昨日、オナトモと電話をした。

首領・アリマジュタローネ

【前編】

昨日、オナトモと電話をした。


『なあ、知ってるか。今全国のコンビニエンスストアではマスクが売り切れになってるらしいぜ? どうしてかわかるか』


「コロナだろ? 日本人はビビりすぎなんだよな」


『馬鹿野郎。コロナの脅威を舐めてんじゃねーぞ。お前みたいな楽観主義者が真っ先に死ぬんだ』


「発症は何パーセントの確率だよ。かかったらその時はそのとき。諦めて死ぬわ。てか騒ぎすぎ」


『この前の台風だって大したことないとか言っておいて、大したことあったじゃん。YouTuberの誰かが炎上してなかったっけ。えーっと』


「シバター 」


『あーそうそう』



 オナトモが適当な相槌を打つ。オナトモの大したことのない雑談を聴きながら、テーブルに置いてあったハイボールを飲む。

 テレビもない部屋にはエアコンの稼働音だけが響いている。



『まあこの話はいいや。それでさ……』


「……んん」



 柿ピーを摘む。オナトモが何かを必死に語っているが、酔いが回ってきたのか、眠気がきたのか、全く頭に入ってこなかった。

 兎にも角にも、明日も五時起きだ。

 流石に二十四時までには眠りたい。



『おい、聞いてんのか?』


「いや、聞いてなかった」


『ボーッとすんなよ。俺が面白い話をしてんだろ』


「……明日も仕事が早いんだよ。お前みたいに暇じゃねぇーんだ」



 オナトモはいつもこうやって夜に一方的に電話を掛けたがっていた。寂しいのか、よく俺にメッセージを送ってくる。

 オナトモという呼び方をすると誤解を招くかもしれないが、それは単にコイツが“尾奈友おなもと”という苗字を持っているだけであって、そこまで加筆するほどの内容を含んではいなかった。

 別に相互鑑賞するわけではない。


 同じクラスだった同郷の、友達ってだけ。

 オナモトをオナトモに言い換えただけ。



「そういや、お前俳優になるって夢はどうなったんだよ?」

  


 オナモトは数年前地元から出て行って、東京で一人暮らしをしているようだった。

 もう数年は会っていない。


 大学を卒業してから、既に六年が経過しようとしていた。



『ああ、それは諦めた』



「は?」


 

『ダルくなった。……もういいだろ、その話』




 スピーカーからは不機嫌そうな声が聞こえる。



「いやいやいや、お前俳優になるために大学中退して東京来たんだろ? 今、なにやってんだよ」


『コンビニバイト』


「え、は? 夢は?」


『夢なんかで食っていけると思うか? 大事なのは生活力だ。金を稼いで、日々生きるために暮らす。まずはそこからだ』


「お前、変わったな……」



 酔いが覚めた。驚いた。オナトモみたいな奴がコンビニバイトという《ごく一般的な仕事》をしているとは思っていなかった。


 コイツは昔から変わっていた。人とは違うことをやりたがっていた。


 不良に女児向けアニメを勧めたり、突然思い立ったように海外旅行に行ってタイで仏教を広めたり、自転車で日本横断を企画したり、ミュージシャンになるとか言ってギターを買い出したり、俳優になりたいと語って上京したりと、何もかもが無茶苦茶な男であった。


 それが、なんだ? コンビニバイトって?



「コンビニバイトって、誰でもできる仕事じゃねーかよ……。それでいいのか?」


『いいってなんだよ。コンビニバイト舐めるんじゃねーぞ。レジ打ちのスピードを鍛えたり、店長とバイトシフトについて相談したり、掃除宅配便受付公共料金支払い手続きetc、その他諸々やることはたくさんあんだよ。コンビニが日本を牛耳ってると言っても過言じゃねぇ』


「……ああ、聞き方が悪かった。なんていうか、その、オナトモはさ。そういう奴じゃなかったっていうか」


『意味わかんねぇ』



 吐き捨てられた。まあ、確かにそうだろう。


 オナトモに期待していたのは俺の方である。平々凡々レールをはみ出さないように生きてきた俺にとって、オナトモはある種の夢であった。誰にもできないことを叶える男であると思ってた。勝手に期待して勝手に失望するのは変だろう。


 彼は悩んでいたのかもしれない。チャレンジするごとに失敗して、心が折れたのかもしれない。あれだけ行動力があったコイツが、都内のコンビニでアルバイトをするようになるまで落ちぶれるとは予想していなかった。


