第1章 早春の少女抄

1.大精霊の願い

 刹那せつな、『風の大精霊シルフィード』ユーフェミアの顔が蒼ざめた。戦慄が身体中を駆け巡る。


――何て怪物バケモノなの……?


 喉を締め付けられるような恐怖が襲ってくる。


――こんな筈では……!


 彼女は焦った。

 右肩で支えている親友ともを、虚無の彼方に消えゆく光の渦の中から助け出した迄は良かった。それに自信だってあった。


 自分達は、何と言っても、この世界を束ねる四大精霊エレメンタルクリーチャーだ。天の理、地の理、その全てを束ね、調和を司るべく生を受けた存在だ。

 故に負ける筈がない。

 その自信が焦りを呼んだ。


 この世界の調和。

 それは四大精霊エレメンタルクリーチャーたる『火の大精霊サラマンダー』、『水の大精霊ウンディーネ』、『土の大精霊ノーム』そして、『風の大精霊シルフィード』たる彼女達による弛まぬ力の均衡によってもたらされている。


 四大精霊エレメンタルクリーチャーは、お互いの力を見極めながら、何処か一方に力が偏らないように調和を取りながらこの世界を守り続けている。


 そんな世界に突如出没した『異物』がコレ・・だった。


『アニマ』と呼ばれる得体の知れない外来の存在が、この調和のとれた世界に突如侵入し、浸食を始めたのだ。

 もちろん四大精霊エレメンタルクリーチャーも手をこまねいた訳ではない。

 それぞれの能力を駆使してこの『異物』の排除に掛かったが、『アニマ』より解き放たれた光の巨人『コラプス』が立ちはだかった。

『コラプス』……『アニマ』が生み出した傀儡くぐつであるが、その力は強大で、四大精霊エレメンタルクリーチャーを以てしても倒す事は出来なかった。


「まさに混沌……こんなのどうすれば?」


 翼をはためかせ宙を舞い、ぐったりとした親友ともを庇う。防戦一方になっていた。

『アニマ』の出現は、世界の秩序を根底から覆すものだった。

 大地は割れ、海は荒れ狂い、空は暗雲に覆われた。生命の営みは混乱に陥り、精霊達の力だけではもはや制御しきれなくなっていた。


 四大精霊エレメンタルクリーチャーは、それぞれの領域で必死の抵抗を続けていた。それを『コラプス』は容易に打ち返していった。


 火の大精霊サラマンダーは、溶岩の川を操り『アニマ』の進行を阻もうとしたが、その熱さえも飲み込むような『コラプス』の光に押し返されていた。


 水の大精霊ウンディーネは、大津波を起こして敵を押し流そうとしたが、その波さえも蒸発させてしまうほどの力を持つ敵の前には無力だった。


 土の大精霊ノームは、大地を隆起させて壁を作ろうとしたが、その壁は『コラプス』の一撃で粉々に砕け散った。


「それでも、彼女だけは……」


 ユーフェミアは歯を食いしばった。

 透き通る蝶のような形状の羽を大きく開き、天空を風に乗って駆ける。彼女のミントグリーンの長い髪がそれを追い掛けるようにたなびいていく。


「『シナノ』……貴女を一人にはさせない! 必ず連れ戻してあげる……貴女を待つ人の下へ……」


 ユーフェミアは肩にぐったりともたれ掛かる親友ともに聞こえるように声を掛けた。晴れた日の空を模したかのような蒼銀色の髪、そして鳥のように背中から伸びる大きな羽の持つ女性。それがユーフェミアが『シナノ』と呼んだ女性だ。


 しかしシナノは、持てる力の全てを使い果たしていた。意識は失ったまま動くことはない。

 さらに彼女の身体に変化が起こった。彼女の身体全体が白く光り出したのだ。


「まずい!『魔素マナ』が尽きて、身体を維持できなくなっている! このままではっ!?」


 状況は悪化の一途を辿り、ユーフェミアは焦った。

 いつの間にか四大精霊エレメンタルクリーチャーは散り散りになり、個々での戦いを強いられている。


 この地での戦いにはもう決着が着こうとしている。我々の負けなんだと……だとすれば、今は戦略的撤退をし、捲土重来を果たすべきなのだ。


――その為には……貴女の力が必要なの! だからお願い! シナノ!


 この光が消えてしまうと彼女の存在は本当に闇の中に消え去ってしまう。ユーフェミアは意を決して、自身の中に蓄えられているエネルギーを光に包まれている女性へと注ぎ込んでいく。

 その瞬間、ユーフェミアの身体から青い光が溢れ出した。風を操る力が、シナノの身体に流れ込んでいく。しかし、それだけでは足りない。


 周囲の空気が激しく揺れ動き、嵐のような風が吹き荒れる。それは、風の大精霊シルフィードの力が限界まで解放されている証だった。


「ユーフェミアさまぁ!」

「ダメだ! ダメですよぅ!」


 彼女の周りを護るように飛び交う精霊達が驚愕した声を上げ、慌てるように周囲を忙しく飛び交っている。そんな精霊達にユーフェミアは笑顔を向けた。


「『アニマ』に対抗できるのは彼女なの……彼女と、もう一人……『あの人・・・』の力があってやっと……」

「だからってぇ!」

「消えちゃいますよぅ!」


 精霊達の声は、既に泣き声になっていた。彼等を司る大精霊の存在はそれだけ大きいのだ。


「それでも……今の我等ができる事を精一杯やるしかない……」


 ユーフェミアは、羽ペンと懐紙を取り出して何やら書き込んでいく。


”ノイルフェールの使徒にその身を託す。の者の名はシナノ也。神の御心に従わんとすることを欲す”


 その間にも光はますます強く光を帯び、それに反比例するかのようにユーフェミアの姿は薄く儚くなっていく。


「汝等精霊に命ず。この者を護り救え! これは我が命である!」


 そう宣言した瞬間、光を放つ女性の姿がどんどん小さくなっていく。いったい何が起きているのか、精霊達には判らない。

 答えてくれる筈の大精霊は、闇の中に消えゆく影のような儚さになっていて彼女を支える事は出来なくなっていた。


『シナノ』と呼ばれている女性の身体から放たれる光は、次第に青い色を帯びていった。

 それは、ユーフェミアの力がシナノの中に流れ込んでいることを示していた。同時に、ユーフェミアの姿はますます透明になっていく。

 周囲の精霊達は、悲鳴を上げながらもユーフェミアの意思を受け継ぎ、シナノを守るように取り囲んだ。彼らの小さな体から放たれる光が、シナノを包み込んでいく。


 天空を覆っていた暗雲が、突如として激しく渦を巻き始めた。

 それは、風の大精霊シルフィードの力が解き放たれた証だった。その渦の中心で、ユーフェミアの身体が光の粒子となって消え去っていく。


「我が友を……任せましたよ……」


 シナノは既に人間族ヒュームの赤子と変わらない状態に変化している。


「どうしよう!?」

「ユーフェミアさまは不滅だよぅ、だから」

「ぼくたちはこの人を」

「どこにだよぅ?」

「きまっているだろう!?」

「『彼』のところ……」


 光が強まる中、『混沌アニマ』が迫ってくる。精霊達は集まり光の球を作り上げる。

 直後に襲い来る黒い閃光が捉え、『時のことわり』が激しく歪みを見せた。周囲は闇に包まれ激しい稲妻が飛び交う中、精霊達の悲鳴と共に光の球は姿を消した。

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