街の簡易説明
翌朝、ルトはフェイにもすぐに懐いたようで、シャルが部屋から降りてきた頃には一足先にテーブルを囲んでいた。
「あ、「お兄ちゃん」! おはよ~!……なんかしっくり来ないなぁ、兄さん? 兄貴?」
「名前でいいよ」
「遅いじゃないか、ルトは日の出前には起きていたんだってさ」
となると、寝顔を見られたのはこっちか。睡眠時間に圧倒的なハンデがあるから、そうなるだろうとは思ったが。
「いいじゃん、別に。起きたって……何をするでもないんだし」
彼は無気力に欠伸を噛み殺しながら、ルトが簡単で何の味もついていないような作り置きのパンをずいぶん美味しそうに啄むのを眺め、その姿にまた頭を抱える。
――ルトは彼の服を勝手に着ていた。
元々小柄な彼女にはちっとも丈が合わなくて、昨日の寝間着ほどではないがひどく不格好だ。
「どしたの? あっ、これ? 大事な服だったとか?」
「どうしたもこうしたも……ああそうか、お前着る物無いんだったな」
シャルは父親と二人でこの家に暮らしているので、考えてみれば彼女に合いそうな服は一着もない。
「大丈夫、そのくらいは出してあげるから適当に買ってくるといいよ」
「うう、さっそくお世話になるなぁ……すぐ行ってこなくっちゃ!」
ルトが勢いよく立ち上がった拍子に上着が肩からずり落ちて、すんでの所でシャルが掴み止める。
「……で、誰が行くの?」
ルトは服を買いに行く服すら無い。必然的に……。
「ええっと……シャル、お願い……できない、かな……」
「十代男子に女服を買ってこいと!?」
そんな事をすれば彼の街での立場は地に堕ちる。いや、既にこれ以上堕ちても何も気にならない位最悪の立場ではあるが。
「あっ、ボク着れれば男の子の服でいいよ! ううん、ボクそっちの方が」
「ルートー!」
――バタァン……!
言いかけたルトを遮るように勢いよく玄関扉が開けられ、喜色満面のルーズが飛び込んできた。両手に抱えた大きな袋の中身を、玄関口に広げていく。
女手が現れたのをこれ幸いとフェイが財布を持って彼女を出迎える。
「ちょうどよかった。ルーズ、ルトの服の買い出しを頼めないかな?」
「そうなると思ってねー。昨日街中回って沢山用意したんですよー」
昔からルーズはこういう所はよく気が回る。思い立ったらすぐ行動、多少の労苦は厭わない。
センスも確かで、飾り過ぎないがしっかり主張する、着る人を選ばない範囲で様々な服が揃っていて、シャルの目にも上物ばかりだった。
「ほらこれも、こっちも可愛い! 気に入ったでしょ! 全部あげるから、いつでも好きなの着ていいんだよ!」
「う~ん……ボクにはあんまり違いがわかんないんだけど……」
ルトの肩に一着一着当てがって満足そうに目を細めるルーズとは対照的に、ルトはどうにも反応に困っている。「着られれば何でもいいんだけど」と、禁句が今にも飛び出しそうに見えた。
(へえ、あいつ服には熱くならないのか)
結局その日着替えたのも一番地味なジャケットと半ズボンで、特にスカートには見向きもしなかった。
「もうちょっと可愛いの着てくれてもよかったのになー……」
ひとまず街を軽く見て回る事になって、今は四人で家に面する大通りを歩いていた。
やっぱりルトを着せ替え人形にしたかったのが本音らしく、ルーズはまだぶつくさ言っている。
本当に親切心だってば、とルーズは言い張ったが下着が一枚もないのを見れば明らかだ。おかげでルトは今……流石に言及しないでおこう。
「さて、ルトは今のこの街についてどのくらい知っているんだい?」
「うんとね、時球に頼りきってて、みんながおかしな暮らしをしてるって事と、それで便利だからすごく発展してるって事くらい」
「そうか、その二つを知ってれば話は早い。これからルトが行きそうな場所だけ回ってみようか」
穏やかな笑顔を見せて、フェイは北西に向かって歩を進める。
「ルト、はぐれて迷子になっちゃだめだよ? フェイさんから離れないでね」
ルーズが釘を刺すのも分かる。この子はほんの数秒目を離したら消えてしまいそうだ。
