「俺を造った理由は何だ?」
医務室のある建物を出る。外はすっかり暗くなっていた。そこから少し歩くと、別の建物が目に入った。
イリスが言うには、士官学校に在籍する生徒が寝食をする宿舎のようだ。
外観は、中世ヨーロッパの画像検索で見た事のある風体だ。
建物の中に入って少し歩くと、待合室と思しき広い空間に出た。ネットの画像や映画でしか見たことのない、大きな暖炉が目に入る。
広い空間から、さらに廊下と階段が伸びている。
イリスは階段には目もくれず、廊下に向かって歩いた。どうやらイリスの寝室は1階に割り当てられてるようだ。
「ここがあたしの部屋よ」
しばらく廊下を歩くと、イリスが立ち止まった。
――女の子の部屋か。小学生の頃、スローライフゲームを一緒にプレイするために同級生の女の子の家に行ったきりだ。
トウヤの頭の中には今、年頃の男子特有の夢想が広がっていた。希望と欲望で彩られた桃源郷。そこに、残酷な現実が入り込む余地は無かった。
心臓の鼓動が早くなる。体温の上昇により、手の平が汗ばむ。緊張を紛らわすために固唾を飲んだ。
頭がお目出たい事になってるトウヤを尻目に、イリスはドアを開けた。
飛び込んできた光景に目を疑った。床が見えない。イリスの所有物と思しき、本、衣服、下着等が散見される。
続いて、刺激臭と清涼感と芳香がブレンドされた異臭が鼻にツンとくる。嗅覚がバカになりそうだ。空腹感が吐き気に変わる。夢でのぼせ上がった体温が下がり、鳥肌が立った。
――まず間違いなく、この部屋は俺の短い人生において一番ひどい部屋ランキング、ぶっちぎりのワースト1位だ。ここは、嗅覚と美的感覚が鋭い人から見たら魔境だ。
もしかしてパンドラの箱を開けてしまったのでは? とさえ思う。イリス自体が希望だと考えれば妥当な例えだ。
トウヤの顔は引きつっていた。視覚と嗅覚が現実に打ちのめされ、部屋に踏み入る勇気が無かった。
「そんなところで突っ立ってないで、早く入ってきてよ」
部屋から灯りが漏れている。先行したイリスが灯したのだろう。
床に目を落とすと、足の踏み場が出来ていた。石畳や土を踏んだ靴で、床に散らばった物をかき分けたようだ。
トウヤは覚悟を決めて一歩、足を踏み入れた。
全身が部屋に入った後、後ろ髪ひかれる思いでドアを閉めた。主に換気の面で。部屋の中に入ると怪しげな匂いがより一層、濃くなった。
ドア越しからでは見えなかった床には、透明な容器や見た事も無い枯草が無造作に転がっていた。
「トウヤ、食事の前にちょっとお片付けしようか」
「先に一言だけ言わせてくれ。保護者面するなら、何時でも客人を招待できるくらいには片しておけよ」
イリスは、しゅんと項垂れてから「はーい」と気の抜けた返事をした。
――一応、思うところはあるようだ。口では、ああは言った物の俺だって、人に注意された位で動かない事は多々ある。
だからこそ、せめて換気と足の踏み場の確保くらいは、手伝ってやりたいと思った。ちょうど食欲が失せたところだ。
それに、こんな汚部屋に居続けたら正気を保つ自信が無い。
トウヤは窓を開けると、床の散乱物をまとめる事にした。散乱物の取捨選択は、この悲劇を招いた張本人に任せる算段だ。
改めて、部屋を見回す。籠と棚が目についた。棚は、本を差し込む隙間が虫食いのように点在してるため、読んだ本を元に戻してないと推察。籠には、何も入ってなかった。衣類を洗濯する時にしか使わないのだろうか。
さらにベッドと机を発見した。ベッドの上に、睡眠に関係ない物は置いてなかった。
机の上は、開いた本を置くスペースくらいはあった。しかし、その周りには、複数の透明の容器が置いてあり、それらには色とりどりの液体が入っている。容器の中身が急患を増やす元凶なのは、容易に想像できた。
