送りたいのはありったけの「ありがとう」

CHOPI

送りたいのはありったけの「ありがとう」

 「三年間、お疲れ様でした!」

 同期が今日、退職をする。


 ――三年前の四月。

 新生活の波にもまれながら、自分も今日から新しく始まる社会人生活の不安と期待を胸に抱えて会社への道を歩いた。私の入社した会社は川沿いにあって、川に沿うように桜が植えられている。そのピンク色の花弁が舞っていて、青空にも恵まれたから凄くきれいな景色だったことを鮮明に覚えている。会社の前について一人、深く息を吸った。

 「……よしっ!」

 気合いを入れて扉を開きビルの中へと歩みを進めた。そしてその緊張を隠し切れないまま入社式に参加をしたことを、昨日のように思い出すことができる。


 その入社式の時、たまたま座っていたのが同期の一人の彼女だった。その日以降、新人研修が始まって、研修が終わったら配属先が決まって……という流れの中、彼女とは研修内容が一緒だったり、配属先も近かったりでなんとなく社内の同期の中では一番話をする仲になった。お昼に時間を見つけてはお互いに誘ってランチに行ったり、お互い仕事が落ち着けば早めに会社を出て飲みに行ったり。


 話の内容は仕事内容が被っているからほとんど仕事の愚痴、先輩に対する愚痴、上司に対する愚痴、先方に対する愚痴……。仕事から一歩外に出ると笑い上戸になる私の事が好きだと言って、彼女の言う愚痴は明るく笑い飛ばせる物がほとんどだった。他にもたわいもない話で盛り上がっては、二人でケラケラ笑ってた。


 そしてたまに「これから自分たちはどうしていきたいか」も語り合った。

 「私はもっと、こういう仕事も増やしていきたいと思っててね?」

 彼女はフワフワとした見た目とは裏腹に芯が強い子だな、と仲良くなって思うようになった。その芯の強さが時折瞳に出ることを知ったのは、いつ頃だっただろう。任される仕事に対して常に『もっとこうしたい』『もっとあれをやってみたい』という話を彼女はしていた。どちらかと言えばその話を聞いている私は逆で、任された仕事を淡々とこなすことが大事だと思っていた。だから『こういう仕事がしたい』というビジョンはあまり無くて、貰った仕事に対して『どう動けば効率よく、失敗も少なく、一緒に働く人たちが気持ちよく働けるのか』を考える事が多かった。だからお互いの意見を交換すると、私は参考になったし、同時にやりたいことがどんどん溢れてくる同期をうらやましいと思った。


 そんな彼女が数カ月前、私にだけこっそりと言った。

 「私、この会社辞めようと思うの」

 ……あぁ、やっぱり、か。何となく、そんな気がしていたというか、本人には言わなかったけど、彼女が言う「次のビジョン」にこの会社が入らなくなっていたことは薄々気がついてはいた。ただ、私は怖かったんだ。それを認めることが。だけど本人の口から聞いた以上、認めるしかなくて。

 「……そっか。予定はいつ?」

 そう聞き返すのが精一杯だった。


 「来年の三月末に合わせてかなぁ。引継ぎとかは少しずつ、しれっと後輩に始めてるし、あと数カ月教える時間はあるから問題ないと思う」

 そう言って彼女は笑った。そして続ける。

 「やりたいことをやれそうな場所が見つかったから」

 「……そっか。応援する」

 ――私の口から出た言葉は、本心、だっただろうか。


 彼女が退社する日。二人でランチに行くことにした。

 「あーあ、しばらくこのお店の味も食べ納めかー……」

 「別に、時間ある時に来ればいいでしょ」

 「いやまぁ、そうなんだけどね」

 社会人にもなればわかる。どんなに寂しがろうと職場が変われば前の職場の人とは連絡なんて基本は取らなくなる。恐らく私たちも例外ではない。少しだけしんみりした気持ちになってしまっている私。彼女の方はいつも通りに見えるけど、彼女も少しはセンチメタルな気持ちになっていたりするんだろうか。しばらくして注文したものがそれぞれのテーブルに運ばれてくると、何事も無いようにフォークを取り出しながら彼女は言った。

 「恥ずかしいからさー、一回しか言わないよ」

 そう前置きして、彼女は話し出す。


 「今までさー、三年間?になるか。ほんと、色々付き合ってくれてありがとう。愚痴とかさ、将来やりたい事とかさ、彼氏が欲しいー!っていうどうでもいい話とかさ。この三年間は自分にとって無駄じゃなかったし、凄く楽しかったし。だから退社だってめちゃくちゃ悩んだけど。でも最終的にその道を選ぼうって思ったのも、きっとキミと話すことの中でだと思うんだようね。だから本当にありがとう」


 目の前の彼女は本当に嬉しそうに笑っていたから。私は、言いたかったことを言葉にすることが出来なかった。


 「三年間、お疲れ様でした!」

 「三年間、お疲れ様ー」

 「こちらこそお世話になりました」

 会社を出ようとする彼女を送り出す人だかり。その光景を遠巻きに見つつ、さっきランチで言ってくれた言葉を思い返す。遠巻きに見ていた私の視線に気が付いたのか、彼女はわざわざこちらに来てまた、「今までありがとう」と繰り返した。いつも強かった彼女の瞳が少しだけ揺れた、と思った時。

 「じゃあね」

 そう言って彼女は会社の外へと向かって歩き始めた。


 本音は、本当は、言いたかった。

 あのね、私は寂しい。本当は行かないでほしいよ。まだ一緒に仕事もしたいし、この会社の愚痴も言いたいし、上司や先方への愚痴だって溜まってる。キミがあんなに楽しそうに語るこれからのビジョンももっとたくさん聞いていたい。

 だけど、そんなこと言えるはずも無かった。

 去っていくキミの背中に、唯一私が言葉にできたのは、精一杯の強がりの応援だけだったけど。


 「私の方こそ、今までありがとう。キミならきっと、大丈夫だから!」

 キミの背中を私の言葉で少しでも押してあげることができるなら、そう願った。



(「またいつか、どこかでね」の言葉は飲み込んだ)

(叶わない再開の約束をキミに背負わせてしまうより)

(キミのこれから行く道がどうか、良いものでありますように)

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