光を知らない蛍のように。

首領・アリマジュタローネ

光を知らない蛍のように。

 都心部から車を走らせて約二時間半。柳ヶ岳を越えると昭和の雰囲気が漂う温泉街が現れる。


 [須賀原市八秋すがわらしはっしゅう町はこちら]


 街の入り口には、雨風に打たれて泥を被り茶色になってしまった大きな看板が、禍々しく板に貼り付けられていた。


 見るからに古びた土地。辺り一面森。パンフレットに書かれていた【自然と共存する】という謳い文句はどうやら本当らしい。


 この辺りは観光客も訪れない秘境の地だと都会の友人は語っていた。野生の猿が出るとかなんとか。


 砂利道を走らせていると車体が何度も揺れた。軽自動車なので少しの段差でも地震のようにやたらと動く。整備されていない道には慣れていない。


 太い木の根に躓いて一瞬車が浮いたせいか不安になってくる。


 尖った石でパンクでもしたらどうする事も出来やしない。ミイラ取りがミイラになるように、レッカー車もレッカーされるのではないか。


 数十分間、不安に駆られながらも車を走らせていると、ようやく予約していた旅館が見えてきた。



 旅館の名前は弥生やよい。ここ須賀原市の山奥に建つ小さな宿泊施設だ。


 ネットで検索した際にたまたま発見して予約をした。夫婦が経営してるらしく、部屋の数は非常に少ない。


 そんな条件下ではあったが、僕が電話受付をした際は「どの部屋もご利用できますよ」と優しい声で受話器越しに奥様は話していた。


 ここ須賀原市は交通設備が整っていないという事であまり観光客は立ち寄らない。言うなればレアスポット。こういった隠れ家のような場所だからこそ、ゆったりとくつろげるというものだ。


 五台ほどしか停められない駐車場に車を置くと、旅館の方から小さな影がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


 夕暮れ時でまだ灯りは点いていなかったが、その姿はハッキリと確認できる。浴衣姿の女性。ここの仲居さんだろうか。


 エンジンを切って車外へ降りると、その女性は深々と頭を下げた。水色と椿の花柄が刺繍されている着物を身に纏った、薄化粧の若い少女だった。


 「長旅ご苦労様でした。お待ちしておりました。清明せいめい様ですね。私は従業員の小春こはると申します」


 小春と名乗る彼女は、挨拶をして僕の荷物を持つように願い出た。


 見るからに歳下の女の子に自分のバッグを持たせるなんて事はどこかプライドが許さなかったので


 「いえ、自分で持てます」


 と、意地を張り断ってしまった。


 「失礼致しました。では旅館へとご案内致しますね」


 恩を仇で返してしまったように思えて少し申し訳なかったのだが、小春さんは気にも留めずに柔軟な対応を貫いたままだった。


 旅館の玄関先で僕を待っていたのは噂に聞いた熟年の夫婦だった。紺色の着物に帯を巻いた旦那さんと、黒をベースに金の三日月とお椀に花の模様が刺繍されている着物を纏う奥さん。


