第5話
午前の訓練は、寝ることとお喋り以外は何に取り組んでも問題はなかった。
僕は、PC操作が全く出来なかったので、まずはWordで文字を打つことから始めた。
気がついたら中指だけで打っており、それを見た福岡さんが、
「中指が得意なんじゃね」
と言ってきた。
「そうなんですよ」
と僕が返して、2人で少しだけ笑った。
ブラインドタッチは最後まで出来なかったが、スタッフの澄川さんから教わり、挿入をクリックしてテキストボックスで文字が書けた時には、正直嬉しくて、何回もお礼を言った。
Excelに関しては、先には進まなかったが、両面印刷が可能になった。
片面ずつプリンターで出し続けている僕を見て、スタッフの上村さんが、
「ちょっとお手伝いをさせてもらってもいい?」
と、笑顔で教えてくれたからだ。
自分自身に合った環境下で頑張れば、こんなことも出来るんだと思った。
僕の場合、言いようのない不安が強くなったらPCを止め、頓服薬を飲み、読書に取り組んだ。
分かったような顔で小説を読解したり、地図帳を眺めたりした。
午後からのプログラムは、曜日ごとで違っていた。
月曜日の『コミュニケーション』は、アサーションやリフレーミングがあった。
リフレーミングは、例を挙げるとすると、“頑固者”を“意思が強い”などと、フレームを作り変えて解釈をしましょうというものだった。
僕はわりと得意だったから、“スケベ”を“確かな生きがいを持っている”と発表したら、スタッフの東さんが、
「それは…ちょっと…」
と、嫌な顔をした。
火曜日は、『ビジネススキル』だった。
担当スタッフは通所開始当初からなにかとお世話になっている澄川さんで、小柄な男の人だったが、ピンと背筋が伸びていて自信があるように見えた。
ここでは、就業に向けた言葉遣い、具体的には敬語の使い方などを学んだ。
知らなかったから、勉強になった。
実際に紳士服の店舗から講師として店長さんを招いて、スーツやネクタイの選び方や着こなし講習もあった。
名刺の受け渡しの方法も勉強した。
上司とタクシーに乗る時の座る位置についても教えてもらった。
スーツの講義の際は決まって、吉田ゆり子さんは始まる前に帰って行った。
「いつもどうして帰るん?」
と聞いたら、
「こういうの、仕事の現場で習ってきたし」
と、言った。
「僕はスーツをあんまり着たことがないけん、一応出てみるね」
「え?あるんじゃないん?三嶋さん、職場を転々としとるのに」
「確かに、面接だけで何十回じゃわ」
2人して廊下で笑った。大声では笑えなかった。
水曜日の『ストレスコントロール』は、マインドフルネスをよくやった。
瞑想みたいなものかなと捉えていたが、結局のところよく分からなかった。
ただ、あまりの気分の良さに眠ることが多かった。
眠れば、腰が抜けるほどの美人だった担当の平賀さんに、
「三嶋さん、寝んのよ」
と、叱られた。
それが、また良くて、再び眠ってしまった。
木曜日が『体力づくり』だった。これもまた担当は澄川さんだった。
澄川さんと利用者の中の参加者で、大きな公園に歩いて行ったりもした。僕は、歩くのが大好きだったから、この企画には参加することが多かった。
しかし、公園に着くや、サッカーやバドミントンが始まるので、木陰にスーッと逃げた。
僕は、球技が全く出来なかった。
澄川さんに、
「混ざってみようや」
と言われるのが怖くて、
「ちょっと歩いて来ます」
と、1周1㎞以上もある公園を足速に何周もグルグルと回った。
金曜日は、午前のみで、個別訓練で日報を提出して帰宅だった。
日報は毎日書くもので、1ページ目は行政に提出したらしい。参加日や時間を記入して、誤ったものには訂正印なんかも押した。
2ページ目からは、その日に行った個別訓練の内容と、午後プログラムの感想を書いた。
ある金曜日、その日報を提出して、施設の玄関が近づいた時、利用者の木本さんに他の方が、
「ここいいですね、楽だし」
と言った。
すぐに、
「でも、ここではお金が稼げないんだよ」
と、木本さんは返した。
僕は、元々年上の木本さんが好きだったが、これまたその通りだと思った。
彼は、足が悪く、杖をついていた。
「足が悪くなってリハビリをしている時、何回もリハビリの先生を殴ってやろうと思ったんよ、何のためにやらんといけんのって、特に三嶋さんみたいな引っ込み思案な人だとね」
と話してくれた。
僕は、彼が僅かに微笑んだ後、落涙したのを忘れない。
現在も、LINEで繋がっている。
最近、『早く奉仕が終わって、定年になりたいわ』と元気に送ってきてくれた。
そして、『この度、結婚しました』とあった。
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