 年月はこんなにも人を変えるのか。



『それにしてもよー。東京オリンピック本当にやるのか? 今年だろ。宮迫の話題とか、レバノンに逃げた奴の話をするのもいいが、もっとするべきことがあるだろ。政府の対策はどうなってんだ』



「…………」




 開いた口が閉じられない。なんだ、コイツは? と思ってしまった。さっきから時事ネタしか話していない。流行なんてどうでもいい、俺がルールだと語っていた彼が、社会の情報に左右されている。メディアの奴隷と化している。


 CMやらテレビやらYouTubeの広告やらに影響を受けて、欲しいものを自分で考えて買うことを怠った資本主義の奴隷である。コイツはそれと無縁ではなかったのか。一体、どうしたんだ。



「……お前、作家になりたいとか言ってなかったか」


『あー、昔そんなことも言ってたな』


「印税生活を満喫するとか、アニメ化して社会現象起こすとか、声優と結婚するとか……」


『ははは。我ながら痛々しいな! そんなことを言ってたのかよ。厨房の妄想みてぇ!』


「……」



 ため息しか出てこない。



『んなこと言ってる暇があれば働くつっーの。面倒くせーし、そろそろ正社員目指そうと思ってる。コンビニの正社員は手取り20万以下だから、ガチで就活しねーとなぁ。高卒でも大丈夫かね?もう29だし、そろそろ将来を本格的に考えていかねーとやべーわ。結婚もしたいし』


「結婚……」



 ふざけるなと言い返したくなった。



「……お前、結婚したいのか?」


『当たり前だろー。いつまでも独りだと寂しいじゃねーか。ただいまとかおかえりとか言われてぇーし、いつまでもコンビニの廃棄品を食う生活も健康に悪いだろ? 体力だって落ちてきたし、これだとセックスもまともにできねぇよー』


「水商売の女を口説くのはもうやめたのか?」


『いつの話だよ(笑)もう、風俗なんて行ってねーし。女みても勃たなくなってきてるわ。オナニーもしてねえ』


「……老いたな」


『そういう歳だろ。もう俺らアラサーだぜ?』



 全てにおいてオナトモは変わってしまった。

 もう別人と話しているようだった。



『マッチングアプリを最近始めてよー、営業職だって嘘ついて女の子と会ってるんだけど、なかなか上手くいかねぇーんだな、これが。出会いほし〜わ、マジでさ』


「ナンパしろよ。昔のお前ならそうしてただろ」


『古いつっーの。ナンパなんて何世紀前の話だよ。マッチングアプリが一番出会えんの』


「そんなに結婚したいのか……?」


『まあな。悪いか?』


「いや、別に……」


『どーしたよ。急にテンション下がりやがって!はは』



 酒が喉に入らない。コイツの話をこれ以上、耳に入れたくない。

 誰だこいつは……?

 本当にオナトモか……?



「オナトモ……お前、結婚なんてしたいのかよ。昔のお前なら『自由が一番!』って海賊王に憧れる麦わら帽子キャラみたいなことを抜かしてたのに、今更になって人肌恋しくなって、結婚に憧れを抱くようになっちまったのか? 夢はどうした? まさかサラリーマンになろうってんじゃねぇーだろうなぁ!」


『あ? なにキレてんだよ。別に悪くねーだろ。サラリーマンも。決まった時間働いて、決まった賃金もらえることがどれだけ幸せなことか』


「起業はどうした!? 大学時代に口に出してたよな! 俺は起業して、いざとなれば俺を養ってやるって! なにふつうのサラリーマンになろうとしてんだよ! ネットビジネスやれよ! 株やれよ! アーモンドアイに全額投資して、無様に負けながら、新宿駅でホームレスやれよ! 日雇いのバイトをしながら、夢を追えよ! なにしてんだよ!?」


『……本当にどうしたお前? 疲れてんのか』



 疲れてるのはお前の方だと言いたくなった。


 確かに俺はお前とは違う。出来るだけ踏み外さないように生きてきた。親の言うことを守り、社会のルールを守り、律儀に勤勉に真面目に生きてきた。


 付き合って五年目の彼女と同棲をしている。そろそろ結婚したいと考えている。プロポーズのための指輪の金を貯めているところだ。

 車も欲しいし、マイホームも欲しいし、式も挙げたいしな。


 でも、それは俺の生き方だ。オナトモの生き方ではない。

 コイツは俺と対照的な生き方をしてきた筈だ。


 よくわからんネズミ講の商売をして、一攫千金を企んでいた男だ。

 路上に座り込んでライブペインティングで金を稼いでいた男だ。

 フィリピンの学校へと無償でボランティア活動をしに行った男だ。

 世界一周のフェリーに無断で乗り込もうとした男だ。

 ヤリサーを作ろうとしていた男だ。

 起業家になろうとした男だ。

 司法試験を受けようとして挫折した男だ。

 東大をノー勉で受けようとした男だ。

 スーツが嫌いだという理由だけで、私服で就活を行なっていた男だ。

 海外で働こうと考えていた男だ。

 金なんていらねぇ!と語ってた男だ。

 自由が一番だと語ってた男だ。

 俺はビックになりたい!と宣言してた男だ。

 俺は天才だ!と高笑いしてた男だ。


 そんな男がなぜ、こんな凡人に成り下がっている?