 二人は案の定、経営者夫婦だった。桃月とうづきと名乗り、社長である旦那さんの両親の頃から経営しているらしい。


 桃月とは陰暦で三月の異名のこと。言い換えるならば、すなわち”弥生”なので、つまりはそこからこの旅館の名前は出来たらしい。


 「では、小春。案内をお願いします」


 「はい」


 女将に指示を受けた小春さんに連れられて階段を登る。少し興味本位で質問してみた。


 「小春さんはここの社員さんですか? 随分とお若いように見受けられますが」


 気になっている事を告げると、振り返って小春さんは少し苦笑した。


 「社員というよりも、先ほどの二人の娘ですので。桃月小春と言います。今年で十九となりました」


 「確かに言われて見るとどことなく顔つきも似てますね。それに、十九というと僕とあまり変わらない」


 「清明様はお幾つなのですか?」


 「当ててみてください」


 雑談混じりにたわいもないクイズを出題してみた。年相応に見られているか少し気になるお年頃。


 小春さんは少し考えながら眉間に指を当てた後 「二十二歳ですか?」と答えた。


 見事に的中。ヒントを与え過ぎたか。


 「はい、正解です。三個上ということになるのかな」


 とここでようやくお部屋に着いたらしく小春さんは鍵を取り出していた。扉を開けて先に入るように促される。スリッパを脱いで荷物を置き、中を見渡した。


 少しカビの臭いがしたが、一人にしては充分過ぎるくらい設備と広さが整った部屋だった。


 「こちら当館202号室。風月でございます。今回はこの旅館で一番のお部屋を御用意させて頂きました」


 お気遣いが非常に有難い。なるほど、何が揃っているかを確認してみる。


 テレビ、エアコン、そして一風変わった大きな掛け軸が異彩を放っていた。


 四文字熟語で書かれた【花鳥風月】の文字。まじまじと眺めていると小春さんが説明してくれる。


 「その掛け軸は元々祖父が直筆で書いたモノなんです。世界に一つしかない貴重な作品。生前よく孫の私に自慢していました」


 「ほう、こりゃすごい」


 実に達筆だ。書道家と勘違いしてしまうほど。祖父つまりはこの旅館の前主人という事だろう。


 「祖父はよく習字の教室を街で開いていました。一度有名な書道家の先生も祖父の作品を見に来てくれた事もあったんです」


自慢気に語る小春さん。お爺ちゃんっ子だったのだろうか。


 「ではお食事の時間になりましたらまたお呼びしますね。お時間は十八時半でお間違いないですか?」


 「はい、間違いありません。色々とありがとうございます。二日間世話になります」


 小春さんは扉の前で静かに正座をして頭を下げた。その可憐な動作に、僕はもう惹かれていたのかもしれない。


  ▽▽▽

 

