後ろにいるのは

よしお冬子

後ろにいるのは

 たった一週間で、同じ市内で子供が三人消えた。ワイドショーでも大々的に取り上げられ、変質者による誘拐ではないかというのがおおかたの見方だった。

 三人に共通しているのは、所謂『放置児』と呼ばれる子供たちで、友達は少なく、どの家からも拒否されていたこと。また、公園で一人でいるところを複数の通行人に確認されたのが、最後の目撃情報だということであった。

それぞれ別の公園であったが、その時、三人とも手で顔を覆いしゃがんでいたというのである。 寂しくて、あるいは大人に叱られて、もしくは誰かに意地悪されて泣いていたのであろうと言われていた。

『でもねぇ。』

のりこは夕食後の食器を洗いながら、リビングでそのニュースを見ている夫に話しかけた。

『ほら、あの体の大きな子、いたでしょ?あの子がそんな泣き方する?ってお隣さんとも話したの。』

『所詮子供じゃん。泣くこともあるさ。』

ソファでくつろぐ夫は、のんびりと応じる。

 …そう、普通の子供ならそんな風に泣くこともあるだろう。でもその子は違った。近所でも評判の悪ガキ。子供の悪戯で済まないようなトラブルを頻繁に起こしていた。勿論その都度きつくきつく叱られるのだが、どこ吹く風、ニヤニヤ笑いながら、トラブルを起こし続けるのである。のりこの住むマンションも例外ではなかった。

 その悪ガキが唯一苦手だったのは大型犬。小さい頃に噛まれたらしい。そのため、大家は自衛手段として犬を飼うことをしぶしぶ許したのである。

 数件の家が犬を飼いはじめ、その悪ガキにうっかり上がり込まれたら、犬を飼っている家に電話、犬を連れて来てもらって追い出す…という事を続けた結果、マンションから足を遠のかせることに成功したのである。

 台所の片づけを済ませたのりこが、夫の隣に腰かけひと息つく。夫はちらっとのりこを見て、またすぐテレビに視線を戻した。

『まぁ、俺達はまだ子供もいないし、うちにはあんまり関係ないと思うけど…変質者のすることだからなぁ。お前も気を付けろよ。』

『うん。』

そう話しつつも、二人にとってはこんな大きな事件は何だか現実味がなく、所詮他人事であった。


 翌日、のりこは買い物に行くため自転車を漕いでいた。悪ガキが最後に目撃されたという公園にはテレビの取材が来ており、何人かが捕まってインタビューに応じていた。

 のりこはなるべく目を合わさないように急いで通り過ぎる。テレビインタビューなんて冗談じゃない、そう思った。

 ――ふと、その時。子供の頃の記憶が突然よみがえった。

 のりこも昔、『放置児』であった。

 ………なまえ、なんていうの?……

 あの声。あれは…

 『あれは誰だったんだろう…。』


 のりこは特に問題を起こしたりはしなかったが、かと言って、流行りのゲームを持っている訳でもなく、友達の家に行っても部屋の隅っこでおとなしくしていることしかできなかったので、つまらないからと遊んでもらえないことも多々あった。家の鍵は失くすからと渡してもらえなかった。だから、親が帰って来る時間までは、公園に行ってひたすらブランコをこいだり、ひたすら花冠を編んだりと、とにかく時間をつぶす日々であった。

 ある日、公園で四葉のクローバーを探していると、後ろから声をかけられた。

『何してるの?』

 振り向くと、のりこと同年代であろう、見たことのない女の子が立っていた。顔はもはやぼんやりとして思い出せない。特に何か特徴があったわけではない。ただ、にこにことしていて、やさしそうだと思ったことは覚えている。

『四葉のクローバー探してるの。見つけたら、いいことあるんだって。』

『ふぅん。…なまえ、なんていうの?』

『のりこ。』

『のりこちゃん、あそぼ。』

誰かに誘われるなんて、本当に久しぶりだった。のりこは嬉しくて、その女の子と手を繋いだ。

 ブランコして、滑り台、シーソー、それから…、かごめかごめをしようと言われた。

『かごめかごめ?』

『やろう!最初はのりこちゃん座って!目を瞑ってね。』


『あっ!』

 のりこは思わず声を上げた。あれは、行方不明の子供たちが最後に確認された時の姿と同じではないか。寂しくて悲しくて泣いていたのでも、あるいは誰かに叱られたり意地悪をされて泣いていたのではない。あれは、誰かとかごめかごめをしていたのではないだろうか。


 のりこは言われるままに、手で顔を覆い、目をぎゅっと閉じて、自分の周りをぐるぐる回る女の子の気配を感じていた。のりこは当時、かごめかごめをよく知らなかったので、ただ女の子の歌声を聞いているだけであった。

 かごめ、かごめ。かごの中の鳥は、いついつ出やる。

 夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。うしろの正面だあれ?

 それから、真後ろから女の子のにゃー、という猫の物真似が聞こえた。それが何だかおかしくて思わずぷっと吹き出す。

『のりこちゃん、笑ってないで言わなきゃ。さぁ、私は誰?』

『誰って…。』

 のりこは、答えようとして、言い淀んだ。名前聞いたっけ?聞いてない。

『…女の子。』

『名前言わなきゃ駄目だよ。』

『だって、まだ聞いてないもん。』

『じゃあ、のりこちゃんの負け?』

 のりこは目を瞑ったまま、うーんうーん、と悩み始めた。その時。

『おじょうちゃん、どうしたの?』

 声をかけられ、顔を上げた。しばらく目を閉じていたので、まぶしくて上手く見えなかった。少しして目が慣れてくると、それは近所のおばあさんだということがわかった。

 あたりを見回すと、先程まですぐ近くにいたはずの女の子の姿は消えていた。


 ――あれは誰だったんだろう。もし、あのままおばあさんに声をかけられなかったら、私はどうなっていたんだろう。いなくなった三人の子供は、本当に誘拐されたんだろうか。

 ぞっと背中が冷たくなる。のりこはわざと、ガチャンと大きな音を立てて自転車を停める。スーパーの駐輪場はほどほどに空いていた。

 …まさかそんなこと、馬鹿馬鹿しい…そう自分に言い聞かせる。あれは、夢見がちな子供の、ただの幻想じゃないか、と。

 ――でも。あの時、もし負けを認めていたら…?


 買物を済ませ、マンションに戻り、荷物を片付けた。ソファに座ってふーっとひと息つくと、なんだか急に眠くなって、ついウトウトしてしまった。


『ねえ、のりこちゃん。答えてよ。それとも降参?のりこちゃんの負け?』

――負けじゃないもん。こんなのズルだよ。無しだよ。

『…ふん、つまんない。』


 のりこは飛び起きた。心臓がドクドクと音を立てる。かすかに、お菓子のような、甘い香りが漂っているような気がして、急いで部屋中の窓を開けた。まだ手が震えている。…しかし、『あの子』はもうここにはいない。はっきりとそう感じていた。


 いつか誘拐犯は捕まるかも知れないし、…あるいは迷宮入りするかも知れない。あれは、子供の頃寂しくて作り上げてしまったイマジナリーフレンドみたいなもの。この事件とは何の関係ない、ただの思い出。でも…。

 でも…もし将来、子供ができたら。

――ふたりっきりの『かごめかごめ』は絶対にしちゃ駄目だって、教えよう。

 まだざわざわと身体に残る恐怖を感じながら、のりこは心に固く誓った。

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後ろにいるのは よしお冬子 @fuyukofyk

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