スタイル感じる
GPZ900R
ふたりでララバイEP:夢の中の排気音
なんて綺麗な場所なんだろう。
空気が澄んでいるからなのか、遠くの山がはっきりと見える。
高く上った日に照らされた湖は、宝石でも散らしたかのようにキラキラと光り輝いていて、足元を見れば透き通った水の中を小魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる。
それらを取り囲む森が放つ湿った土の匂いは、どこか安らぎを感じる。
誰だろう。私をこんな素敵な場所に連れてきてくれたのは。
病弱な私が一人でこんなところに来れるはずがないんだ。
ここに来るまでを思い出そうとしても、頭に靄がかかる。
とにかく、この景色を描き写そう。
私は持っていたノートを広げて、シャーペンでこの素晴らしい世界を白の空間に再現した。
あとは帰って色を付けよう。
『どこへ行くんだい?』
帰ろうとした私の背後から、不気味な声が聞こえてきた。
振り向くけど誰もいない。
『君が行くところはそっちじゃないよ』
『もう戻ることはできないんだ』
『後悔はないはずだろう』
だけど声はさらに語りかけてくる。
「だれ? 一体誰なの?!」
こちらを無視して様々な声がひとしきりに語り掛けてきた後、声は突然黙った。
次いで世界から色が失われた。
あまりの変化に言葉が出ない。
景色はあっと言う間にスケッチのようなモノクロの世界へと変わってしまった。
なんて寂しく悲壮感に満ち溢れているのだろう。さっきまでの自然の安らぎは見る影もない。
黒一色に変わり果てた湖の水面には大小白い何かがいくつも浮かんできて漂いはじめた。
「──嫌ぁ!」
白い何か。
良く見つめると、それは、さっきまで気持ちよさそうに泳いでいた魚たちだった。
『怖がることはないよ。この魚たちは
「……さだ……め?」
怖さで震えながら聞き返すと、周囲の景色が少しずつ動き出す。
湖が周りの景色を、空間を飲み込み始めた。
『運命。それはみんなが等しく持っているものだ。遅かれ早かれ、みんなが同じ場所にたどり着く』
このままじゃまずい。
そう思って走ろうとするけど、怖さに震えて足が言うことを聞かない。
「嫌だ……だれか、誰か助けてぇ!」
景色と共に暗黒の空間へと吸い込まれてしまった。
自分の体以外、何も見えない。
身を包むひんやりとした冷たさは、体の心まで凍えてしまうようだ。
『どうしたんだい。ここは君が来たがっていた場所だよ』
「……嫌だ」
『君を苦しめていた胸の痛みだけじゃない。いろんな苦しみからも逃れられるんだ』
「嫌だ! こんなところ!」
私は必死に叫ぶ。
「誰か! 助けて!」
次第に声が枯れ始めて、ついには何も口にできなくなった。
『ふふっ、無駄だよ。叫んだってこんなところには誰も来はしない。来れはしない。だってここは──死──そのものなんだから』
「空って青いの、空気っておいしいの、体が動くって気持ちがいいの!」
『大丈夫だよ。ここもきっとすぐに慣れるから』
「あなたに見せてもらった素晴らしい世界を……」
『聞こえないと言ったのに……無駄なことを……。さぁ、もう疲れただろう』
「駆け抜けたい! 自由に飛び跳ねたい!」
『お休み……』
「生きていたい!」
死神の冷たいささやきに、私は身を丸めて震えることしかできない。
……助けて。
お願い。
助けて。
「大丈夫。ちゃんと聞こえているよ」
「……えっ?」
死神に割って入って別の声が響いてくる。
優しくて、暖かくて、それでいて聞き覚えがある懐かしい声。
……ォォォン。
『まさか……』
フオォォォン。
音のする方に向かって恐る恐る目を開けると、小さな一点の光が遠くできらめいていた。
星の光ほどの小さなそれは、雄たけびのような音と共にまぶしく大きくなっていく。
そして、私は知っている。
この雄たけびの正しい名前を。
それも、バイクの排気音。
『バカな! そんなはず──』
ブゥオォォォン!