 食事の時間だと言うことで、一階のお食事処へと足を運ぶ。料理の支度は既に済まされていた。


 「ズワイ蟹やホタテなどの須賀原漁港で取れた新鮮な魚介類を豊富に使ったお料理でございます。どうぞお楽しみ下さいませ」


 帽子を被った料理長がそう挨拶をして食事の時間が始まった。どうやらお客様は僕一人らしい。貸切だ。


 「まずは火をつけますね。温まるまでお時間かかりますので少々お待ち下さい」


 料理の世話も全て小春さんがやってくれている。炭を使ってアワビを熱して食べるなんて旅行の甲斐がある。


 「お飲み物は何になさいますか?ビール、ドリンク類、日本酒、焼酎は麦と芋がございますが」


 火がつくまで時間を要すると言うので先に飲み物を用意してくれるらしい。


 「梅酒を頂けますか? 焼酎は苦手で」


 「分かりました。梅酒はロックですか?」


 「はい、勿論。ソーダ割りも後で頂きます」


 一人酒だからといってそこまで度がキツイのは慣れていない。長時間運転した後の食事には梅酒を軽く一杯というのが相場で決まっている。


 しばらくすると小春さんがお盆を持って梅酒を持ってきてくれた。ロックグラスに注がれたお酒と大きな氷。冷えたグラスが蒸し蒸しした炭の暑さを和らげてくれるのだ。


 「一杯付き合ってくれませんか?」


 「いえ、未成年ですので」


 「あぁ、失敬。ではポーズだけでも」


 せっかくなので小春さんと飲む事にした。今日という日の出会いに感謝を込めて。



 「「乾杯」」



  ▽▽▽


 お酒を一杯飲んだ後のお風呂は最高に心地が良い。誰もいない露天風呂は自宅とは全く違ってそこには神秘があった。


 頭上の星も、草花も、時折侵入してくる虫にさえ感動を覚えてしまう。自然の風景が都会での喧騒を忘れさせてくれる。


 こうやってのんびりと過ごしたいモノだ。お茶でも飲んで働きたい時に働き、スペインみたくシエスタして一日を終える。そんな生活で充分に満足。


 けれど、現代社会でそう生きるのは大変難しい。現状、自分も将来への不安から就職活動を行ったが上手くは行かなかった。


 結果、浪人。卒業式にも参加せず、同年代からたった一人取り残された気分である。


 だからこうやって現実逃避の為に一人旅をしている。バイトで資金を貯め、行き先とスケジュールを入念に組み立てたから今がある。


 「……いい湯だ」


 来て正解だった。小春さんなんていう可愛い女の子にも出逢えたし。連絡先でも交換してみたいものだ。


 だが、厳しいかあの様子だと。脈が有る無し以前に、業務的な内容しか話さなさそうだ。仕事で忙しくて、こんな田舎だと気軽に会いに行く事も難しい。


 恋の始まり、なんて妄想だったのか。


 熱々のタオルを目に当ててぼんやりと休憩する。と、その時ガサッと近くにあった草むらが揺れた。一体なんだろうと眺めるとそこにいたのは一匹の猿。


 噂に聞いたけど、本当に野生としているとは。これは良いお土産話ができたぞ。


  ▽▽▽


 玄関先にて灯篭を発見したので、近くにあったベンチに腰掛ける事にした。ここからだと夏の大三角形がよく見える。


 夜風を浴びながら天体観測。風呂上がりの缶ビールが喉越しを通過していく。もう夏も終わりだ。


 「清明様、ここにいらしたのですね」


 「あぁ、どうも小春さん。お風呂最高でした」


 様子を確認しにきたであろう小春さんは、星にも負ける事なく輝いていた。


 「ありがとうございます。お客様の喜びの声が私共の幸せです」


 「そこまで堅苦しくなくてもいいですよ。ところで、どうかしましたか? 今度こそ一杯だけでも付き合う気になりました?」


 「いえ。業務中ですし、未成年ですので」


 「小春さんは真面目な人だ」


 「よく言われます。『面白みがない人だ』と」


 小春さんはそう苦笑したが、すぐに訂正した。


 「失礼致しました。私の事はお気になさらず、どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」


 一礼してまた旅館に戻ろうとする。けれど、せっかくの機会だ。腹を割って話したい。美女と星と酒を同時に楽しめるなんて、まるでどこかの貴族ではないか。


 「待ってください。少しだけ僕の話し相手になってくれませんか?」


 「ごめんなさい。仕事がまだ残っていますので……」


 小春さんは少し困った表情でやんわりと断った。真面目で堅苦しい少女の防衛術に違いない。


 「あぁそれならば、蛍が見える場所がこの辺りにあるって聞いたんですが、案内して貰えませんか?」


 「蛍ですか……? 少々お待ち下さい。少し母に相談してきます」


 『女将』ではなく『母』と彼女は言い換えた。普段からそう呼んでいるのだろう。


 しばらくすると小春さんが再び玄関先に現れた。草履を履いて懐中電灯と虫除けスプレーを握っていた。準備は万全。


 「清明様、ご案内致しますね。辺りは暗くなっていますので、足元にお気をつけて」


 ▽▽▽


 森の中、道なき道を進んでゆく。真っ暗な世界を照らすのは、唯一懐中電灯の明かりだけ。


 夜道を進むと虫達の蠢く声が聞こえてくる。流石は自然と共存する街。


 「ここに来たら野生の猿と蛍は見て行きたいと思っていたんです。野生の猿はまさか偶然出逢えるなんて予想外でしたよ」


 「そうなんですね」


 不機嫌なのか、それとも警戒されているのかは定かではないが、小春さんはさっきからずっと静かだった。こんな夜に男女二人で森を歩くというのは怖がられても仕方ないかもしれない。


 しばらく歩いた後、見えた光景に思わず心を動かされてしまった。


 森の中を照らす幾つもの光。まるで星々の輝きを観察しているかのようだった。木々の中で僕の感嘆する声が反響していく。


 「……綺麗だ」


 蛍を眺める事の出来る場所として有名なところではあったが、ここまでとは予想をはるかに上回っていた。当初の目的が小春さんとのプチデートだったなんて今は口が裂けても言えない。


 自前のカメラを持って来れば良かった。この景色を忘れてしまうのは悲しい事だから。


 「この街はすごくいいですね。ここで生まれ育つなんて幸せだ」


 思わず口に出た感想に小春さんは少し苦笑した。


 「それは嬉しいお言葉です。彼らも清明様の想い出になれたのなら光栄でしょう」



 「──でも、取り壊されてしまうんですよね。全部、数年後には」



 「……知っていたんですか?」


 「えぇ、勿論」


 新聞の一面で一時期騒がれていた【須賀原温泉街取り壊し問題】。村長である老鶯ろうおう氏は最後まで反対運動を起こしていたのだが、自病で倒れて彼の率いるグループは解散してしまった。