「イリス、ホムンクルスって結局、何なんだ?」
トウヤは手を動かしながら、唐突に質問を投げた。
女の子と二人きり、と言えばとても甘美な響きだ。もしこれが現世なら、今頃、緊張しながらベッドでもたついているのだろうか。
しかし、トウヤにはそんな甘酸っぱい思い出作りよりも、優先する事があった。
それは、自分の正体について知る事だった。左胸のフラスコの模様、イリスの手にかかれば一瞬で傷が治る事、何よりも……何故、自分が選ばれたのか。
半日くらいだけど異世界に滞在して理解した事と言えば、ホムンクルスとは、異世界の人間が意図的に造り出している生命である事だけ。
「それじゃ漠然としすぎてて、何て答えればいいのかわからないわ」
「そうだな……それじゃ俺を造った理由は何だ?」
「あたしが楽をするため」
「へ?」
想像よりも遥かに陳腐で予想外な答えに、トウヤは思わず素っ頓狂な声を上げた。
異世界に招待したのだから、大仰な理由があるのだと勝手に想像していたけど、それを悪い意味で裏切られたからだ。
「ほら洗濯、掃除とか……色々とあるでしょ? 平民だとメイドを雇う、お金も無いしね」
招待された理由が、自堕落な生活を充実させるため、いう事を知り、トウヤは内心ショックを受けた。
「金が無い、ね……そういや虫を造ってる子いたよな? それなら牛とか豚みたいに家畜を造れば、工面できそうな気がするけど」
「それは無理なの。魔導生物は生殖行為は出来ても、生殖能力が無いの。だから家畜を造っても、増やす事は出来ないわ。ついでに言うと、魔導生物の肉体に滋養は無いみたい。文献に載ってたわ」
「なら動物を造って、皮を剥いで売るとか?」
「トウヤ、あんた普段からそんな恐ろしい事、考えてるの?」
「例えの話だ。それに俺は、この世界の常識を知らん。だから疑問はたくさんあるし、少しでも早く解消したいんだよ」
「うんうん、殊勝な心がけね」
「で、動物の素材はどうなんだ?」
「答えは否。魔導生物は死ぬと、すぐに土や風に還るの。生前、体から切り離した部位も含めてね。だから売り物にしたら大変な事になるわよ。バレたら偽造の罪で処刑されるわね」
「つまり、魔導生物で金稼ぎは、無理と」
「理解が早くて助かるわ」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
そうこうしてる内に、床が綺麗になってきた。
埃の塊がところどころに散見されるが、部屋で靴を脱ぐ文化が無いらしく、そこまで気に掛ける事でも無いようだ。
部屋の臭いも掃除前と比べれば、だいぶ軽減された。ほのかな薬品の臭いが気になるけど、制汗スプレーを使った後に残る人工香料だと思えば許容範囲内だ。
片付けていく内にテーブルを発掘したので、それをベッドの近くに配置する。椅子が一つしか無いためだ。
「うーん、綺麗になったわね」
「ほとんど俺が片したがな」
トウヤは見逃さなかった。
イリスが掃除の途中から、机の前で立ち尽くしていた事に。机の上を整理しているのかと思ったが、配置が変わっただけだ。
「トウヤ、ちょっと話があるから、椅子にかけてくれる?」
「食事の後じゃダメか? このままだと腹と背中が――」
トウヤが軽口を叩こうした矢先、イリスの様子がおかしい事に気づいた。
可愛らしい顔立ちに似つかわしくない、物憂げな目をしていた。テーブルを上には、液体で満たされた透明の容器が置いてある。
イリスは、ゆっくりとベッドに腰を掛けた。トウヤは、促されるがまま椅子に腰を下ろした。
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