一章(12)

 夜も深い頃、リュトは騒音に耐え兼ね目を覚ました。窓の外に目をやれば、法具が模した月の光が皓々と村を照らしている。

 こんな夜中に騒ぎ立てるなど、平常ではないだろう。

 リュトはベットから起き上がり部屋のドアへと向かうと、扉は開かず聞き耳を立て様子を窺った。

 「私は行くから!何もせずに祈っているだけだなんて耐えられない」

 「落ち着けスファラ。お前一人行ったってどうにもならん。無駄死にするだけだ」

 「じゃあ、皆を見殺しにしろって言うの!?冗談じゃないわ」

 「だからまだ死ぬと決まったわけじゃ……」

 声は部屋の下――おそらく一階の玄関からだ。声は二つだけで、一つはスファラ、もう一つは男の声だった。玄関と二階が階段を通して吹き抜けになっているせいで、二人の会話は二階にあるリュトの部屋までよく聞こえる。おかげでリュトは、二人の会話の大体の内容が把握できた。

 簡単にまとめると、先日から遠征に行っているヴォルガン達だが、どうやら状況が良くないらしい。村で待機していたスファラがそれを知り得る方法は一つ。今話している男は遠征に行った内の一人と見て間違いないだろう。

 男は仲間の危機を報告するため、村に一人逃げ帰って来たのか。そして、報告を聞いたスファラが現場に行こうとしている、と。


 リュトは自分たち、主にエルに危険が及ぶことでは無いと判断すると、再びベットへ戻ろうとしてーー途中で止めた。

 少し離れた場所で扉の開く音が聞こえた。続いて廊下を歩く小さな足音が、ゆっくりと廊下を渡りこちらへと近づいて来る。

 程なくして部屋の扉がノックも無しに開けられた。

 リュトは眼房を鋭くして、今しがた開かれた扉の隙間を睨みつける。夜間の急な来訪者に緊迫感を抱くリュトに対し、来訪者は眠気眼を擦りながら、狭い隙間を悪意も警戒心も無く入室してきた。

 視界に入る幼い影を、リュトは表情を柔らかくして出迎えた。


 「お兄ちゃん……。まだ朝じゃないのに眠れないの」

 訪問相手はエルだった。騒音で目が覚めてしまい、リュトを頼ってここまで来たようだ。

 エルはスファラと二人部屋を使用しているが、スファラは下の階で男と言い合っている。夜な夜な暗い部屋で目覚めたエルは、心細くて一人で眠れなかったのだろう。

 「そうか。少し外が騒がしいからな」

 こっちにおいでと、リュトはエルを手招きする。エルは千鳥足でリュトの元までたどり着くと、ギュッとリュトに抱きついた。リュトはエルをそっと抱き上げ、自分のベットに優しく降ろした。

 先ほどまでリュトが寝ていたベッドには、まだ人肌の温もりが残っていた。

 ベットに残った大好きな兄の温もりと香り。すぐ傍には本物の兄もいる。

 リュトが優しく布団をたたき始めれば、エルはすぐさま眠り着いた。


 リュトはエルが寝ていることを確認し、起こさないように静かにベットから離れた。それから、音を立てずに部屋を出て、同じように階段を下りていく。

 向かうは、五月蝿い二人の元だ。このまま放っておけば、またエルが目を覚まし寝不足になってしまいかねない。

 玄関にいる二人に、リュトは響かない程度の大きさの声で話しかけた。

 「うるさいぞ、おまえたち」

 二人が揃って振り返る。話しかけられるまでリュトの存在に気が付いていなかったのか、二人の顔は唖然とした顔でリュトに振り返った。

 「あ……。ごめんなさい、こんな時間に大声出して。起こしてしまったみたいね」

 「わかったら静かにしろ。次に騒いだら手足と口を縛って、朝までどこかへ閉じ込めるぞ」

 それは困るわね、とスファラが苦笑交じりに応える。


 言いたいことを言い終え、去って行こうとするリュトに、男が怒鳴った。

 「待てよ!」

 リュトはゆっくりと振り返ると、氷の様に冷たく、ナイフの様に鋭い目で男を睨みつけた。

 スファラは、睨まれているのが自分でないと分かっているのに、突然の肌が冷える感覚に思わず自身の体を抱きしめる。今まで忘れていた大事なことを、スファラは思い出した。

 スファラが初めてリュトと会った時、鮮やかな赤い髪を見て、憎き皇族の生き残りだと思った。昨日町を案内している内に、リュトも自分と同じ人間なんだと思えるようになった。

 でも、それはまだ、自分がリュトのほんの一部分しか知らなかったから出せた答えだったと、スファラは今になって後悔した。

 リュトは決して自分たちと同じではない。リュトは本物の悪魔なのだと、今であれば間違えることなく答えられる。今のリュトは、それほどに恐ろしい殺気を放っているのだ。

 スファラの後悔も知らず、男は呼び止めたリュトを更に怒鳴りつけた。

 「お前、居候の癖に偉そうに命令するなよ!それに今、俺たちは大事な話をしてたんだ。仲間が死ぬかもしれないって言うな!それを、うるさいだと?やっぱりお前は血も涙もない皇族だ。こんな奴、早く追い出してしまえ!」