 「村長である桃月老鶯とうづきろうおう氏。彼はあなたの祖父ですよね? 小春さん」


 老鶯氏の事は知っていた。何度か新聞の記事に取り上げられて素性も明かされていたから。彼は書道を教える先生としても有名だったそうな。


 「……最初から全部分かっていたのですね。清明様は意地悪な人です」


 「いいえ、僕もまさか小春さんの祖父だとは思いもしませんでしたよ。けど、部屋の掛け軸を見てピンと来た。それだけです」


 真実を伝えると、彼女は唐突にこんな事を尋ねてきた。


 「清明様は【花鳥風月】の意味をご存知ですか?」


 「ええっと《自然の中にある美しい風景のこと》ですか?」


 「その通りです。花・鳥だけでなく、風や月にも季節ごとの趣があります。風なら春は東風、秋は野分。月なら春は朧月、秋は仲秋の名月。季節に応じて変化する。それら全ての風物を含めて《花鳥風月》と言います」


 儚げに語る小春さんの元に一匹の蛍が近付いてゆく。まるで祖父の生まれ変わりのようだった。


 「桃月家は先祖代々この街を愛してきた。自然と共存し、その中で一生を過ごすのが決まりでした。誰もこの街を出る事はなかった」


 指に止まる蛍を彼女はそっと森へ帰す。その光は深い闇の中に消えてゆく。


 「だから、私もずっとここで生きていくんです。例え温泉街が無くなったとしても、彼らを見送る義務がありますから」


 彼女の話を聞いて、僕は居た堪れない気持ちになっていた。あらかじめ調査はしていたが、深入りするつもりはなかった。


 好奇心だけで行動してしまった自分を今は憎んですらいる。


 「私たちの築き上げてきたものが後八年で無くなってしまいます。誰も悲しむ事なく、誰の記憶に残らないまま」


 森も動物たちも全て居なくなるのだろうか。道路を新しく作って、温泉街から普通の住宅地へと変貌を遂げて。


 「でも、僕は悲しい。それにこんなに素敵な場所が無くなるなんて忘れたくない」


 「清明様は優しい方ですね。もっと別の場所でお会いしたかった」


 小春さんはそう言って寂しそうな表情を見せた。それが何を意味しているのか分かってしまった。


 「来年の成人式を迎えれば、私は婚約する事になります。家業を継ぐ為に、両親が決めた相手と一緒になってその人と一生を遂げる。これも桃月家のルール」


 「……」


 ……何も言えなくなる。


 将来も決まらずにブラブラと現実逃避する僕と、既にレール上を歩く将来が決まってしまっている彼女。まるで正反対の人生。一体何が違ったというのか。


 「さて、そろそろ戻りましょうか。素敵な時間をありがとうございました」


 話を切り上げようと小春さんは座っていたベンチから立ち上がる。と、ここで条件反射で身体が動いた。



 「……え? せ、清明さま?」



 彼女の小柄な身体を、いつの間にか思わず抱きしめてしまっていた。


 下心で行動したと言われると否定は出来ない。どちらにしろ、本能的なものが働いたのは確かだ。


 無茶苦茶な理論だと僕自身もそう思う。理屈なんて破綻しているが、この時ばかりは直感的に身体が動いたとしか言えない。


 小春さんは抵抗したように少し動いたが、しばらくすると胸の中にすっぽり収まったように大人しくなっていた。


 「……母にバレたら叱られてしまいます」


 「すいません。でも、どうしてかお別れしたくなかった」


 明日の朝には僕はこの街を去ることになる。そうなる前に最後に伝えておきたかった。


 「──僕と一緒に来てくれませんか? この狭い街から抜け出して、もっと遠くに。モノも人も溢れている大都会へ」


 色んなものをすっ飛ばした告白。定められたルールの中で縛られた彼女を救いたかった。


 「私と清明さまで?」


 「はい。好きなんです」


 出会ったばかりなのに一体何を言っているのだろうか。自分でも理解が追いつかない。こんなもの脳の錯覚だ。


 でも、時にはこんな恋の始まりも悪くない。


 耳元で囁くのをやめて一度身体を離す。眼前の少女をちゃんと見たかったから。


 「清明さま。下のお名前はなんて言うのですか?」


 「僕の名前は緑秀りゅくしゅうと申します」


 「いいお名前です」


 「ありがとうございます。小春さんも可愛くて素敵だ」


 彼女は僕にとっての光だ。闇を照らす蛍に似た輝きを放っている。その姿はまるで光の世界を知らない蛍のようで。


 「後でお部屋にお邪魔しても?」


 「ええ、是非来てください」


 その日、僕は小春さんと一夜を過ごした。バレていたら追い払われていたに違いなかったけど、その分スリルはあった。