燃えるような紅の車体。
金色に煌めく車体の刻印。
車体がターンして、テールランプの赤い残光が暗闇を切りさき、死神の声を排気音の咆哮で掻き消しながら、あの人はやってきた。
「さあ、行こうか」
差し伸べられた手を強く握ると、彼はヒョイッと私を持ち上げてシートの後ろに跨らせた。
ぎゅっと彼の背中に抱きつくと、車体の前輪が軽く浮くほどの加速が始まる。
何かを叫ぶ死神の声をあっという間に振り切ってしまった。
「見えてきたぞ」
進む先には、出口らしき白い光が漏れているのが見える。
同時に出口に近づくにつれて意識が薄れていく。
そうだった、これは夢だ。
何度か見た同じような夢だ。こんな展開はこれが初めてだ。
「そうさ、悪い夢さ。でも、ずっと側に居るから」
「えっ?」
「……じゃあな、キサト」
「──っ! どうして! キャァ!」
どうして私の名前を知ってるの?
聞き終えるよりも早く、光の中に飛び込んでしまった。
目が痛くなるような閃光が視界を襲い、思わず目を閉じる。
全身を柔らかいものが包んでいる。
暖かい。少し暑いくらいだ。
手をもぞもぞと動かすと、ひんやりとした外の空気を感じるところに手先が抜けた。
足を動かして上から覆い被さっているものを少し動かすと、足の先も外に出せた。
瞳を開けると、灯を消した病室の天井が見える。
終わったんだ。生きてるんだ。
普段を過ごしている部屋の中を見渡すと、どこか落ち着く。
二、三回、ゆっくり息をして、枕元にあるナースコールのスイッチを押した。
しばらくして、お父さんが看護婦さんを連れて部屋に入ってくる。
看護婦が血圧や体温を測っている間に、お父さんは聴診器を私の胸に当てる。そして、私の手足の先をまるで舐めるように見つめた。
「……今のところは問題なさそうだ」
「どうしたの? 手術したのって胸でしょ」
「いや、ただこうして娘の身体を見てみたかっただけだ」
「お父さんのヘンタイ!」
お父さんはくすりと笑って聴診器を首にかけなおす。
「何か飲みたいものはあるか?」
「コーラ」
即答すると、父は「珍しいな」と少し驚きながら、自販機へ向かって病室を後にする。
看護婦さんが部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた。
外の音が聞こえてくる。
ばってんマークだらけのカレンダーによると、今日は赤い日のようだ。
病院の箱庭で遊ぶ私より小さな子供の無邪気な声。
大通りを行き交う車の音。
ウィークデイよりもいろんな音が混じって聞こえる中に、聞き覚えのある音が混じっていた。
フオォォォン……。
「……バイクの音だ」
看護婦が出て行って、同じタイミングでお茶とコーラを抱えたお父さんが戻って来た。
コーラを飲みながら、私は隣にある空きのベッドを見つめる。
「ねぇ、隣って誰かいた?」
「誰もいないよ」
「眠っているとき怖い夢を見たの。でもね、赤いバイクの人が助けてくれたの。その人、私の名前を知っていたの。初めて会ったはずなのに。だから、もしかしたら会ったことがあるのかも、って……」
「思ったのか」
「うん……。変なこと聞いちゃった」
夢の話をした後のお父さんは微笑む。けど、その目はどこか悲しげだった。
二つの絵の具を混ぜ合わせる時の渦巻くような……そんななにかが滲んでいる気がした。
お父さんが病室を出て行った。
寝転がって天井をただ見つめる。
時々聴こえてくる乗り物の排気音。
車かバイクかは分からないけれど、乾いた
目を閉じれば、バイクに跨るあの男の姿がぼんやりと心に浮かぶ。
ベッドの脇にあるたんすの引き出しから、スケッチブックを取りだす。適当に開いた空いているページに、夢に出てきたバイクを記憶を頼りに描いてみた。
「n・n・・ya……ふふっ、へんなの。こんなのある訳ないか」
目を閉じて、少しおぼろげになった記憶を頼りに描いたバイクは、まるで巣でうずくまる鳥のようだった。
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