた。


「傷とか無いだろうな?」

「当たり前だろ。さっさと確認しろ」

「ああそうだな。確認させてもらうよ」


 和崎は受け取った鞄を開いて、慣れた手付きでノートパソコンを掴んだ。約2キロはあるそれを片手で持ち上げて、傷など無いか確かめる。


「なにしてんだ?」

「何って傷を見てるんだよ」

「そこは冗談だよ。プログラムの話だ」

「ああ、はいはいプログラムね」


 和崎は雑に返事をして、


「……はあ?」


 呆れた様子で言った。

 その態度を前に、ある程度はバカにされると予測していた龍誠もムッとする。


「おいおい天童龍誠、パソコン、触ったことすら無いって言ってなかったか」

「ああ、今回が初めてだ」

「それが、一週間で? 誰に教わった?」

「自力だ。友達はいないんでな」


 はは、と笑う和崎。


「いいから早く確認しろ」

「……まあそうだな。見れば分かるか」


 和崎は床に座ってパソコンを開いた。


「ソースは?」

「あ? なんか食うのか?」

「飯の話じゃない! 天童龍誠が書いたプログラムは何処かって聞いたの!」

「ならそう言えよ……」


 龍誠は高慢な態度で、しかし内心ではビクビクしながらプログラムの在り処を教える。


 和崎は半信半疑でプログラムを確認する。

 彼は、絶対に無理だと思っていた。もしも自分が初めてパソコンに触れたとして、一週間でゲームを作れと言われたら……まあ、きっとショボいモノが完成するだろう。それは自分を過大に評価している彼の感想だ。


 ならば、他の人はどうだろう。

 絶対に無理だと和崎は結論付けた。


 ネットから答えをコピペする。

 詳しい人間から指導を受ける。


 それ以外の方法では不可能だ。

 そして、どのような方法でプログラムを書いたのかは、中身を見れば直ぐに分かる。


 和崎は、龍誠が作ったプログラムを見て、


「……なんだよ、この下手なプログラムスパゲティ


 微かに口角を上げて、笑った。

 彼の目に映ったのは、初心者が必死に作り上げた下手なプログラム。上級者、もしくは正しい教えを受けた者には、決して作れないものだった。


「……相変わらずだな、天童龍誠は」

「あん? 何が相変わらずなんだ?」

「そこは聞き流せよ! 主人公らしく難聴しろよ!? 僕がヒロインじゃないからかそうなのかおおん!?」


 なにキレてんだこいつ。

 龍誠は心の中で呟いた。


 和崎はハァと息を吐いて、パソコンを閉じる。それから鞄にしまった。


「おい、動かさなくていいのかよ」

「頭の中で出来る。僕を舐めるな」


 何者だよこいつ。

 龍誠は驚愕する。

 

「湯船に行こう。ツッコミ待ちだったが僕は全裸なんだ。風邪をひいてしまうよ」

「いや待て、プログラムはどうなった」

「合格だよ」


 それは、あっさりとした言葉だった。


「……マジか?」

「僕は約束を守る男だ」


 和崎は背中を向けたまま言って、


「先に入ってるからな。マジで寒い。詳細は後で話すから、さっさと背中でも流しに来いよ、天童龍誠!」


 パタンと音を立てて、脱衣所との間にあるドアを閉めた。


 残された龍誠は、ドアを見ていた。

 動けなかった。何が起きたのか、分からなかった。


 ……認められたのか?


 龍誠が作ったのは、ガラクタだった。

 子供がゴミで組み立てたかのような、大人からすれば笑ってしまうようなものだった。


 実際に和崎は笑った。

 そのうえで合格だと言った。


「……マジか」


 ロッカーに背中を預けて、呟いた。

 歓喜している。それと同じくらい驚いている。プラスマイナスゼロで、どう反応すればいいのか分からなかった。


 ただひとつ、事実がある。

 彼は今日、はじめて他人に認められた。


 認められたのだと、自覚した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る