 月夜に照らされた彼女の肉体は、とても美しかった。小さく喘ぐ声を聞いていると、どこか生きた心地がした。



 「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」



 女将さんと主人に見送られながら、僕は旅館を後にする。


 ……結局のところ、一緒に街を抜け出すことは出来なかった。朝方になった時には既にもぬけの殻になっていたから、バレないように夜遅くに帰ったのだろう。


 僕が旅行者で彼女が従業員の時点で、難しかったのかもしれない。


 というより、あの子は一度たりとも返事をしてはいなかった。ただ田舎の暮らしに満足しておらず、刺激を求めていただけ。


 桃月小春。僕はこの名前を忘れない。一緒に行く事は出来なかったけれど、絶対に忘れない。


 突拍子もない恋の始まり。人生という長い旅路がいつまでも続いている以上、こうした人との巡り合わせはこれから何度かあるのだろうか。


 車を発進させてふと旅館に目を向けた時、旅館の窓から彼女が見えた。シーツを畳む腕を止めて僕に手を振ってくれる。返事はクラクションで返す事にした。


 崩れた道路を走り去っていくと、ポケットに何か入っている事に気付く。小さな紙切れには誰かの連絡先が記入されていた。


 こんなメッセージと共に。



 『緑秀さん。迎えに来てくれる日を楽しみにしています』



 ふふっ、と小さな笑い声を出してしまった。うん、約束するよ。今度はちゃんと迎えにいくから。だから待ってて欲しい。


 八年後にこの街は無くなる。だからそれまでにまた来よう。今度はスーツを身に纏った有給休暇で行く事になるだろうから。


 夏の終わり。恋の始まり。



 何かが変わりそうな、そんな予感がした。




  ────fin────




















 「え、なにこのオチ。官能小説か? てか、これチョロイン救えてねーじゃん」


 「ええっと、それは親に逆らう勇気を貰ったって捉え方も……」


 「わかりにくい、やり直し。もっとちゃんと練ってから見せて。あと主人公の名前もダサい」


 私が書いた作品を清水先輩は一蹴した。この毒舌先輩はいつも褒めてくれない。それにチョロインとか言わないで欲しい。


 原稿を机に置いて、批評し終えた先輩は部室を後にする。残された私は「むむむ」と鼻の下にペンを挟みながらプロットを読み返した。


 「テーマは夏の恋。一浪して都会から逃避する主人公の『清明緑秀せいめいりゅくしゅう』が旅館の女将の娘である『桃月小春とうづきこはる』と次第に打ち解けてゆく青春作品……うん」


 別に悪い出来だとは思わない。自分では納得してる。名前を月の異名で縛ったし、風景描写にも力を入れてこだわりも沢山あったのに。


 「……変じゃないもん。カッコいいし」


 だからこそ、ダサいなんて言って欲しくない。先輩の誕生月である”弥生”と”清水明しみずあきら”って名前を借りたんだから、少しくらい認めてくれたっていいじゃん。


 「もう、書けない……」


 やる気が無くなってきてグッタリと机にもたれかかる。せっかく頑張ったのに。


 清水先輩はどうして私にいつも厳しく接してくるんだろう。嫌われているのかな? ちょっとくらい優しくしてくれたって良いのに。


 涙が出そうになる。



 ……才能無いのかな、私。



 「おい、サボんな」



 唐突にポンと頭に何かぶつけられた。振り返って見ると清水先輩がこっちを睨んでいた。私の好物のミルクティーを持って。


 「せ、先輩!?」


 「ほれ、これでも飲んで目を覚ませ。新人作品賞取るんだろ? こんなんでヘコたれんな」


 「……うぅ」


 相変わらずの鬼っぷり。うるさいこの鬼畜! 畜生! ミルクティー感謝!


 隣の席に座って清水先輩との授業は再開する。口は悪いけど、いつもこうやって付き合ってくれている。



 「確実に上達してるから諦めんなよ。頑張れよ、春子はるこ



 不意に名前を呼びやがる嫌な人。そんなのでキュンときてしまう自分もどうしようもなくチョロインなんだ。


 むぅと照れを隠しながらルーズリーフにペンを走らせる。飴と鞭はズルい。でも褒めてくれたからもうちょっと頑張ってみる。



 私が先輩に見て欲しくて書いた作品。




 タイトルは【光を知らない蛍のように】。






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光を知らない蛍のように。 首領・アリマジュタローネ @arimazyutaroune

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