第10話 同人誌を読んだ日

「限界だコラ!」


 バイト初日の深夜、数時間ぶりに客がゼロになった直後、俺は叫んだ。


 もう無理だ。なんだこれ、ありえねぇ。


「まったく根性のねぇやつだなぁ。数時間前のテメェはどこに行った」

「こんなこと毎日やってられっか! 客の民度低すぎだろチクショウ!」

「そうかぁ? どこも同じようなもんだと思うぞ?」

「ねぇよ! 最底辺を生きてきた俺が言うんだから間違いねぇ!」

「そりゃテメェの世界が狭いだけの話だ」


 世界が狭いだと……?


「どこの世界に言葉の暴力を行う為だけに入店する客がいるんだよ!?」


 あのオッサンはマジで腹立った。

 しかも何も買わずに帰りやがったし!


「あの人なら3日に一度は来るぞ?」

「テメェよく今まで相手にしてられたな!? 入店と同時に『んだよまだ潰れてねぇのかよこの店』とか言われてただろうが!?」

「あれは……あっ、まだ潰れてなかったんですね。良かったです。お客さんが少ないので心配していて……って意味だ」

「んな好意的な客だったら俺はキレてねぇ!」

「言葉遣いの大切さが良く分かるなぁ」

「言葉遣いだ? ふざけんな、悪意があるか無いかの次元だろうが!?」

「うるせぇ男だなテメェは。考えが足りねぇんだよ、もっと頭を使えクソガキ」


 頭を使うだと……?


「なら、初対面の相手に『あんたの顔きもちわりぃな、なんで生きてんの?』とか言いやがったクソ野郎が何を考えてたのか言ってみろよ」

「そいつは……初めて見る顔ですね。とても生き生きして見えます。私とは大違いです。あの、どうしたらそんな風になれるんですか? 私、自分がどうして生きているのか分からなくて……という意味だ」

「ねぇよ!」


 ただの妄想じゃねぇか!?

 頭を使うって妄想力の話かよ!?


「いいかクソガキ、世の中だいたいこんなもんだ。それにイチイチ腹を立てるのはテメェの精神が幼い証拠だ」


 こいつ、またガキ扱いしやがって……。


「……客の前では文句を言わなかっただろうが」

「ほんと口の悪いガキだなテメェは」

「はいはいすみませんでした店長様」

「まずは言葉遣いだな。意識してみろ、クソガキ」

「……分かりました、意識しまーす」


 あぁイライラする。イライラすると煙草を吸いたくなりやがる。みさきに誓って吸わねぇけど……煙草、たばこ、タバコ、このキーワードは最初の方に来た汚いオッサンを思い出してイライラする。八方塞がりだチクショウ! やっぱ客の民度低いよな? 俺がガキなわけじゃねぇよな!?


 神に問いかけていると、新たな客が現れた。


「いらっしゃいませぇ~」


 すっかり慣れた店長の猫撫で声に続いて、俺も客に挨拶をする。


「しゃーせー」


 しっかし、いい感じに暇な時間が短い店だな。

 もう二時を過ぎてるってのに……奇特な客もいるもんだ。


「あ、どもども、ご無沙汰してます。新しい人が入ったんですね。えっと……」


 ほぅ、この店に来る客にしちゃ丁寧な言葉遣いだな……ん?


 どっかで見覚えあるぞこの女。

 妙に綺麗な肌と黒髪に眼鏡、それから少し猫背で地味な女……思い出した、こひなた……ま、まゆ……お隣さんだ。


「なんだ、お前ら知り合いか?」

「お隣さんだ。です」

「……ど、どうも、偶然ですね……ふへへへ」

「ほぅ、なんだそういう関係か」

「そういう店長も知り合いなのか? ですか? 他の客の時はきもちわる、不思議な言葉遣いをしていたのに、今はタメだ。ですよ」

「本音が漏れてるぞクソガキ。こいつは常連で、しかもツケがある……まぁそういうことだ」


 金を払わないヤツは客じゃねぇってことか?

