“蓮さん”、そして“神里さん”

 最近やけに時間の流れが早く感じてしまう。授業中に寝ているわけでも、ましてやボーっとしているわけでもないのだがすぐに放課後になる気がする。


「ねえ亜梨花、これからカラオケ行かない?」

「いいよ。私たちだけ?」

「私たちもだ~!!」

「うるさいっての!!」

「痛い!?」


 帰り支度をする俺の視線の先ではそんなやり取りがされていた。その話を聞いていた有坂は一つ溜息を吐いて名残惜しそうに去って行く……ドンマイ、そんな日もあるって。


「そう言えば今日初めて面と向かって話した気がするな」


 そうそう、今日俺は初めて有坂と話をした。今まで挨拶くらいならしたことはあったが、実際に有坂に話しかけられたのは初めてだった。


『神里君って……そのさ、亜梨花と仲良いの?』

『教室で話をするくらいには仲が良いと思ってるけど?』

『そう……ううん、ごめん。少し気になったから』


 内容はこんなものだ。以前に健一と話した内容と変わらないが、まさかこんなことを有坂に聞かれるとは思わず少しだけ驚いた。本当に聞きたかったことはそれだけだったのか有坂は離れて行ったが、俺を含め傍に居た健一や宗吾は首を傾げていた。


「よし、俺も帰るか」


 少し気になったことではあったがどうでもいいといえばどうでもいい、あまり気にしても仕方ないとして一旦忘れることにする。席を立って教室を出る際、亜梨花に呼び止められた。


「蓮君、また明日ね?」

「……おう。またな」


 そう言えばこうして名前で呼ばれるのは本当に新鮮だった。周りに居た女子たちがいつから名前呼びにって声が聞こえたけど、その辺りは亜梨花が上手く説明してくれるだろう。

 靴を履き替えて校門を抜け、特にどこかに寄る用事もないためそのまま家までの道を歩く。スマホからイヤホンを通して曲を聞きながら帰路を歩いていると、俺はどこか見覚えのある光景に目を留めた。


「……あ、これってあれじゃん」


 思わずイヤホンを耳から外して眺めてみた。

 その光景は俺がゲームをやっていた時、選択肢も何も出ずにただただその場所を有坂が見つめ続けるというシーンに使われた場所だった。別に何を感じるわけでもない、何の変哲もないただの道だ。


「ずっとこの光景を見る意味って何だろうな。全然進まねえじゃんって最初は思わずズッコケたのを思い出したわ」


 結局クリックして先に進めたがいまだにあのイベント……イベントと呼んでいいのか分からないが本当に謎だった。

 やっぱり何か意味があったのか、それともただのフェイクだったのか……腕を組んで暫く考えていた俺の耳に聞き覚えのない声が届いた。


「……あれ、もしかして神里さん? ですか?」

「え?」


 いきなり呼ばれたことでビックリしながらも俺はそちらに視線を向ける。そこに居たのは近くの中学校の制服を着た男の子……うん、聞き覚えのない声と言ったがその通りだ。顔を見ても全然覚えがないので正真正銘俺とこの子は初対面のはず……え、初対面だよね?

 名前も知らず顔も知らない人から名字を呼ばれた俺の困惑に気づいたのか、彼は一言謝ってどうして俺の名前を知っていたのか教えてくれた。


「すみませんいきなり! えっと、夢野亜梨花の弟と言えば分かりますか?」

「……あ、もしかして」

「初めまして、夢野拓篤って言います。姉貴が写真を持っているので見たことがあったんですよ」

「なるほど写真ね……あ、俺も自己紹介をしようか。神里蓮、よろしく」


 まさかの夢野弟とエンカウントするとは思っていなかった。けど、流石亜梨花の弟ということもあってイケメンだ。中学ではさぞモテるんだろうなと思う。それにしても写真か……亜梨花と写真を撮ったことはないしあげたこともないから入学式の写真かもしれないな。俺のはたぶん押入れの奥に入ってると思うけど、もしかしたら亜梨花は部屋に飾ったりしているのだろうか。


「それにしてもこうして神里さんに会うなんて思いませんでした。凄い偶然ですけど、こんなところで何をしてたんですか?」

「……ああいや、少しボーっとしていただけだよ。俺も亜梨花の弟と会うとは思わなかった」

「拓篤でいいですよ? 亜梨花の弟って長いですし」

「はは、それもそうだな。それじゃあ拓篤って呼ばせてもらうよ」

「はい! その、俺も“蓮さん”って呼んでもいいですか?」

「もちろん」

「ありがとうございます!」


 ……いい子だな、何だろう亜梨花の家系はみんなこんな人たちなんだろうか。


「蓮さんはこれからもう帰るところですか?」

「あぁ、特に用もないからな」

「それならうちに来ませんか? こうして会ったのも何かの縁ですし、ここから近いので」


 拓篤の家ってなると亜梨花の家になるわけだが……流石にどうなんだそれは。断ろうとも思ったのだが、純粋というかキラキラした目で見つめてくるので断りづらかった。ちょっとお邪魔したらすぐ帰ろうと考え頷くと拓篤は嬉しそうに笑った。


