8.寒村の少女……⑥

 魔術師マジシャンの絶対数が全人口の2%に過ぎないと言われているこの世界で、魔術師マジシャンは国で管理すべき存在とも言えた。

 生活魔術を上回る……即ち第一等級の魔術を使える者など、この世界ではまず存在しないのが当たり前であり、魔術師マジシャンは貴族の証とさえ言われている。

 その適性がある子供は、王室の意を酌んだアルフォード大聖堂にて保護され、魔術師マジシャンとなるべく教育を受けることになる。


 レイモンドは、そのアルフォード大聖堂から、適性のある子の調査と保護を命じられていた。

 ともすれば稀有けうな才能を持つ子供がさらわれ、他国に高値で売り渡す人身売買組織に狙われかねないからだ。


「しかし……だ……」


 レイモンドは呟いた。初めてシェリルの能力を知ってから、彼はえてシェリルの事をアルフォード大聖堂に知らせていなかった。

 実際、彼は迷っていた。


「あの子の力は私も驚くほど強力だ。アルフォード大聖堂で教育を受ければ、きっとすばらしい魔術師マジシャンになれるだろう」


 シェリルを教会に送り届け、診療所のある家に向かって村の中を歩きながらでも、ふと言葉が漏れる。

 彼がシェリルの師匠だという認識も既に村の中では知られており、治癒師ヒーラーである彼の心象の悪化を恐れてか、シェリルに対する子供達の虐めや暴力は鳴りを潜めている。

 むしろ先ほどのララやエイディーのように直に憧憬の眼差しを向けてくる者も確かにいるのだ。


「それでも……だ……」


 レイモンドは腕組みをした。彼女の中に潜む何か特別なものを感じ取っていた。


 シェリルの魔力は単に強大なだけではなく、どこか神秘的で得体の知れないものを感じてしまったからだ。

 レイモンドは、彼女の力が単なる魔術の枠を超えた何かであり、大聖堂の厳格な教育制度の中では十分に開花しない可能性を危惧したのだ。


 さらに、シェリルの孤独な性格を考慮すると、大聖堂での育成環境が必ずしもこの少女に合うとは思えなかった。

 それならば上級魔術師アークマジシャンである自分が自ら育て、シェリルが自分自身のペースで成長できる環境を与えたいと考えたのだ。


 だからレイモンドは、アルフォード大聖堂に対して「才能ある少女を発見したが、まだ観察が必要」という曖昧な報告を続けた。同時に、彼はシェリルの教育により多くの時間を割くようになった。



                          ◆◆◆◆



 レイモンドがアルフォード大聖堂への報告を躊躇って7年の月日が流れていた。

 12歳になったシェリルの魔術能力は、驚異的なレベルに達していた。


 魔術扱いされない『火を灯す』『水玉を作る』『微風を吹かせる』『土を盛る』という『生活魔術』とは別に、『魔術師が扱う魔術』の等級は全部で10等級。

 数字が1、2と増える度に難易度は高くなり、第10等級など人間族ヒュームが操るのは困難なものまで存在する。


 上級魔術師アークマジシャンのレイモンドは第4等級の魔術迄は単独で行使できるが、それ以上となると他の上級魔術師アークマジシャン以上の能力を持つ者と協調しなければ、発動させることはできない。

 それ程、等級は上げれば上げるほど困難なものになって行く。

 しかしシェリルは、12歳にして、第1等級迄の魔術を難なく操り、さらには第2等級の一部さえ扱えるようになっていた。

 それは師となったレイモンドでさえ、彼女の能力の全容を把握しきれないほどだった。


 しかし、シェリルの力が増すにつれ、村人達の彼女に対する不安や怖れも強まっていた。

 日々成長する彼女の魔力は、もはや村に住む森風精族エルフですら凌駕するレベルに達していた。誰もがその存在を無視できないほどの存在感を放っていた。


 事実、彼女の魔力は、時として制御不能なほどに膨れ上がることもあった。

 村の周辺でレイモンドと共に魔術の練習をする彼女の姿を見かけた村人達は、恐れと畏怖の眼差しを向けるようになっていた。




 そんな矢先、事件は起こった。




 ある晩秋の日、シェリルは村はずれの広い野原で、いつものように魔術の練習に励んでいた。

 夕暮れ時の空が赤く染まり、冷たい風が彼女の長い髪を揺らす中、彼女の瞳には決意の色が宿っていた。


 この日、彼女は習得したばかりの炎系統の第2等級魔術『火炎驟雨ファイヤーストーム』の習得に挑戦していた。

 この魔術は、等級こそ低い者の制御に緻密さを要求される。それは上級魔術師アークマジシャンでさえ扱いに慎重を要する危険な魔術であるとも言えた。

 シェリルも、師であるレイモンドから、その威力と制御の難しさを十分に伝えられていたからこそ、いつも以上に慎重に詠唱を始めた。


 彼女は深呼吸をし、魔力を体内に集中させた。

 掌を前に向け、目を閉じて詠唱を始める。


火の大精霊サラマンダーに請願す。我が呼びかけに応えよ。天より降り注ぐ炎の雨となりて、燃やし尽くせ……」


 シェリルの周りに赤い魔力の渦が巻き起こり、空気が揺らめいた。野原の草が風にそよぐように、魔力の波動が周囲に広がっていく。彼女の桜色の髪が宙に舞い、スカートの裾が魔力に反応して揺れ動いた。


 しかし、詠唱の最後の一節を唱えようとしたその瞬間、頭の中に、幼い頃に浴びた村長の息子ジョアンの声が響き、シェリルの集中が一瞬途切れた。


“この不気味な魔女め! 村から出て行け!”


 あの事件以来、ジョアンはシェリルを無視するようになった。まるで存在しないかのように振舞い、彼女に気付いても近づこうともしない。

 以前、倒木の下敷きなり大怪我をした際に、シェリルに治療されても彼はシェリルを見ることなく立ち去った事もあった。


 シェリルは忘れてはいなかった。

 幼い頃に浴びた怨嗟の声は、いつでもシェリルの心をさいなんでいた。


――わたしって……何なのだろう……?


 師であるレイモンドに訊ねても「それは自分自身で見つめ、決める事だ」と言う。

『何ができるのか?』ではなく『何を為すか』だとも言われるが、それがシェリルには何のことかわからないままだ。


 そう思った一瞬の隙に、魔力の制御が乱れ始めた。


――いけないっ!!


 シェリルは慌てて魔力を抑え込もうとしたが、既に手遅れだった。魔術は暴走を始め、彼女の周りの空気が激しく振動し始めた。


「やめて! 止まって!」


 シェリルの必死の叫びも空しく、大量の火炎弾が空へと放たれた。それは美しくも恐ろしい光景だった。無数の火の玉が夕暮れの空を彩り、まるで流星群のように降り注いだ。


 幸いにも、シェリルの練習場所が人気のない場所だったため、人的被害は出なかった。しかし、広範囲に着弾した火炎により、周辺の野原は一瞬にして焦土と化してしまった。かつて緑豊かだった大地は、黒く焦げた荒れ地へと変わり果てた。

 炎と煙が収まった後、シェリルは呆然と立ち尽くしていた。

 彼女の目には、恐怖と後悔の色が浮かんでいた。


「わたし……何てことを……」


 彼女の震える声は、誰にも届かなかった。

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