 興奮している男――ティヌは、先ほどよりも大きな声でリュトに罵倒を浴びせた。スファラは焦る気持ちを抑え、静かにティヌを窘める。

 「やめなさい、ティヌ。リュトは仲間の命の恩人よ」

 「騙されるな!……そうだ、お前のせいだ。お前が魔物を操っているんだ!そうだろ!?お前のせいで、ヴォルガン達がっ……」

 ティヌの言葉が途中で途切れた。気づけば、リュトがティヌの首を締め上げている。一瞬のできごとに驚き、スファラは身を固くした。

 ティヌは必死に抵抗しているが、いくら足掻いても、リュトから逃れることができない。徐々に抵抗が弱くなっていき、顔色も青ざめているように見えた。

 ――このままでは死んでしまう。

 「お願い、止めて……」


 スファラが震える小さな声で懇願した。

 リュトは顔を動かさず、横目でスファラを見る。真っ直ぐに自分を見る瞳は、薄く濡れていた。

 仲間の死を恐れ泣いているのだろうか。そういった者を何度か見たことがある。無力なくせにしつこく付きまとってくる、面倒なタイプの人種だ。

 リュトはティヌから手を離し解放した。支えの無くなったティヌの体は、激しい音を立て床に倒れた。床の上で激しく咳き込むティヌの背中を、スファラが優しく擦る。

 咳が止み、しばらく続いていた荒い呼吸も静まってきた頃、男は気を失った。

 スファラが立ち上がり、対峙するようにリュトの前へと立つ。


 「取引をしましょう」

 スファラが落ち着き払った声で言った。先ほどまで涙し震えた声で、助けを乞うていたのに、今度は臆することなくリュトを見つめている。

 そんなスファラの変化にリュトは少しばかりの興味を覚え、気まぐれに話ぐらいは聞いてやる気になった。

 「言ってみろ」

 スファラは少し溜めてから、ゆっくりと口を開いた。

 「仲間たちを助けて欲しいの」

 ーー結局は力をねだりたいだけか。

 予想に反して何の面白みのないスファラに、リュトの興味は一気に覚めてしまった。

 これまでリュトの周りにいた者たちは、誰も彼もその地位や力に縋っていた。彼らは見返りとして忠誠を誓っていたようだが、その忠誠自体もお願いの延長線でしかない。言う事を聞かないのに忠誠心なんて、おかしいものだ。

 利のない約束など、する価値もない。

 「断る。俺に何の利益も無いことだ」

 リュトは情けだけで人に合わせることを、もうする気はなかった。


 「これは取引よ。見返りはあるわ」

 食い下がるスファラの額は、薄く汗をかいている。

 「俺が望むものをお前が用意できるとは思えないが」

 こんな小さな村の非力な娘が払える対価など高が知れている。永住権や衣食住の提供ぐらいだろ。それなら仲間を助けに行かなくても、村を支配してしまう方がよっぽど早いくて簡単だ。

 「神殿に知り合いがいるわ」

 スファラがまた意外な事を言い出した。

 この流れで神殿の話になろうとは、リュトは全く予想しておらず、ピクリと耳が反応する。

 神殿とは教会の城だっただろうか。神子がいて、人が暮らしていける大きな街があって、村よりも安全な場所。

 「昨日神殿の話をしたでしょ。もし、あなたが神殿に向かうつもりがあるなら、私の協力が必要になるはずよ。ただでさえ近づくことが困難な場所に、あなたが単独で行っても追い返されるか、最悪殺されるかもしれない。でも私が一緒に行けば、取り合ってもらえる可能性があなた一人よりはずっと高くなるわ」

