ふたりでララバイEP:サシの勝負
『たっちゃん? 暇? 御馳走してあげるから付き合いなさい』
居酒屋の地図が添付された端的な文章がフェイに届いた。
「へぇ、珍しいな」
「というと?」
「直接飲みに誘われるのは初めてだ。いつもは母親経由だからな」
「集合時間は19時ですね」
「今何時だ?」
「18時30分です。GPZでギリギリですよ」
「早すぎワロタ」
特に断る理由もない俺は、GPZで場所に向かった。
「──あれか」
店の名前は松山。赤い暖簾と提灯が特徴の居酒屋だ。どの席も完全個室性みたいで、店構えは質素ながらもどこか高級感を感じる。
俺の母親とよく飲みに行く店でもなければ、結さんの働いている病院からも離れている。
なんだってこんなところに。
路肩にバイクを寄せてヘルメットを脱ぐと、店の入り口の脇に立っていた結さんが歩いてきた。
『なんでバイクなのよ』
『ただ飯を食い倒すつもりなんで』
『つまんないわね……まぁいいわ。店の駐車場が裏にあるから。それ、早いとこ停めてきなさい』
店の裏のガレージに駐車した後、店の人に一番奥の広い部屋に案内される。
すでに注文を済ませていたのか、テーブルにはビール瓶とおつまみがそろっている。結さんはすでに一本開けて飲み始めている。
「ほら、こっち来て座んなさい」
座椅子の背もたれにいっぱい体を預けて上半身をそらせながら、向かい側の席を指さした。別の意味で誘ってんのかと思えるくらいに豊満な胸が上を向く。
座椅子に座ると、結さんはメニュー表を差し出してくれた。
「好きなの頼んでいいから」
「なんかいい事でもあったんすか?」
「飲む時は景気よく行くもんよ」
「スシスキヤキ・バンザーイ」
俺の注文が済むと、今度は手に持ったビール瓶の先で、俺の手元のガラスコップをクイクイっとする。
コップをさしだすと、金色の極上の液体が、泡がこぼれんばかりに注がれた。
「これノンアルですよね」
「アルアル~」
「GPゼットぉ~(バイクなのにぃ)」
「ホテルに泊めさせてあげるわよ」
「盗難ん~」
「ここシャッター付きだから。よく接待で来る場所だし、女将に言えば大丈夫よ。男の子ならごちゃごちゃ心配しない」
駐車場や盗難の心配や寝泊りまで面倒を見てくれるとか、意地でも飲ませたいらしい。
観念して、俺はビールを飲む。
「へぇ、いい飲みっぷりじゃない。飲まないんじゃなかったけ?」
「ぷはぁ──自分から飲もって思わないだけですよ」
しばらくの間、雑談が続く。
話題は主に、職場の愚痴だ。キサトのお父さんの秘書として、看護婦として、黒のローファーと白のハイヒールを片方ずつ履いている、結さんの苦労話だ。
途中、頼んだ料理が運ばれてきて、その美味さに箸が進む。途中で切り替えた日本酒は絶品で、料理の味を引き立てながら俺たちを程よく酔わせた。
酔いに任せて話の勢いは増していくものだ。
ただ、時々、キサトと俺に関係する話題を振ろうとしては、話ずらそうな表情を一瞬だけあらわにしながら、話をほかに切り替えていく。そんな結さんのしぐさに、俺はどうして急にこんなところに呼ばれたのかを少しずつ察し始めた。
たぶん、俺とキサトとのことだろう。
俺が病室を訪れても、キサトは俺と会おうとしない。
最初は発作が出たようだったけど、そのあと何度か会いに行っては病室の扉の前で追い返された。
「ごめんなさい。今日は具合が悪いの」
「ごめん、まだ具合悪い」
「今日も……ちょっと……ごめんなさい……」
扉を隔てて聞こえてくる、弱弱しい彼女の声を思い出す。
はっきりわかるのは、彼女が俺を拒絶しているということ。
俺が何をしてしまったのだろう。思い当たる節がない。誕生日でも忘れていたのだろうか。いや、何時なのかじたい知らない。それだったらプレゼント持って行って謝ってみれば機嫌が直るだろう。でも、そんなことで起こるような性格の女の子じゃない。今までの旅の中で、なんとなくだけどそう思う。
しばらく時間を置くことにした俺は、この二週間くらい病室には寄らないことにしていた。
きっと、そのことだろう。
方向を反らした話題もネタが尽きた。
お互いに酒を注いで一口飲むだけ。
目線が絡んでは、俺はフェイに視線を向ける。普段は勝手にしゃべっているこいつが、この店に入ってからはずっと画面を暗くしたまま。空気を読んで今回は介入はしないつもりなのか。まったくぶっ飛んだAIだ。
せめてどうやって話題を振ったらいいか、アドバイスくらいしてくれてもいいだろうに。
耐えかねた俺は「キサトの体調はどうです?」と、話題を振ろうとした。
それと同時に、結さんも口を開いた。
「キサトちゃんは元気よ」
「そっか……ならよかったです。会えなくて寂しいけど、元気なら、それで……」
「そのことなんだけどさ。最近、女の子と会った?」
「えっ? 女の子……」
フェイに視線を移すと、同じことを連想したのか画面に「ハヤテさんのことでしょうか?」と映し出していた。
「どうなの?」
「……会いましたよ」
「どこで?」
「病院の中庭で……」
「どういった関係なの? その子のこと、どう思ってんの?」
なにこれ? 面接?
