思い出の武士
@ondahirou
武士の思い出
武士の思い出
恩田拾
十年ほど前の話である。
僕の部屋には武士がいた。侍ではない。武士である。
そいつはちょうど源平合戦のころのような甲冑を身に着けていて、いかついひげをしており、顎が大きかった。
十年前、僕は小学四年生ぐらいだったのだが、武士はそれから五年ほど僕の部屋に居座り続けた。
武士はめったにしゃべらなかった。武士は寡黙であった。一日中同じ部屋にいたのについに一言も発さなかったこともある。
武士はこれといって何かしているわけではない。本を読むでもなく、寝ているわけでもなく―少しくらい寝てはいるのだろうが―ただそこにいるのである。
彼はいつもしかめ面で僕の部屋に鎮座していたのだが、彼の傍らにはいつも赤鞘の立派な刀があった。彼曰くいつ何時敵襲があろうともその刀―鬼殺しというらしい―を抜刀し、敵に切りかかれるようにとのことであった。坂本龍馬にも教えてやりたい心がけである。
このような武士に、僕はたとえようもないほどの感謝をしている。彼のおかげで今の僕がいるのだから当然だろう。
彼のような存在があったことが、僕の人生にある幸運の最たるものであったと思う。例えば僕が何者かに悩まされているとき、怖気ついた時、彼は必ず僕を助けてくれるのである。
彼が現れたのは2010年、僕が十歳の時である。近しい人を亡くし、自分の招いたこととはいえいじめのようなものにもあい、いっそ死んでしまえば誰かしら憐れんでくれるんじゃなかろうかと空虚に思い悩んでいたころ、現れた彼はこういったのである。
「逃げるな。闘え。」と。
誰もが経験するだろう高校受験。心が折れそうになるたびに「負けるな。」という彼の雄たけびに心を奮わせ、心の支えにして立ち直ってきた。それが僕なのである。
襲い来る数々の敵を前に幾度となく傷つき、膝をついてきた。そんな時、彼の叫びはただ「立て、闘え、負けるんじゃない」なのである。
十年後の今、僕の部屋に彼はいない。ただ彼の赤い刀、鬼殺しがあるだけである。
僕は時々これを抜き、何者かに立ち向かうイメ―ジをしている。はるかな地上は見渡す限り的ばかりである。
彼はもういない。しかし時々、朝駅から大学へ向かうようなとき、ふと聞こえてくるのだ。
立て、負けるな、と。
彼はまだ、僕の背中を押してくれるのである。
思い出の武士 @ondahirou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。思い出の武士の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます