酒の匂いは色々と台無しにする
「ありがとな。本当に助かった」
姉さんの作ってくれた夕食を食べた後、俺は兄さんにお礼を言われていた。
何に対してのお礼なのか一瞬分からなかったが、すぐにマグカップの件だと分かった。
「別に姉さんも本気で何かしようとしたわけじゃないだろうし俺が居なくても……」
「いや、麻美ならやる」
「……そっか」
「あぁ」
確かにあの時の姉さんの目は本気だった。
もう少し遅れていたらどんな惨状になっていたか……どちらにせよあまり想像はしたくないな。
あの人を殺したことがあるような人間の目、今俺の膝でダウンしている姉さんからは考えられない。
「……すぅ……むにゃ……れん……」
「なんだ夢にまで俺は出てるのか」
「くく……さぞやいい夢を見てそうな表情だな」
兄さんの言うように姉さんの表情は幸せそうというか本当にいい夢を見ていそうな顔をしている。
涎が垂れそうになっていたのでティッシュで拭くと擽ったいのか姉さんは頭を揺らす。普段は凛々しくも冷たい一面が目立つ姉さんだが、こうやって気の抜けた表情を見れるのも家族の特権なのかもしれない。
「姉さんって本当に綺麗な顔してるよね」
「そいつは言えてるな。ま、体は色んな男の手で汚れちゃいるが」
「……………」
思わず黙り込んでしまったがこれは別にショックからのものではない。
単に知っているからというのと、やっぱりそうだったかという納得のものだったからだ。
「お前がどう思うかは分からないが、俺たちにとって異性との交わりなんて大した意味はないようなもんだしな」
「そうなんだ」
「あぁ。特に麻美に関しては尚更だろう」
「それはどういう……」
疑問を口にした俺に兄さんは教えてくれた。
「不感症なんだよ麻美は……って、俺が言ったのは内緒な? 麻美から聞いちゃいないだろ?」
その問いに俺は頷いた。
不感症……正直馴染みのある言葉ではないけど、その文字からある程度の意味は分かる。
何らかの原因で性的快楽を得られないってやつだったか……けど少し納得できた部分もあった。
ゲームをしていた時、どこか姉さんの仕草がチグハグに見えていたのはこれが原因だったのかもしれない。
「感じることが出来ないからこそ性行為に意味を見出せない。だから自分の体を道具のように扱うことが出来る。麻美がそう思うようになったのはそれだけが原因ってわけじゃないが、少なくとも理由の一端なのは間違いないな」
「……………」
思わず黙り込んでしまった俺の頭を少し乱暴に兄さんは撫でた。
「ま、俺もお前もそれを気にしても仕方ねえ。言っちまえば生きてくことに困ることはないし、何より麻美にとっての生きる意味であり大切な存在はここに居る。それだけで麻美が満足している以上、何も言う必要はないんだよ」
「……そっか」
「あぁ。だからこの話題はこれで終わりな」
いや、元から言えば兄さんがその話をしなければ良かったのでは。
そう思いはしたが姉さんについて知らなかったことが分かったのも事実、嬉しいのやら悲しいのやらって感じだ。
黙って姉さんの顔を見下ろす俺に兄さんは笑い、おどけるようにこんなことを言いだした。
「麻美がこんなだからお前に彼女が出来た時とか大変だなって前に言ったんだよ。もしお前に彼女が出来て、その子に何かあった場合間違いなく麻美が原因だろうから分かりやすいっちゃ分かりやすいけど」
「洒落にならないんだけど」
「違いない」
肩を竦めた兄さんに俺も聞いてみる。
「兄さんこそ良い人は居ないの?」
「俺に? 毎日とは言わないが女を食い散らかしている俺にか?」
「うん」
「どうだろうなぁ。朝倉は本気で俺に乗り換えるとか言っちゃいるがその気はないし、後は連絡が来てもめんどくさいやつらばかりだし」
「へぇ……っていうか朝倉さんマジか」
朝倉さんに街で会ったばかりだけど、こんな話を聞いてしまうと隣に居た彼氏さんが不憫で仕方ない。
うん、これは女性が信じられなくなるぞ割とマジで。
「さてと、そろそろいい時間だな」
「そうだね。俺も部屋に戻りたいところだけど……」
困ったように俺が見下ろすのが姉さんだ。
相変わらず夢の世界に旅立ったまま帰ってこない姉さん、仕方ないなと兄さんが言葉を零、少し乱暴ではあったが姉さんを抱き上げた。
「蓮、部屋のドア開けてくれ」
「了解」
「……も~なんなのよ~!」
「ぐふっ!?」
「あ」
綺麗なグーパンが兄さんに決まった。
もちろん姉さんは寝たままなので故意ではないのだが、今すぐにも階段から叩き落してやろうかって言わんばかりに兄さんの目が怖い。
はいどうどう、抑えて抑えて。
「一発殴りてえ……」
「ほら兄さん、マグカップの分と思えば」
「……それもそうだな。甘んじて受け入れよう」
逆にあの件がなかったら本当に殴ってそうだ。
女性を殴るなんて、っていうのは世間の意見だろうけど兄さんと姉さんの間に遠慮なんて存在しないからな。
部屋に戻った兄さんを見送って俺も部屋に戻ろうとした時、俺の耳に姉さんの声が届いた。
「蓮……行かないで……行かないでよ……」