「俺が大学生のころのバイト先に来ていたお客さんですよ。ただ、あの時のお客さんくらいにしか思ってないですよ」
結さんは畳んで傍らに置いていたスーツのポケットからスマホを取り出して、俺に中庭に仕掛けられた防犯カメラの映像を見せる。
ばっちり映っておりますよ。
俺とハヤテのハグシーンが。
拡大すれば顔もはっきりとわかるくらいの最高画質。これは言い逃れできない。するつもりもないけど。
「あぁ、これでなんとなく解りましたよ……」
なんで最近キサトが会ってくれないのかが。
早い話が、このラブシーンをキサトが何処かから見ていたってことだ。
「この子のフルネーム、知ってる?」
「ハヤテくらいしか」
「神崎っていうの」
「……はい?」
「神崎・ハヤテっていうの」
え? まってくださいよ。
「それってつまり」
「──ごめんなさい! 私の娘なの!」
誰でもいいから嘘だと言ってくれ。
俺があの頃、レースで死闘を繰り広げた相手が、結さんの娘ってか?
いや、この事実を踏まえながらハヤテの顔を思い返してみろ。面影があるような気がしてきた。
……おい、やめろフェイ。黙って結さんとハヤテの顔写真を半透明にして重ねるな……やべぇ似てる。
目元や顔の輪郭なんかマジでそっくりだ。
「マジですか……」
「娘には説明したんだけどこじれちゃった……」
「そりゃこじれますよ……」
どんなふうに説明したかは関係ない。親の口からあきらめろと言われたって無理でしょ。特に恋愛に関しては。
結さんは質問を続けながら、大ジョッキのビールを煽る。
「──ぷはぁ! 話は戻るけど、本当に娘とはお客さんと店員さんの関係だったの? あの娘があんなに強く反発するなんてはじめてで……」
「……レースをしたんですよ」
「レース?」
「あいつの練習コースと俺の大学の帰り道が被ってたんですよ。知らず知らずのうちにレースみたいになってって。箱根からレインボーブリッジを走り抜けるデカいレースに参加した時、俺とあいつで優勝争いをやって引き分けたんですよ。あいつからしたら、俺はライバルみたいな感じだったのかもしれないです」
「ゴクリ……へぇ、んじゃあー恋愛感情は?」
「微塵も」
「グビッ! ──あっそぉ! グビグビッ!」
「ちょっ!? 一気に飲み過ぎ……」
「これが飲まずに──グビッ! ぷはぁ! いるぁでぇどぅがっでむんだぁー!(これが飲まずにいられるかってんだぁー!) ベェのまぁデェ……目のまぁでわたずのぶずべぎゃ……ぶだれてんのにぃ!(目の前で……目の前で私の娘が……振られてんのにぃ!)」
『ごもっとも!』
ごもっとも!