「はぐれたら……ほら。うちはここだ。最悪戻って来ればいい」
シャルが大通りに描かれている街の略地図のもとにルトを連れていき、足先で現在地を示してやる。
するとルトは人目も気にせず道にしゃがみ込んでそれを食い入るように見始めた。
「あれ……もしかしてこの街、そんなに大きくない? おんなじ感じの地図見たことあるけど、もっと広かったよ?」
おんなじ感じ――とは縮尺の事か。家や道の大きさ加減で違和感があったらしい。
「ルトの時代では街はもっと広かったの?」
「うん! やっぱりボクの時代の半分もないよ! これだと人も少ないでしょ? すごい都市にできるの?」
発展していると聞いていた都市が予想よりも遥かに小さかった事に、ルトは驚く。
やはり軽く説明した方がいいか、とフェイは咳払いをする。
「そうだった、ルトのいた所では時球を使わないと言ってたね。いいかい? このオルタナという都市では殆どの人間がそれを酷使するから、農業なんかの時間をかければ勝手に終わる可能性があるものに人手は必要とされないんだ」
「機械の類や建物も、一度作っちまえば何度でも新品に戻せるしな」
シャルとルーズも割り込んで補足する。
「だから生活には事欠かない。働く必要がなくなった人達はのんびり遊んで暮らすか、好きなことを研究して過ごすようになるの」
「それが発展の理由さ。私達、特にシャルは嫌がってるけど、そのおかげで生活出来ている。労働力が不要だから人口が少なくても街はやっていける訳だし、職がないから後継ぎなんかもいらないね。だから積極的に子供を作ろうとする人も少ないんだ」
「……それだけ? 子供がいたら楽しかったり、嬉しかったりするんじゃないの?」
「残念だけど、人々の多くは子育てが面倒だと思ってしまっているんだ。小さい子は少し放っておくと死んでしまうから、時間の使い方が縛られるのが嫌なんだろうね」
「え~なんかおかしいよそれ……」
生物として当たり前の事すら放棄する程に堕落している。ルトはにわかには受け入れられず冷ややかな顔になる。
シャルはそんなルトを見て内心安堵する。これが当たり前の反応だ。自分やルーズの頭がおかしいのでは……ないのだ。
あれこれ話し込みながら歩いているうちに、いつしか前方が騒がしくなってくる。
「さっきまでは家ばっかりだったけど、この辺はお店ばっかりだね」
「そうだな、街の北の方は商店街。中央搭に近い南側ほど活気がある。ルーズがその服買ってきたのもこの辺りかな」
「うん。もうちょっと奥に古着屋が沢山あってね……ってルト? 聞こえてる?」
ルトは店舗と一体化した小屋や料理をふるまう屋台の立ち並ぶ辺りを、おのぼりさんよろしく見回している。食べ物系の店でばかり立ち止まるのは気のせいではないだろう。
彼女いわく、自分も同じような風景を知っていて、それが大好きだと言う。
その中で、ルトが特に心奪われたのが――。
「あ、あれ……ね、ねえ! あれ買ってもらってもいい!?」
「どうした、ケーキか何か見付けたか……おい、あれは……」
「おう、食いてえのかい? 作ってやろうか、それとも自分でやってみるか?」
「やる~~っ!!」
小さな子供向けの、わた飴菓子だった。
「まさか二個も頼むとは……そんなんで喜ぶとか、子供かお前は」
「だってだって、ボクこれずっと食べたくってガマンしてて……! えへへぇ、おいしい……!」
ただの砂糖の塊を頬張りながら感極まって涙目になっているルト。そんなに好物なのだろうか。
「って言いながら、自分だってちゃっかり買ってるくせにー」
ルーズがひょいとシャルの手から棒を取り上げ、一口含んで戻す。
「わ、悪かったな、俺も好きで」
ルトはあっと言う間に二個のわた飴を食べきってしまうと、またふらふらと食べ物系の出店を覗いて走り回る。
「わぁ……何がいっかなぁ、目移りしちゃうなぁ……」
そのまま放っておくとキリがなさそうなので、微笑ましく眺めていたフェイも流石に注意する。
「ルト。今日は食べ歩きに来たんじゃあないだろう?」
