第18話 ある貞操をかけた浴場での決斗

 父さんと話して、冬華さんの考えをほんの少しだけ理解できた気がした――その夜。


 俺は冬華さんの屋敷で、壁が壊れていない方の浴槽に沈んでいた。


 「……沁みるぅ……」


 規模で言えば街にある大きな銭湯施設とそう変わらない。


 「一時はどうなるかと思ったが……」


 父さんは案外と俺の季節労働者(?)的な活動を認めてくれたようだ。


 ひと悶着があったものの夏未も雇われたようで当面の不安はなくなった。



 「清掃に入りまーす」


 湯船につかり、物思いに耽っていると……女性の声が聞こえた。


 「あ、今出ますね」


 俺がいたら邪魔だろう。あがろうとすると……。


 「お気になさらないでくださーい。むしろいてくれた方がその……掃除が捗るので~」

 「……この声」

 「私だよ!」


 そこには、半袖にジャージという動きやすい衣装で浴槽を洗う夏未がいた。


 「夏未!?」

 「おにーちゃん! 探したよ!」


 夏未は爺やさんに連れられて以降は消息不明だったわけだが研修は無事終えたようだ。


 「一人で掃除するにも退屈だから、話し相手になってよ、おにーちゃん」

 「ん? 夏未の邪魔にならないならいいけど」

 「大丈夫だよ」


 そう言いながら、夏未はブラシで地面を綺麗にし始めた。


 「案外うまいな」


 初めての仕事だと思っていたが、掃除はこなれていた。


 「バイト先を清掃することもあったからねー」

 「なるほど、通りで」



 慣れた手つきでどんどんと綺麗にしていく夏未はふと、俺の近くにやって来て……。


 「浴槽も掃除するね」

 「えっ、湯もまだ張っているし、俺が入っているわけだが――」

 「…………」

 「夏未さん?」

 「そぉい!」


 彼女は着衣したまま飛び込んだっ!


 「おま、なにを……!」

 「久しぶりに二人でお風呂に入ろうよ!」

 「仕事はどうした!?」

 「つい一分前に休憩時間になったの! 爺やさんに言われてね、しっかり休憩は取れって」


 職場環境はすこぶるいいようだ……ではなくて!


 「休憩時間に湯船入るってどうなんだ!?」 

 「ささ、おにーちゃん、昔みたいに一緒にお風呂入ろうねぇ」

 「服びしょびしょだけど……」


 ただでさえ、下着一枚みたいな状態だったのに、それが濡れてしまっているため小麦色の肌が透けてきている。


 夏未は途轍もない発育を未だに続けている。


 故に、湯船に浮かぶわけだ――二つの球体が……。


 「いや、流石に風呂はまずいでしょ……」

 「おにーちゃんは、私が嫌い?」


 そう訊ねる彼女の表情は、真顔であるけれど……どこか酷く憂いを帯びた表情だった。


 「……嫌いなわけないじゃないか。お前は俺の妹だ、妹には幸せになってほしい」

 「なるよ、なるからこそおにーちゃんがいないとダメだと私は思うな」

 「兄離れを――」

 「する必要ないよね、だっておにーちゃんが好きなんだから」

 「えっ」


 いつのまにか彼女の暗い表情を強引に塗り替えるように、姿を見せたのは獲物を追い込んだ肉食獣が見せるギラついた瞳。


 夏未の様子が明らかに変わった――。


 「確認なんだけど、夏未」

 「どうしたの?」

 「俺も勿論お前が好きだよ? 家族として、そう、ライクだ。夏未は……」

 「ちょっと違うかなぁ。私はもちろん、家族としてのおにーちゃんも好きだけど……私の好きはライクじゃなくて、ラブだよ?」


 そして、びしょ濡れになった衣装のまま彼女は俺の肩を掴んで押し倒す。


 ぎりぎり、俺が呼吸できるようにしつつ夏未は俺の上にのしかかる。


 「あの、夏未……?」

 「フーっ! フーっ!」


 駄目みたいですね。


 こうなった時の対処法を俺は一つしか知らない。


 「だ、誰か助けてぇ―!」


 情けなくて結構。


 貞操の危機なのだ。叫ばしてもらうぞ。


 だけど……これは本格的に困ったぞ? 夏未が俺に家族愛以上の愛情を抱いていたなんて……。


 だが俺はそれに答えられない。 


 彼女が可憐なのは間違いない。幼少期から美形だったけれど、成長して更にそれに拍車がかかっていた。


 家族という贔屓目を抜きにしても……夏未はキレイだ。


 だけど、もう彼女は長い間家族だ。


 その時点で女性としてみるのは、難しい。


 とはいえ、彼女が事に及んだなら……そう言っていられなくなる。


 そして今の彼女は、どうしてか純粋に腕力が……凄まじい。


 「た、助け……」

 「叫び声が聞こえたけど!?」


 浴室に乗り込んできたのは、バスタオルを巻いた冬華さんだった。


 色々と言いたいことはあるけれど、助かった。


 「って、駄犬!? 貴女いったい何を――」

 「!? 満月冬華!?」

 「雇い主を呼び捨てにするなんて本当に犬以下の頭じゃないの!?」


 流石に緊急事態か、冬華さんはかけ湯も忘れてずかずかと浴槽に入ってきた。


 「は、離れなさいよー!?」

 「ぐ、ぐぬぬ……」


 冬華さんが、俺にしがみ付いた夏未を引き剥がそうとするが、彼女は万力のように俺から離れない。


 それよりも……。


 「お、溺れる! 溺れる!」


 夏未が俺を押し倒した段階ではかろうじて顔は水面から出ていたため安全だったけれど、冬華さんが介入したせいで水が顔にかかりはじめる。


 笑えない事態になってきたぞ……!?


 「い、いけないわ! 星見君、捕まって!」


 危機を察知した彼女が俺の手を引く。


 「と、とりあえず……撤退よ! 爺や! 爺や! あの駄犬を捕まえなさい! 再研修よー!!!」


 そして命からがら脱出したわけだが、二人の一色触発の状態はまだ続くのだった……。

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