灰の枝ー白へと至る道ー
四藤 奏人
序章 帝国歴300年~終末~
城内の広場にごった返す民衆は、皆一様に狂気を孕んだ眼で一点を見つめていた。怒りに近い表情の奥で、喜びに振るえる瞳が爛々と光っている。
冷めやらぬ興奮を、この先に確約された絶頂の為にと必死に沈め、荒い息を潜め彼らが見つめる先にあるものは、既に大量の血で濡れた死刑台だった。
現在行われいるのは、長きに渡り悪政を強いてきた皇族らの公開処刑だ。早朝から始めたにもかかわらず、今だ刑が終わらないまま、もう日は沈み始めている。晴天の蒼い空は夕暮れの赤へと染まり、じきに黒い夜の訪れと共に無数の星々が輝き夜空を埋め尽くすことだろう。
その頃にはこの場所も少しは静かになっている筈だ。
「次の者を前へ!」
一時の静寂を得た広場に、青い騎士服に身を包んだ男の声が良く通る。騎士の指示を受け、銀色の鎧に身を包んだ二人の兵士が後ろに控える男の腕を掴み上げ、足を引きずったまま処刑台へと続く階段を一段を上がった。段を登り切ると、二人の兵士は綺麗に揃った動作で、男を処刑具の前へと放り投げる。
手を後ろに縛られた男は、受け身もとれずに顔を強打し、小さく呻き声をもらした。派手に額を打ち付けたせいで皮膚が裂けたようだ。額から鼻筋を伝い血が下へと流れ落ちていく。赤黒いシミの付いた木の板に、男の流した瑞々しい赤が解ける。その様子を男は茫然と眺め唇を震わせるも、乾き切った男の口腔から音が出ることはなかった。
男の様子など気にも留めず、兵士は台上に備えつけられている長柄の棒を男の首にあてがい顔を上げさせる。
死刑台に上がった男の姿は、広間のどこからでもよく見えた。男の焦燥した様子に民衆は大歓声を上げ、呪いのような罵声を浴びせながら、広場の石畳を割ってできた石を投げる。その声や音は地鳴りのように広がり、空気をも揺らした。
初代皇帝が国を治め始めてから三百年。民衆の積もり積もった憎しみが、いよいよ我慢の限界を超えた。やれ税金だの、やれ懲罰だのと、皇族達は今までどれほどの金と命を民から奪いたったのだろうか。今日の民衆の行動を見れば、想像に難くない。
リーネ帝国は豊かな国だった。大陸全土が帝国の統制地であり、大陸中のすべての人々が帝国の民だったのだ。
帝国歴より前の時代は、大小さまざまな国がひしめき合い争いばかりをしていたが、初代皇帝によって統一されたその後は、大きな争いも起きず平和な時代が続いた。
ーーと歴史書には書かれているが、単に大きな力の前に誰も手を出せなかっただけのことだ。
皇族が人ならざる力を持っていることは、帝国民であれば誰でも知り得ることだ。【魔力】を糧に奇跡を起こす力【魔法】。その力がどれほどに恐ろしいのかを、戦争を経験した者たちは当然理解していた。
人々が皇帝を大陸の唯一として崇め、平和を噛み締めている最中、何処の誰が旗を上げるというのか。例え力による支配の末にもたらされた見せかけの平和であろうと、この世界が崩されることを人々は良しとしない。死と隣合わせの毎日を送っていた人々にはこれ以上争いが続くことの方が、よっぽど恐ろしかったのだ。
時が過ぎ、皇帝に子供が生まれた。その子供もまた、魔法を使うことができた。その次の子供も、そのまた次の子供も、皇族の長子は魔法を受け継いで生まれてきた。
戦争が遠い過去になり平和の中で育った民衆の中で、皇族の魔法は平和の象徴ではなく、畏怖の存在へと形を変えていた。魔法に対する不安が広がり、少しづつその波は大きくなっていった。
しかし皇族たちは魔法を使えることを理由に、自分たちは何人にも脅かされることは無いと見向きもせずに、三百年間も過去の権威を振りかざし続けた。
処刑はその代償なのだろうか。
とうとう魔法に打ち勝つ力を持った者たちが現れ、今に至る。
「静粛に!」
指揮を執る騎士の凛とした声が、民衆を静かにさせる。騎士は兵士に、男を処刑具へと繋ぐよう合図をした。