「あっ、そうだった。ご、ごめんなさい……」
ひとまず、大抵の生活雑貨はこの辺りに来れば手に入る。この分ならこれからも入り浸る事だろうから、あまり長居せずに次へ向かおうという事になった。
「え~、正面に見えますのがこの街一番の人気スポットです」
「はは……問題の場所だね」
ルーズの強烈な皮肉にフェイは苦笑する。
喧騒を抜けて南に暫く歩けば、中央塔が見える。窓も何もついていない、真っ白で無機質な円柱型の塔。人の訪れる場所には似つかわしくない、閉鎖的な建物だ。
しかし唯一開かれた入口には、相変わらずの大行列が伸びている。個々の用事はほぼ一瞬で終わるので、回転速度は凄まじい。
「わぁ~、すごい人だ! 百人? もっとかな? どんどん入れ替わっていくね」
「ま、ここの事は知ってる風だったわよね」
「時球が何万個もあって、みんなで使ってるんだよね!?」
「そそ。まともな足場があるのは一階だけで、上の方は全部石が詰まってるだけなんだぜ、これ。どうせ入るにゃ並ばないといけないから、ここは置いとこうな」
中央塔を横目に更に南へ向かうと、点在する家屋の先は障害物のない石畳の広場が延々と広がっていた。彼方に見渡せる高い石の壁には巨大な門が一つあって、今はそこを目指して歩いていた。
「ここは? 公園みたいなものかな、ちょっと寂しいね」
「まあ普段はな……昨日説明受けただろう? 非常時にはここに有志の討伐隊が集まって、防衛戦の拠点にするんだよ。だからできれば来たくない所なんだけど……あいにく俺とルーズが主戦力なくらいでさ」
シャルは露骨に不満げに息を漏らす。稀に突破されてここも戦地になるのだろう。道中ぽつぽつと赤黒い染みを見かけたルトは、もう何も口を挟まなかった。
「歩くのはここで最後にしようか、街の西側は工場や有権者の行き交う役所のような所が大半だから、縁がないはずだからね」
「役所ねえ、政府地区なんてだいたい七光りのろくでなししかいないさ。まず仕事がないんだからな。大まかにはこんな街で、細かい所は好きなだけ探索してくれればいいさ」
ちょっと投げやりになってきたね、とルーズは笑う。それでもルトは満足げな顔をしていた。
「おやぁ、フェイさんじゃねぇか! どうなすった大所帯で」
ようやく目の前まで来た、門というよりは外壁の一部をそのまま襖にでもしたような無骨で巨大な出入り口。そのそばに開けられた人一人分くらいの穴から、三人には聴き慣れた重低音が投げかけられた。
「ガディウスさん、ちょうどよかったです」
壁の内部から姿を見せたやや太った中年男性はこの外壁で働く人達の予定表を組む受付係のような存在で、オルタナでは珍しくあまり時球を酷使せず、その人柄も豪快、親切と三人も懇意にしている人間のひとりである。
大家族の父で、生活費のために他人より長く勤めている内にリーダーにされてしまったのだが、本人もまんざらでもなさそうだった。
「なんでえ、俺にちょうどいいって事は不都合な時間でも出来たんで?」
「いや、今日は新しく一緒に暮らす事になった娘の事でして」
「娘だあ? アンタんとこは坊主と二人っきりだったはずだろ」
「おやっさん、その呼び方はやめてくれって言ってんだろ。もう十六なんだから」
「ハッハッハ、二十以下はみ~んな坊主に嬢ちゃんよ。となると、そっちの見かけない顔の子がそうか」
「ルトっていうの、女の子だよー。人懐っこいから可愛がってあげてね、おじさん。噛みついたりしないから」
人にペットの犬を見せるように、ルトの脇腹を持ち上げてガディウスに手渡しするルーズ。なんだか異様な光景だ。
よろしくね、おじさんとルトがさっそく簡単なプロフィールを名簿に入れていくのだが、その内容には少し訝しげな顔をされる。
「なんつうか、幼い嬢ちゃんだなあ。俺の子は一番上が十三なんだが、ほとんど同じくらいに見えるぞ」
(無理もねぇよな、幼児体型で背も低いし、この性格じゃ)
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