「良かった。それじゃあ早速行きましょうか」


 それから拓篤に連れられる形で歩みを進める。

 暫く歩いているとそこそこ大きな家の前に着いた。どうやらここが亜梨花と拓篤の家らしい。


「どうぞ、入って下さい。ただいま~!」

「おじゃましま~す」


 まだ親御さんは帰って来てないみたいで返ってくる声はなかった。二階に上がり“ありか”と掘られた扉の前を通り、拓篤に先導される形で彼の部屋に辿り着いた。ザ・男の子の部屋という感じで、申し訳程度に勉強机が置かれ後は漫画やゲームばかりが置かれている。


「ジュースと菓子持ってくるので楽にしててください」

「あまり気を遣わなくていいんだぞ?」

「遠慮しないでくださいよ。それじゃあちょっと行ってきます」

「ありがとうな」


 拓篤はどうやら押しが強い子なのかもしれない。しかしあれだな、ここが亜梨花の家というのは別にしても年下の子の家に来たのは少し新鮮な気持ちだ。健一や宗吾と一緒になればずっと騒いでばかりだが、こうしてちょっと気を遣ってしまうのも不思議な気持ちになる。

 暫く待っていると拓篤が戻ってきた。ジュースと菓子を味わいながら談笑し、お互いにゲームが好きということもあってすぐに意気投合した。


「さて、どれをやりますかね」

「これやったことあるわ」

「お、じゃあそれやりましょう!」


 お互いに画面を見つめながら協力プレイで遊んでいく。そんな中、拓篤がこんなことを呟いた。


「蓮さんは姉貴のことどう思ってます? 弟としての贔屓目はあるかもしれないですが、結構美人だと思うんですけど」

「確かに亜梨花は綺麗だし可愛いと思うよ。それが?」


 そう聞き返したところでちょうど挑戦していたステージが終わった。拓篤はテレビから俺に視線を向けてこう返した。


「なら蓮さんうちの姉貴を彼女にどうですか? しっかり者ではあるんですけどどこか抜けてる部分もあって、頼れる彼氏でも居ると弟としては安心するんですよ」

「俺が頼れる男かどうかはともかくとして、流石に有坂に悪いからやめておくよ」


 というか有坂と亜梨花は両想いだろうに、弟ならそれを知ってると思ったけど……まさか年上を揶揄う冗談か? 別に嫌な気分になるわけではないけど笑われるのも癪だな。そう思ったのだが、拓篤の反応は俺が思ったのと違った。


「どうして彰兄が出てくるんです?」

「どうしてって……」


 どうしてって……なあ?

 俺の表情から何かを察したのか拓篤はあぁっと頷いて言葉を続けた。その続けられた言葉は俺にとって全くの予想外であり、ある意味でこの世界のあるべき姿を否定するモノだった。


「昔からよく一緒に居るから勘違いされるんですけど、別に姉貴は彰兄のこと何とも思ってませんよ?」

「……え?」


 それはどういう……。


「言い方は悪いかもしれないですけど、彰兄はただの幼馴染というか……言っちゃうとそれだけなんですよ。姉貴は彰兄に対してそれ以上の気持ちは持ってないです」

「……………」

「それに姉貴には好きな人が……コホン、蓮さん覚えてませんか?」

「何を?」


 ちょっと許容量オーバーだったが拓篤の言葉に耳を傾ける。拓篤が語ったのは今から約三年前の出来事だ。


「当時の姉貴は今とは似ても似つかないくらい地味な見た目で、クラスの男子に揶揄われたりしたこともあったんです。休日に一人で本を買いに行った姉だったんですが、街中でその男子に遭遇して囲まれたことがあったんですよ」

「……ふむ」


 何故だろう、とてつもなく覚えがあるシチュエーションなんだけど。


「その時に助けてくれた男の子が居たそうです。別れ際にカエルのキーホルダーをもらったって、本当に嬉しそうに姉貴は話してくれたんです」

「もしかして、あの時の女の子が亜梨花?」

「姉貴は入学した時に気づいたみたいですけど……あはは、蓮さんはやっぱり気づかなかったんですね」

「……ほ~ん」


 確かにあの時の女の子の顔をじっくり見たわけじゃないし、三年も前のことだからその気になって思い出さないと記憶の海に沈んでしまうようなものだ。確かに見た目は地味な印象だったが顔立ちに関しては整っていた。しかも薄いピンクの髪とかよくよく考えれば……いやいや、だとしても高校に入ってからの亜梨花の印象が強すぎて分からないって絶対に。


「まあ姉貴はロマンチストな一面もありますから、いつか蓮さんなら思い出してくれるとでも思ったんですかね~」

「……………」


 とりあえず、少し整理する時間をください。

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