 お前にとっての世間はそんなにも怖かったのか。

 お前の抱いていた信念はそんなにも脆かったのか。

 最初から、空っぽだったのか。自分は特別だとそう思いたかっただけで、本当は誰よりも平凡に憧れていたのか。

 どうした、オナトモ。

 なぜ、そうなったんだ。


 なんで、そんなにつまんねぇ大人になってんだ。



「疲れてんのはオメェだろ!? どうした! なにがそんなに辛かったんだ! なにを諦めて、ルール通りに生きようとしている! お前にとっての社会は反発するもので、お前にとっての会社は嫌うもので、お前にとっての自由とは己の信念に基づくための大切な大切なアイデンティティじゃなかったのか!? 存在意義はどうした! 投げ出したのか! おい、オナトモ! 昔みたいに笑えよ。昔みたいにバカを語れよ。『毎日オナニーしてるからオナトモです』とかクソつまんねえ冗談をほざきながら、映画鑑賞中に手を叩いて笑って周りから白い目を向けられても、それでもめげずにお前らしさを追求していくのがお前じゃなかったのかよ!?」



「おい、なんでそんなにつまんなくなってんだよ! 俺が憧れたお前はどこにいったんだよ! なにが結婚で、なにが正社員だよ。夢はどうした? 女のために生きて死ぬのか? ガキのために命を消費して、ごくふつうに生き死ぬのか? ふつうで生きることが一番難しいだのと、ありきたりな逃げの言葉で狂ったお前を捨ててんじゃねぇーよ! 特別な人間になりたかったんじゃねぇーのかよ……」



「オナトモ……俺はよぉ、俺はよぉ、お前の生き方を尊敬していたのに、なんだよ。なにをそんなに……逃げてんだよ。いずれ女の話をして、会社の愚痴を零しながら、世界を変えることもできない歯車の一部になって、生き死ぬのかよ。泣き笑ってたお前はどうしたんだよ。生きる希望なんてどこにもねぇのに、それでも希望を持って信念を貫いてきたお前はどうした……。いつだって死にたい日々の繰り返しで! 吐き気がしそうな冷たい朝に! なんの希望もない寝室で!閉まりきったカーテンと睨めっこをしながら、くだらねぇと泣き笑ってたお前はどうした!? 首を括って死んだのか? ゾンビと化したのか? コロナにやられて、プライドを捨てて、惨めに心を植物にして、自信をなくして、痛いだのと過去を黒歴史にして、恥じらいを覚えて、そんな大人になりたかったのか!? そんなつまんねぇ奴だったのか!?」




「……おい、オナトモォ!? お前つまんねぇなぁ!! ビビるくらいにつまんねぇ大人になりやがったなァ!? 夢も希望もねぇ、ただ社会に迎合するだけの、凡人であることを認めやがって。才能も努力もせずに孤独に不安に不満に押し潰されながら、泣き笑いながらそれでも強く生きていくんじゃなかったのかよ!! オナトモォ!! 同じじゃねぇよ!!!! 諦めんのかよ!! 俺とお前は、同じ生き方をしちゃいけねぇーんだよ!! 殺すのか、お前はお前自身を殺すのか!? じゃあ、生温いお前のまま、革命すらも起こさずに、そのまま死ねよ!! 死ねよ……オナトモォ!!!!」




 俺は泣いていた。何故か泣いていた。

 唇を噛みながら、泣いていた。


 後ろでドアが開いた。「どうしたの?」と彼女が心配そうにこっちを覗いている。

 女に俺の話が理解できるわけがねえ。


 オナトモだけだ。俺が伝えているのは、オナトモだけだ。地獄を見てきたコイツに逃げを許さない、勝負を賭けるコイツにエールを送ったつもりだった。


 調子に乗って、欲深いコイツは折れて折れて折れて折れても、それでも生きていく情熱を胸の奥に残して欲しかった。


 なんでだ。オナトモ。なんでなんだ……。




「……悪い。先に寝るわ」




 電話が切れる。








 オナトモはもう、死んでいた。








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