「……!」
ただの寝言かと思って顔を覗き込み驚いた。
泣いていたんだ……あの姉さんが。
怖い夢なのか悲しい夢なのか分からないけど、涙を流しながら何かを求めるように手を彷徨わせている。
俺は居ても立っても居られず姉さんの手を握りしめた。
「蓮……そこに居るの?」
「うん。傍に居るよ」
薄っすらと目が開いたけどたぶん寝ぼけているんだと思う
。クスッと笑った表情は姉さんっぽくないというか、少しだけ幼く見えるような純粋で綺麗な笑みだった。
「蓮は傍に居る……そうよね……死んだりしてないもんね」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
何も悪いことしてないし病気でもないのに死んでたまるかっての。
コツンと優しく姉さんのおでこにデコピンをかますと、姉さんは嫌がるどころか嬉しそうにした。
「それじゃあさ……一緒に寝よ? お姉ちゃん、蓮と一緒に寝たい」
「いやそれは……」
ギュッと握りしめる手の力が強くなった。
あれ、姉さん寝ぼけているように見えて実はそうでもない? そう思ったけど今にも瞼を閉じそうでやっぱり気のせいではなかったようだ。
このまま離れるのも何となく可哀想な気がしたので小さく溜息を吐き、俺は姉さんのベッドに入った。
(姉さんが寝たらすぐに部屋に戻ろう)
そう思ったのも束の間、姉さんが抱き着いて来た。
抱き枕を抱きしめるがごとく腕だけではなく、足も絡めるようにしているので簡単には離れられない形になってしまった。
「うふふ……蓮の匂いだわ。でも……お酒の匂いもする? まだ高校生なのにイケナイ弟ね」
「アンタからだよ」
真面目なトーンでツッコミをしたが、姉さんはふへへと堪えた様子はない。
そのまま姉さんは再び眠ったが……これは離れられん。
少しでも体を動かすと逃がすまいとしてくるんだもの、今日はもう部屋に戻るのは諦めた方が良さそうだ。
温かったり柔らかかったり、色々と男なら感じてしまう幸せの時間……けど、やっぱり何より思うのがこれだった。
「……酒臭い」
明日の朝風呂に入らないとな。
でもこうやって姉さんと同じベッドの上で寝るのは随分久しぶりだ。
少し横を向けば姉さんの顔があって、ドキドキは……あまりしないけど本当に綺麗な人だなって感想が出てくる。
「……ふわぁ……眠くなってきたな。おやすみ姉さん」
眠る直前、何かが頬に触れる感触がした。
『久しぶりじゃん? こうして彰兄が俺の部屋に来るのは』
何が起きてそうなったのかイマイチ分からないが、亜梨花の弟とエンカウントしそのままストーリーが進んだ。
「……どうなってんだ。けど、もしかしてこれが隠されたルートか?」
モニターを眺めながら男性はそう呟いた。
選択肢は特に何もなく当たり障りのない話が続いていき、主人公の彰人が拓篤に亜梨花と付き合うことを報告すると拓篤は驚くように目を丸くした。
『え? 本当に?』
少し意外な反応だった。
本編を見てみてもこの時点で亜梨花が彰人に好意を持っていたのは明白で、プロローグの前半で亜梨花が告白したことからも両想いだったことが既に明かされている。
それなら弟である拓篤が亜梨花の気持ちを知っているか、或いは察していてもおかしくはないはず……いや、案外弟だからこそ悟られないようにしていたのかもしれないと考えられる。
『驚いたな……姉貴はどっちかって言うと彰兄のこと……いや何でもない。とりあえずおめでとう』
どこか釈然としない反応だった。
それから何年も話をしてなかった間を埋めるように彰人と拓篤はゲームに没頭するそんな中、ふと拓篤がこんなことを口にするのだった。
『姉貴はてっきり神里さんのことを好きなんだと思ってたからさ』
『っ!?』
『……姉貴さ、ずっと泣いてたから。あの日からずっと』
驚く様子の彰人だが、いざプレイヤーである男性目線だと良く分からない話になっている。
神里、その名前は本編でチラッと出て来ただけでそれだけの名前だった。
神里蓮、確かそんな名前だったはずだ。
一体誰だ、そんな風に考えていると白黒の情景が浮かび上がる。
それはまるで過去の回想のように、一枚一枚の絵がかなりの速さで切り替わっていく。
「……誰の視点だ?」
まるで遠目から眺めるように亜梨花を、そして初めて見るキャラクターを眺めている。そして最後に誰も居ない教室、何か財布のようなものを鞄に押し入れている瞬間……これは誰の手だと訝しむ。
その回想のようなものが終わり、画面がブラックアウトしてセーブ画面になった。
とりあえずセーブをしてタイトルに戻るを選ぶと、そのタイトル画面が様変わりしていた。
「……墓?」
背後から胸と下半身に手を当てられ羞恥の表情を浮かべる亜梨花が映っていたのが今までのタイトル画面だったが、今映っているのは全く違う。
一つの墓を前にして、大粒の雨に打たれながら泣き崩れる亜梨花がただ一人映っていた。
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