 しかしツケか……この女のことは全然知らないが、少しだけイメージと違うな。


「さてさて、今日はツケを増やしに来やがったのか? それとも返しに来たのか?」

「……さ、さーせん、増やしにきやした……ふへへ」


 まぁ変わった人間って意味では、この店にピッタリの客なんだが。


「たく、テメェは……今度は夏コミまで待ってくれとでも言うつもりか?」

「いやぁ……ふひひ、へへ」


 なつこみ?


「こいつは同人作家なんだよ。年に二回だけは金持ちになれるレベルのな」


 ……作家? へぇ、こいつ作家だったのか。


「……あ、あのぉ、その話は、ええとぉ……」

「お、なんだ自分で話してぇのか」

「あへっ!? そそそ、そんなこと言ってない……」

「だそうだ。聞いてやってくれ」

「いやいや……」


 なに言ってんだこのクソ店長。

 見るからに嫌そうっつうか、冷凍室に突っ込まれたみたいに唇震わせてんぞ。


「明らかに嫌そうだろ。ですよ」

「まったく、女心の分からねぇ野郎だな……」


 …………。


「どんな本を書いているんだ? ですか?」

「あへっ!? へ、いや、その、一般人にお見せするようなものじゃ……」


 一般人に見せられない?

 なんだそれ……まさか、国家機密?


 それとも企業の未公開情報?

 どちらにせよ、こいつただ者じゃねぇな。


「なぁに心配いらねぇよ。俺がこのガキと出会ったのはアニメイトだ。こっち側の人間だよ、こいつは」


 なに言ってんだこいつ。こっち側って何の話だ。


「……そ、そうなんですか?」


 いかん、どう返事をすればいいのか分からん……くっ、肘で突くなクソ店長。


「……ああ、そうだよ」


 チクショウ、もう後戻り出来ねぇじゃねぇか。

 なんか興味深そうな目で俺を見てやがるし……俺、一体どうなっちまうんだ?


「……今期のオススメは?」


 あ? 婚期のオススメ? なんだそれ暗号か?

 ……くっ、どう答えるのが正解なんだ。全然わからん。ええい、なるようになれ!


「そんなの、人に聞くことじゃねぇだろ。テメェの一番に出会えた時、それ以外にねぇよ」


 ……ど、どうだ? 合格か?


「……ふ、ふへへ。まさかこんな身近に同志がいたなんて。人口が増えてるって、本当だったんだ」


 同志? 人口? 良く分からんが、合格しちまったらしいな。一応、逃げる準備だけしとくか。


「な、俺の言った通りだろ?」

「……は、はひ。意外でした」

「どうだろう。その本、こいつに読ませて感想を聞くってのは」

「だだだ、ダメですよそんなプレイ! アヘっちゃいますよ私!」

「こんなチャンス滅多にないぞ?」


 ……専門用語が多くてわからん。何の話をしているんだ? どうやらクソ店長が女を説得したらしいが……って、なんかチラチラ見られてるな。


「……あの、ええと、そのぉ、同人誌とかにも、理解あるんですか?」

「もちろんだ」


 とりあえず肯定しておこう。

 機嫌を損ねたらやばそうだからな。

 

「……では、どうぞ、お手柔らかに!!」


 女は大事そうに抱えていた封筒を俺に渡した。

 俺は緊張を隠しながら受け取って、中を見る。


 紙が入っていた。

 まさか、これを見た瞬間から面倒毎に巻き込まれたりは……いやいや、なにビビってやがる。 


「読むぞ?」

「……ど、どうぞ」


 ……なんなんだこの緊張感。

 こんなの、むかし山に捨てられた時以来だぜ。


 ごくりと息を飲む。

 中にあるそこそこ分厚い紙の束を掴み、ゆっくりと封筒から出した。覚悟を決めて、それを見る。


 白紙だった。

 裏返す。

 

 ……漫画?