 「話が通じないのであれば、力づくで入ればいい。初めから許可など求めていない」

 「それでは、あなたの目的は達成できないわ」

 スファラ教会のことも、リュトの目的もわかっていて提案しているようだ。自信に満ちた目が揺らぎなくリュトを見つめている。

 リュトが神殿に行く理由があるとすれば、エルが神子であるか調べるためだ。神子であれば、身の安全が保障されて、豊かな暮らしができるらしい。

 まずは神殿に行って、エルが神子であるか神官に診てもらわなければならないが、穏便にことを運ばなくては神子うんぬんの前に反逆者になってしまうだろう。


 リュトは腕を組み、少し考えた後、ひとつ息を吐いた。

 「いいだろう。取引に応じてやる」

 「……ありがとう」

 交渉が成立し、スファラは脱力しその場にへたり込む。

 「気の早いことだな。言ったところで全員もう死んでいるかもしれないぞ」

 「縁起の悪いこといわないで。すぐに出発しましょう」

 「待て、エルに準備をさせてからだ」

 すぐさま立ち上がり外へ向かスファラに背を向けて、リュトは部屋に戻ろうと反対方向の階段へと向かった。

 「エルちゃんを連れていく気なの?分かっていると思うけど、今から行くところは凄く危険なところなのよ」

 訝しむスファラに、リュトは特に違和もないと答える。

 「エルを一人にさせられないだろ」

 「一人じゃないでしょ?村の皆もいるじゃない」

 戦う力もない村人を戦力の数に入れられるはずもない。敵に襲われ何もできない人間など、いないも同然だ。

 「俺が居なければ誰がエルを守るんだ。もしこの村が異形に襲われでもすれば、戦う力が無いエルは簡単にやられてしまうだろ」

 「前にも言ったけど、この村は今まで異形に襲われたことはないの」

 この村は聖霊樹に守られているから異形に襲われない。リュトも不思議な力を感じているが、安全だという確証はまだ得られていなかた。

 「だが、それは絶対じゃない。だからヴォルガンは見回りをしていたんだろ?」

 「確かにそうね。でも一緒に来ても同じよ。あなたがエルちゃんを守り切れる保証なんてないわ」


 二人は黙り込み、静寂が場を包んだ。初めに口を開いたのはスファラだった。

 「聖石よ。エルちゃんにこれを渡すわ」

 スファラは胸元に手を入れ、首にかかるペンダントを取り出した。シルバーの鎖に透明な石が付いている。

 「聖石には聖力が込められているの。危険が迫った時にお祈りすれば、魔の力から身を守ってくれるわ」

 リュトはペンダントを手に取り、観察する。光に反射し輝く聖石に触れていると、体の奥がざわざわと沸き立つ感覚に襲われた。初めは強烈に感じだ違和感も、時間と共に薄れていく。しかし、新たに生まれた疲れのような怠さが、急速に全身へと広がっていった。

 リュトは聖石から手を放し、鎖を手に掛けてもつようにする。と、体に起こった異変は、何事も無かったかの様に消えてしまった。もう一度軽く聖石に触れてみる。また違和感を感じすぐに手を離した。

 これを付けているスファラに異常は見られなかった。すると、異常を感じるのはリュトの方に問題があるのか。

 先ほどの聖石の説明を思い出し、リュトは一つ思い当たる節があった。聖石は、自身を巡る魔力に反応したのではないだろうか。もしエルに異変が生じなければ、仮説の信憑性が高まり、聖石の効果は本物である可能性が高くなる。


 リュトは二階の自室へ行き、寝ているエルを起こさないよう、足音を立てずに側へよった。

 あれからは起きずに眠れていたのだろう。リュトは穏やかな寝息を立て眠るエルの首に、スファラから預かったペンダントをかけてやった。

 エルにはリュトに起きたような変化はないようだ。白く輝く石が、リュトには少し眩し過ぎるように感じたが、それも自分だけなのだろうと考えるのをやめた。

 「無いよりはマシか」

 リュトはズレていた布団をかけ直し、エルの頭を優しくなでる。

 リュトとエルはずっと同じ城にいた。だからお互いが遠くへ離れることは今までなかった。

 エルをよく思わない奴らからエルを守る為に、いつも監視という任務で護衛をつけていたし、強力な保護魔法もかけていた。その二つがあれば、もしエルの身に何かあっても、リュトが駆けつけるまでの時間稼ぎぐらいはできる。

 実際に城を出た日もそうだった。

 今回もそれができればいいのだが、生憎それが両方ともない。

 来たばかりの村で信用できる者も居なければ、旅の疲れのせいか強力な保護魔法もかけられそうになかった。それに距離も、城の端から端より、ずっと遠くだ。 

 リュトのエルを見つめる瞳に滲む憂いの色は、瞬きのあと決意へと変わった。


 「行って来る」

 リュトは小さく声をかけ、エルを起こさないようそっと部屋を後にした。

 「行けそう?」

 一人二階から降りて来たリュトにスファラが声をかけた。

 「いいや、もう一つ必要なものがある」

 「何かしら?」

 「お前の一番信用できる者を連れて来い。力もあって、村の奴らが手出しできないような者だ」

 危険とは外にだけあるものではない。内にある危険が時として、一番の脅威になり得ることもあるのだ。

 「どうして……あ、まさか村の人がエルちゃんに何かすると思っているの?ありえないわ」

 憤慨するスファラを尻目に、リュトは冷淡な口調で言った。

 「もともと俺たちはよそ者で、歓迎もされていない。用心に越したことは無いだろう。それとも、この村に信頼できる人間など居ないのか?」

 「エルちゃんは神子かもしれないのよ?神子に危害を加えようとする人間なんて、村にはいないわよ」

 「人間が人を襲う理由は悪意だけじゃない。特別だからこそ手に入れたいと思うものだろう。普段は絶対に手の届かない宝石が、無防備な状態で目の前に置かれていたら、手を出す人間はそれなりにいる」

 スファラは少し考えてから、再び階段へと向かった。

 「わかったわ。すぐに連れて来るから待ってて」

 リュトはスファラが戻って来るのを、地に伏せる男を眺めて待った。

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