フェイの余計な一言と俺の心の声がハモる。
しかし、これはまずい。
結さんの酔い方レベルは喋り方で決まる。
第一形態はシラフと同じような感じで、声色が少しだけ高くなる。
第二形態はへでれけのおっさんみたいに呂律が回らなくなる。
第三形態となると、逆に呂律が回るようになる。
これ以上は……と停めようとしたが、結さんは掴んだ俺のトックリを逆さにして中身を一気に飲み干してしまった。
「おい、タツキ! 私の娘のどこが不服だってんだおいコルァあ?」
はい、
「別に不服って訳じゃないですけど……痛ぁっ!」
お膳の下で脛を蹴られた。
「じゃあ良いじゃねぇかよぉ。わたしに似て顔も良ければスタイル曲線最高やないかい!」
「だからそういう問題じゃないんですって! 出会い方が最悪だったんだ!」
「んなこと言ってるから彼女できないんだろがクソ童貞! ──オラァ!」
「ちょっ、まっ──いたたたた痛い痛いってぇ!」
お膳をジャンプで飛び越した結様。両肩に手をかけて全体で俺を押し倒した。
『結選手怒りの奇襲! 逃げようとするご主人さまの背に腰を落として、その首に手をかけて締め上げていくぅ! ご主人様、ギブアップ?』
「ノーだっ……てか楽しんでんじゃねぇよAI《ばかぁ》!」
ふり解くこともできるけど、無理に力を使えば体が風化してしまう。
だれか助けを呼ぶしかない。
『ご主人様、足を動かしてじりじりと出入り口の方へと逃げるっ! あぁっと、しかし、片足を美脚で固定されたぁ。そのまま覆いかぶさるようにのしかかられ、頭を抱え込まれて捻り上げられる! STFの完成だぁ!』
フェイ、お前はしばらく
「別にキサトちゃんと掛け持ちでもいいのよ?」
「ファッキン嫉妬ナゲット! 自分が何言ってるか分かってんすか!?」
「ほらほら、背中を感じてみなさい。わかるでしょ、この柔らかさ。想像してみて。あの子、私よりおっぱい大きいのよ?」
信じらんねぇ! この母親、自分の娘売ってんぞ?!
「内心、女の子ならだれでも良いんじゃないの?」
「んなわけないじゃないですか! それでよかったら、二十代中盤までエロ同人にお世話になることは──ぎゃぁぁぁあああ助けてぇぇぇ!」
「ふん、どうだか。そんなこと言ってたって男なんてヤレたらそれでいいんだから」
「んなことないですって!」
……あれ? エロ漫画のキャラに世話になってたってことは、ある意味、女性の身体を求めていたとも言えるわけで。その理屈を掘り下げていくと、世のリア充どもを呪いながらエロ漫画で事を致すってことは、
「口では何とでも言えるわ! ここを触れば一発で……あっ……」
「てめぇ……いい加減にしろぉ!」
『おっと、結選手が次の技に移ろうとした隙を突いたぁ。形勢逆転! ご主人様はマウント取って拳を振り下ろす体制! 結選手がガードを固めるぅ!』
「──どうしたのよ? やり返しなさいよ」
できるわけないでしょ。こうやって殴られることの痛さ、怖さを、やられたことのある俺は知ってんだから。
「いまので、もうわかったでしょ」
俺はそっと、結さんの首にかけた手の力を抜く。ぽたりと、透明で何かわからないけど、何かが見下ろす結さんの顔に落ちた。
「……ごめんなさい。一人で悩んでたのに、ひどいことしちゃって……余計に傷つけて……」
結さんの指が、俺の目じりをそっとなでる。そして、体を起こした結さんは、俺をぎゅっと抱き寄せた。
「本当にごめんなさい」
「お酒なんて大嫌いだ……」
「あなたがキサトちゃんのことが大好きなの、よくわかったわ。本当はそれが確かめたかっただけなのよ。なのに、あたし……いい大人なのに……やり方を間違えたわ……」
「俺、もうどうしようも無いんですよ。自分の気持ちを伝える方法が、言葉以外なくなっちゃって。でも、聞いてもらえないし……」
「大丈夫よ。ちゃんと伝わる。いえ、伝わってるわ。体動かしたらまたお腹減ってきちゃった。さぁ、食べましょ」
『ここで試合終了! 引き分けだぁ!』
「……フェイ」
『なんです?』
「覚えてろよ」
このあと、AIは一週間ほど放置して干からびさせてやった。
そう、言葉じゃ伝わらないことがある。
実力を行使して犠牲を払わないといけない時がある。
今がきっと、その時なんだろう。
そうしなければ、きっとキサトの心を開く事はできないだろう。
「フェイ、ハヤテにメッセージ打っとけ」
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