 やけに胸の大きな女が、妙に上気した表情で何処かを見上げている。

 

 ……とりあえず、二枚目の資料を見よう。


 ふむふむ、まずは自己紹介か。

 次のページ……お、二ページ目で告白か。これが噂に聞く肉食系ってヤツなのか?


 その次は……おいおい、ペース早くねぇか? 三ページ目にして濃厚なキスしてるぞこいつら。


 それからそれから…………………………。


 なるほど、よく分かった。

 エロ本だ。


「……わくわく」


 わくわくってなんだ、何を期待してるんだこの女。変態なのか。俺はどういうリアクションをすりゃいいんだ。


「……」


 やっべぇ、何も思いつかないまま読み終わっちまった。


「ど、どうでしたか?」

「…………絵が上手いな。ビックリした」


 嘘は言ってねぇ。ていうかコレ意外に感想がねぇ。


「……そ、そうですか。あの、内容はどうですか? わ、私としては、そこそこシコリティ高いと思うのでしゅが、その、是非とも若い男性の意見をお聞きしたいなぁと……思う所存でして、ふへへ」


 専門用語しか言えねぇのかこの女。

 シコリティってなんだ、クオリティの親戚か?


「まぁ、ちょっと展開が早い感じはするが、いいんじゃねぇの?」


 なに真面目に返事してんだよ俺。これアレだろ。逆セクハラってやつだろ。ほんっとビックリしたわ。


「……なるほど、参考になります」


 作家は作家でもエロ漫画作家とかいう予想外の真実だったが……何も言うまい。


 仕事は仕事だ。俺がとやかく言うことじゃねぇ。

 それはそうと……。


「おい、なに笑ってんだクソ店長」


 俺がエロ本を読み始めたくらいから床で転げまわっていた。声を抑えてるからか女にはバレてないようだが、俺には気になって仕方なかった。


「……すまん。あんまりにも、面白かったもんでな」

「面白い?」


 問いかけると、クソ店長は立ち上がってコホンと咳払いをした。


 それから、そこそこ真剣な表情で女を見て言う。


「わりぃな、騙した。こいつ一般人だ」

「…………………………」


 クソ店長が真実を告げると、女は顔を真っ赤にして、入店した時とは比べものにならないくらいに唇を震わせた。


 それから、ウソですよね? という目で俺を見る。


「店長の言う通りだ。話を合わせていた。ぶっちゃけ何も分かってない」


 女は大粒の涙を流しながら悲鳴を上げ、封筒を持って走り去った。


 なんというか、ちょっとだけ罪悪感がある。

 だけど、女が去った後にクソ店長が苦しそうに笑っている姿を見て、全部こいつが悪いと思うことに決めた。



 

 そんなこんなで、初めての飲食店勤務が終わった。

 あれが一般的な飲食店かと考えると絶対に違うと断言できるというか、マジで特殊過ぎて、当初の経験を積むという目的から外れまくってるような気がするが……とりあえず、一週間は続けてやろうと思う。好き放題言われたままじゃ悔しいからな。


「……おかえり」


 大きな溜息を吐きながら部屋に戻ると挨拶された。

 その微かな笑顔を見るだけで、心の闇が晴れる。


 ああ、みさき。

 天使かよ。みさきは本当に可愛いなあ。


「ああ、ただいま」


 普通に挨拶した直後、気付く。


「まだ起きてたのか?」

「……ん」


 問いかけると、布団の上に漢字ドリルとノートを広げたみさきが頷いた。


「……そうか」

「……ん?」


 どうしたの? そんな風に首を傾ける。


 ……今迄も一人で出かけることは何度かあったが、その間みさきは……。


 今さら気付いた事実に、俺は唇を噛んだ。


「寝るぞ、みさき」

「……ん」


 言うと、みさきは素直に頷いて本を片付けた。

 それを見守る俺の脳裏に、ある考えが浮かんだ。

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