第5話「炎城。」


 象谷が暴徒を操っている。

 女が命じられるまま、全裸になっている。


 その様子を花壇に座り込みながら、眺めている男が一人。



 ──プルルルル


 

 男の、ポケットが振動する。



「はい」

『私だ。順調か?』

「ええ、まぁ。ただ、猫美さん視姦られてますけど、大丈夫っすか?」

『構わん。アイツも充分、悪さをしてきたからな』


 会長が答える。

 犬飼は苦笑する。


「しっかし、考えましたねー。全部ぶっ壊そうだなんて」


 犬飼の目の前では火炎瓶が飛び交っていた。火が校庭の草花に燃え移って、校舎が煙を上げ始める。


『象のやつはどうだ?』

「あー、頑張って民主を煽ってますよ」

『よし、それでいい』


 煙の充満した生徒会室の中、会長は一人、ペロペロキャンディを舐めている。

 片方の手には例のチラシ。


 獅子田会長こそがタカであった。



『ハトは象を調べてるって言ってたな』

「はい。あの人は……好奇心旺盛っすから』

「真実に辿り着くのも、そう遅くはないか」



 獅子田会長は笑っている。

 犬飼は笑っていない。



「ハトさんが真実に辿り着く前に全部おじゃんですよ。協力してた俺を含めた新聞部は解体となり、強引なインタビューが物議を醸していた猿中も職を失う。デモに参加していた生徒たちは全員退学になり、生徒を率いていた象谷は実名をネットに晒されて、猫美さんは心に傷を負う。……誰も幸せにはならないベリーバッドエンドの完成っすよ」



 犬飼は笑うが、心では泣いていた。

 陰では新聞部に所属しながら、裏では様々な悪事を鳩山と共に塗りつぶしてきた。

 真実を捻じ曲げて報道し、悪意を捏造し、情報を操作する。

 そんなことを平気でやり続けてきたのだから、心が荒むわけがなかった。

 タカに協力していた自分こそ、まさしく”会長の狗”だった。



『私もお前も地獄行きだな』

「……全員っすね。鼠、猫、猿、鳩、犬、馬、烏丸、獅子。どうぶつさんたち大集合っす」

『人間も獣と同義だ。正義という悪意を糧に食い散らかす化け物さ』



 花壇の脇に座りながら、犬飼は鼻を掻いている。

 煙に頭をやられてしまいそうだ。



「本気で死ぬつもりっすか?」


『当然』


「……お別れは辛いっすね」


『仕方あるまい。人間いつか死ぬ』



 犬飼は鼻をすすっている。



『誰かが権力を持ち続けることは危険でしかない。批判の声を黙殺し、世界を好き勝手に書き換える独裁者など存在してはいけないのだ。ここは民主主義国家。私は選ばれただけの存在。暴走し過ぎた末路さ。私は私自身を殺すことにより、学園の平和を守る。金も、力も、名声も、全部欲しいものを手に入れてきた。……もう、何も、必要あるまい』


「……愛も、ですか?」



 会長が耳を疑う。



「なに?」



 犬飼は泣いていた。



「愛だと?」



「そう……っす」



 犬飼にはこの涙が煙のモノなのか、判断出来なかった。



「ははは! 私はこれから死ぬのだぞ? 愛など手に入れてどうなる」


「会長はみんなから慕われていたから気付いてなかったと思うんっすけど、俺、結構……好きでしたけどね」


「……異性としてか?」


「それ以外になにかあるんっすか」



 一世一代の告白、犬飼にとってそれはもう遅すぎる告白だった。



「じゃないとハトさんを裏切ってまで、アンタの狗になってませんって……。ずっと、ずっと、好きだったんっすよ」


「笑えないジョークだな」


「ジョークじゃないっすもん」



 生徒会長室が燃え始めている。

 会長はどんな気持ちでこの言葉を聞いているのか、犬飼にはわかりもしなかった。



『やめてくれ。死ぬのが怖くなるだろう』


「死んでほしくないと言ってもいいです?」


『もう、言ってるじゃないか』



 生徒会室の扉が開かれようとしている。

 暴徒が遂に部屋へと入ろうとしている。


 獅子田は自らの終わりを悟った。



『夢だった。燃える城での自害が。まるで織田信長のようだ。彼と違い、天下統一を果たしてしまったのが悔いだ。私は大した人間ではない。皆が持ち上げるような聖人君子ではない。しかし、学園の頂点に居座る人間はそうでなければいけないのがこの国らしい。生徒を思う気持ちが抱いていない私には、最初から不向きだった。私は自分の保身でしか生きていない』


「……そんなことないっすよ。会長は俺たちみたいなクズのために、汗水流して業務を全うしてくれました」


『誰かがやらなきゃいけないから、やっていただけだ。生徒会長なんてやりたくなかった。あのときの生徒会選挙で象谷に敗れても良かった』



 獅子田は口に含んでいたペロペロキャンディを噛み砕いた。

 犬飼の目の前では象谷が「燃やせ燃やせ!」と両手を上げている。



『ただ、負けたくなかった。プライドの高さが私の弱さだ。だから勝ってきた。勝ち続けてきた。だが、悟ったのだ。勝利にはなんの意味もなく、ここにはただの虚しさだけが付き纏うだけだと。生徒たちは気付いていない。彼らは権利を主張するだけで、我らに対価など与える気がないのだ。自分たちだけが得をすればいいと考えている』



「……」



『ルサンチマン精神とでもいうのか、権力者を悪に設定しなければ気が済まないらしい。確かにそうだ。そっちのほうが単純明快だ。私たちの苦労など、私たちの頑張りなど、認めてももらえず、甘えで切り捨てられるだけ。勧善懲悪こそが分かりやすいのさ。みんなヒーローになりたがっている。正論と理想論を語るだけなら誰にでもできる。羨ましいよ。……なにも知らない者たちが』



「……会長は、頑張ってきましたよ」



 犬飼は嗚咽をこぼしそうになる。

 この人はどれほどのものを抱えて生きてきたのか。

 その苦労は凡人には計り知れないものだろう。



『疲れたんだ。全てに。みんなが私を憎んでいる。私が死んだら世界は平和になるんだよ。それは大きな誤解だけれど、それで彼らの溜飲が下がるのならそれでもいい。私はここで死ぬ。あとは任せたぞ、犬飼。……お前が、私の意志を告げ』


「無理ですって……そんなの」


『できるさ。大丈夫、きっとできる』



 タカを全うした会長が死のうとしている。

 彼女は悪意を自分に集中させて、一方的に自害しようとしている。

 火種を生み出して、すべてを燃やし尽くす。

 犬飼にはそれを止めることができなかった。


 だから、言葉を投げかけた。




「さようなら……会長。今まで大好きでした」




 だが、その声は暴徒に掻き消される。

 どこかでサイレンが鳴った気がした。




『ありがとう。お前の飼い主になれて良かったよ』




 犬飼は電話を切った。

 涙を拭いて、彼はその場を立ち去る。


 タカは死んだ。


 彼が最も愛していた人はいなくなってしまった。

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