7.寒村の少女……⑤

「ほぅら、ララー! はやく、おいでよー! マンゴーなくなっちゃうよー!」

「エイディってばぁ! ちょっと待ってよー!」


 悪戯小僧のように笑いながら走る、黒髪の男の子の後を、光る銀髪シルバーブロンドをした小さな女の子は必至で追い駆けていた。

 男の子の方は、手にしたマンゴーの実を両手に持ち、女の子を呷るようにマンゴーを見せつけ、再び草原の上を走り続けるが、草のつるつまづき見事に転倒した。


「うっ、うわぁぁぁぁぁん!!」


 膝小僧を擦り剥いたらしい。

 女の子が、慌てて泣きめく男の子の所へ駆け戻った。


「大丈夫? エイディー?」

「うっ、ひっく、ぐすっ、痛いよぉ~!」


 擦り剥いた右膝からは、血がにじみ流れ落ちてくる。その傷を見たと同時に、彼は先程より勢いを増して泣き出した。


「ほら! 泣かないの! エイディーは男の子でしょう!」


 光る銀髪シルバーブロンドを持つ女の子は、泣きじゃくる男の子の頭を撫でて、手を引いた。


先生ドクターが治してくれるから、行こう!」


 男の子は泣きながら、首を振って付いて行った。木造の平屋建ての家が立ち並ぶ村。中央にはこの村に住む人々の命を支える水が懇々と湧き出る泉がある。とても小さな村。


 このウーラニアー村のある場所が、最も多くの水を採ることができる場所だった。紺碧のテレストー洋を一望し、冒険者達から『魔の森』と怖れられる魔物の住まう森『ユーミルの森』に臨む小高い山と渓谷のある村。

 しかし、そこに湧き出た水は澄んで清く、水を求めて人々が集まった。


 その村の片隅にレイモンドは家を借り、診療所を作って住んでいる。


「レイ先生!」


 銀髪シルバーブロンドの女の子が、泣き続ける男の子の手を引いて彼のもとへとやって来た。


「ん? どうしたんだい? ララちゃん」


 白い紙に羽ペンを走らせていた彼は、ドア口に現れた二人の子供の姿を認めると、作業の手を止めて顔を上げた。


「エイディーがね……お怪我したの……」


 ララと呼ばれた女の子が、相変わらず泣き続けるエイディーを彼の前に連れて来た。


「どれどれ? おや、これは、まず消毒しないといけないね。そこに座って」


 レイモンドは、エイディーを椅子に座らせた。

 そこで机の上に置いてある箱を開けて消毒液を取り出して、洗面器の水で傷口を洗うと、エイディーは盛大に泣き声を上げた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! 痛いよ~!」

「エイディー、我慢しようね!」

「嫌だぁぁぁ! たーすけーてー!!」


 彼は、おどけたように微笑みながら消毒液を患部に塗る。しかし、それもまた沁みるのでエイディーの泣き声は止まなかった。


「仕方ないなぁ……」


 レイモンドは困ったように笑うと奥の椅子で静かに本を読んでいる桜色した髪の少女に声を掛けた。


「シェリル、ちょっと来てくれるかな?」

「……何?……先生……」

「『治癒ヒール』の魔術を掛けてみよう。何事も練習だ」


 レイモンドがエイディーを指示して促すと、シェリルは怯えたように首を左右に振っていた。


「わたし……聖魔術は……」

「大丈夫。教会で毎日働いている君なら『祝福』は授かっている筈だから。この子の傷が治る、元の状態に戻っていることを感じながら、ゆっくりと魔力を流していくんだ」


 レイモンドがシェリルの手を取り、エイディーの傷口に近づけていく。その様子をララもまた、心配そうに見守っている。


「うん、魔力の流し方はそれで良い。ゆったりとした流れに飛沫しぶきを立てないように水を足す感じで……これは『祝福』を授かっている者にしかできないからね」

「…………」


 シェリルは全身を巡る魔術の流れ方を意識し、エイディーの傷口に集中した。


「それで良い。さぁ、詠唱してみよう。今回は僕が詠唱するから手を繋いで、中継してくれ」

「……うん……」


 レイモンドがシェリルの手を握ると、彼女は「あっ……」と声を上げて小さく身体を震わせた。


「緊張するのかな?」

「…………」


 シェリルが小さく頷くとレイモンドは「大丈夫だ」と応えて、静かに目を閉じた。


「いと慈悲深き地母神よ、その慈悲を以て手傷を負いし者に、聖なる御手を賜り給え……治癒ヒール!」


 するとシェリルが翳した左手から淡い桃色の光が放たれ、エイディーの傷口に注がれていく。刺すような痛みが一気に無くなったエイディーは、狐につままれたような顔を自らの傷口に向け、やがて、キョトンとした眼差しをシェリルに向けた。


「……終わった……」

「はい、おしまい! もう大丈夫だよ」


 シェリルが呟くと、レイモンドは輝くような笑顔を見せて、男の子に微笑む。


「凄い凄い凄い、すごーい!」


 歓喜の声を上げたのは、エイディーではなく彼を連れてきたララの方だった。


「凄い! 傷が無くなってる! 凄いよレイ先生、凄いよシェリルちゃん」

「……!?……」


 ララの憧憬の眼差しを向けられて、シェリルは驚き、そして動揺した。

 このように真正面から感謝の言葉を言われたことなど今迄なかった。


「ほらエイディーも! ボーッとしてないで、レイ先生とシェリルちゃんにお礼言いなさい!」


 ララはまるで母親にでもなったかのようにエイディーを促している。

 この年頃の女の子にありがちな『面倒見たがり』な傾向と言っても良いのかもしれない。


「ありがと……レイ先生……ありがと……シェリル……」


 先程の泣き声とは一変してか細い男の子の声。その姿に、レイモンドは目を細めた。


「なぁに! 怪我をするのは、元気な証拠だよ!」


 彼は、治療道具を片付けながら、にっこりと微笑んだ。


「うん、ありがと!」


 ララは、エイディの手を引いて、レイモンドとシェリルに手を振った。やがて、二人の子供は、再び元気良く外へと飛び出していった。「先生もシェリルちゃん凄かったね」という言葉を残して。


「どうだい、シェリル? 初めての『聖魔術』は?」

「…………」


 シェリルは言葉もなく自分の両手を見つめていた。

 初めての経験ばかりだった。聖属性魔術の行使も、その魔力の流れも……そして向けられた感謝の気持ちも。


――何だろう?……この気持ち……


 虚空を眺め物思いに耽っているシェリルを見て、レイモンドは思った。

 この子の潜在能力ポテンシャルは非常に高い。直ぐにでもアルフォード大聖堂に報告すべき逸材だ……と。

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