縦に長い処刑具は、大きな刃が二本のロープで上へと吊るされており、下には中心に丸い穴が空いた板がつけられている。穴の大きさは丁度男の首が嵌まるぐらいの大きさだった。
兵士は板の上半分を取り外すと、男の頭を押さえつけ半円状になった板に首を嵌めた。上から先ほど取り外した板をもう一度重ねれば、僅かの隙間を残し首は板にピッタリと収まる。男は息をするのが精々で、このまま繋いで置くだけでも、数時間後には死んでしまいそうな有様だ。湿り気のない乾いた息が、喉も鳴らない程度の弱々しさで吐き出された。
男の前に、いったい何人が処刑されたのだろうか。今しがた使用されたばかりの処刑具には、べっとりと赤い血が付き、男の眼下には大きな血だまりができていた。されど本日の死刑囚は彼で最後のようだ。後には誰も控えていない。
「これより、最後の罪人の処刑を行う。罪人よ、最後に言い残したことがあれば述べよ」
騎士の問いかけに、男は乾いた口を開き語りだした。
「三百年前、リザの大地には日々多くの血が流れていた。その血に宿る悲しみや苦しみ、痛みや憎しみが英雄を産み、この国を作ったのだ」
初代皇帝は英雄と呼ばれ、帝国では平和の象徴であった。美しい深紅の髪を一房にに編み込み、悠然と戦場を駆けまわる姿は、まさに聖火のようだと謳われている。
自国のためと言い民に血を流させ続ける王たちを、英雄は魔法で次々と粛清し、たった一年で大陸を統一した。
二度と国同士の争いが起きないようにと、英雄はリーネ帝国を建国し初代皇帝の座に着いたのだ。
「我ら皇族は初代皇帝の意志を継ぎ、リザの大地にかような血を再び染みこませぬよう、今日まで国を治めてきた。だが、それが正しかったのかどうか、今となってはもう分らぬ。どんなに望めど時間を戻すことは叶わぬが、変わりに一つ望めるものがあるとすれば……」
「黙れ!暴君が!!」
男の話が終わらないまでに、民衆の一人が叫んだ。それを皮切りに、他の民衆も騒ぎ出す。
「血なんて流れるどころか干上がっていったわ!」
「何が英雄だ!化け物の間違いだろう!」
「悪魔の力を使う人間が初代皇帝なんて、この国は初めから間違っていたのよ!」
「時間なんて戻りやしねぇ!悪魔一族は根絶やしだ!」
静粛に、と騎士が民衆を静かにさせる。騎士はまだ刑も施されない内から赤に染まる男を一瞥し、腰に差した剣の柄に手をかけた。
「懺悔の時間はもう十分だろう」
血の赤とは真逆の鮮やかな空色のマントを翻し、騎士は鞘から剣を抜く。
「刑を執行せよ」
台の上に立つ兵士が処刑具の両脇に備え付けられた斧を引き抜き、大きな刃を吊る二本のロープ目掛け振り下ろした。プツッとロープが切れる音が小さく鳴り、すぐにガシャンと大きな音を立て刃が下に落ちた。反動で飛んだ首が胴から少し離れたところへと転がった。
大歓声が上がる最中――。
世界は闇に包まれた。
悲鳴を上げることも許されず、大広間の民衆は砂に変わる。
人だけではない。動物も、植物も、建物も、すべてが砂へとなり散った。
リーネ帝国は豊かな国――だった。
国が終わると同時に、世界も週末を迎えた。
黄昏の空は厚い赤黒い雲に覆われ、不気味な色が空を支配する。
砂と雲の支配領域は大陸全土に及んでいた。
大広間を中心に、見渡す限り黄色と黒の世界が広がっている。
しかし、すべてでは無いようだ。ところどころに色のついた場所があった。
そこではまだ、人も、動物も、植物も、建物も、健在だろう。
一体どうしてこうなってしまったのか。
死に際の皇帝の願いが、血と共に大地に染み込む。
「一つ望めるものがあるとすれば、血に飢えた蛮族に罰を……」
処刑台は変わりなく建っていた。台の上には小さな砂の丘がある。不意に風が吹き、丘の砂をさらった。砂の中から赤い石のついた指輪が現れた。
砂だらけの世界で、まるで深紅の指輪だけが色を持っているかのように、美しく輝いている。
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