亜梨花

 それは夢だと断言出来た。


『よう泥棒、よく平気な顔して学校に来れるよな』

『……何度言わせればいいんだよ。何もやってねえだろうが』


 駅のホームと思われる場所で三人の男子に俺……神里蓮は絡まれていた。

 この三人は同じクラスの人間だがあまり会話という会話をした記憶はなく、顔見知り以上友達未満という表現が一番正しいだろう。

 ただ何だよ泥棒って……俺はそんなことをした記憶はないししようと思ったこともない。


『夢野さんが可哀想だよな。有坂がお前から夢野さんの財布を取り返したから良かったけどよ』


 何を言ってるんだこいつは。


『だから俺は何もやってねえって言ってるだろうが!?』


 苛立ったように俺の口から言葉が飛び出す。

 どうしてこんなシチュエーションになっているのか分からないけど、この身を焦がすような憤りを感じるのは何故だ。

 感じる怒り、勝手に動く口、勝手に飛び出す言葉たち……分からない、分からないことだらけなのにどうして俺はこんなにも怒りを感じる?


『夢野さんは本当に優しいよな。お前が犯人なのにそうじゃないってずっと庇ってさ。お前、夢野さんの弱みでも握ってんじゃねえのか?』

『だから俺は亜梨花に何もしてねえよ! あいつは俺を信じて――』

『犯罪者が夢野さんの名前を呼ぶんじゃねえ!』


 掴みかかってくるそいつに負けないようにと俺も力を込める。

 取っ組み合う俺たちだったが、後ろに居る男子二人は俺たちを止めようとしていた。


『おい、流石に人の目があるからやめろって』

『そうだぞ。それにもうすぐ電車が――』

『うるせええ!!』


 ドンと、強く胸を押された。


『……え』


 俺の足元には地面があったはずだ。

 それなのになんで俺の体は浮いている? ポカンとする俺と同じように俺を押したあいつも目を丸くしていた。

 大きな音を立てて何かが俺に迫ってくる……それは大きな鉄の塊だった。


『……姉さん……兄さん』


 最後に俺の口から出た言葉はそれだった。そこで俺の目は覚め、俺は現実へと帰還する。






「……っ!?」


 ガタンと大きな音を立てて俺は目を覚ました。

 何がどうしてそうなったのか分からないが、同級生と取っ組み合いになりその果てで電車に轢かれるという意味不明な夢……くそ、体がぶつかって肉がひしゃげる感覚も残ってやがる。


「神里、そんなにつまらんか?」

「……え?」


 いつの間に傍に立っていたのか、授業を担当していた先生が俺を見下ろしていた。

 どうやら俺は授業中に寝るという許されない行為をしてしまったのだが、あんな後味の悪い夢を見たおかげでもあるのか相当に顔色が悪かったらしい。


「顔色が悪いな。気分が悪いか? 保健室に行くか?」


 厳しい表情から一転し俺を心配するような表情になった先生の言葉に俺は甘えることにした。

 周りはクスクスと笑っていたが、先生の様子から笑ってはいけないと思ったのか笑い声は止む。

 宗吾や健一にいたっては少し立ち上がりかけていた。

 保健室に行ってきます、そう小さく告げて俺は立ち上がった。


「……っと」


 足元がおぼつかず少しよろけた俺を先生が抱き留めた。

 ちょっと疲れでも残ってるのかな、先生にすみませんと一言残し入り口に向かう俺の鼓膜を優しい声が震わせた。


「先生、私が付いていきます」

「夢野か。分かったよろしく頼むぞ」

「はい」


 さっと歩いてきた夢野は俺に肩を貸すような形になる。

 正直そこまでされるほどでもないとは思ったのだが、周りの目が何とも言えないモノになったので退散の意味も込めて足を動かした。

 教室を出て暫くすると気遣うように夢野が口を開いた。


「神里君、大丈夫?」

「大丈夫だよ。正直ふらついたのはあれだけだし逆に夢野に悪いくらいだ。ごめんな」

「そんなことないよ。心配になるのは当然だから」


 いい子だなぁ……ってこれ何回目だろう。

 夢野と一緒に保健室に向かい、先生が居なかったので勝手ではあったがベッドを使わせてもらう。

 横になったせいかすぐに眠気が襲ってきた。


「ふふ、せっかくだし寝てもいいんじゃない? あの様子なら何も言われないだろうし」

「そうだな……言っちゃうと凄い眠たい」


 急激に重たくなった瞼に抗うこともせず俺はゆっくりと目を閉じた。

 とはいえすぐに眠れるわけではなく、眠るか眠らないか、その狭間を揺蕩う中で俺はこんなことを口にした。


「関係ないかもしれないけど、変な夢を見たんだよ」

「変な夢?」

「電車に轢かれて死ぬ夢」


 あぁ、まだ思い出せる。

 ホームから押し出され空中に浮いた体が電車に轢かれた感触を。

 そこで目が覚めたわけだけど、実際に特急列車に直撃されたら人の体はどうなるんだろうか。

 グシャグシャ……までは行かないのかな、もしそうなるのだとしたらあの後の駅のホームはとても悲惨なことになりそうだ。


「ったく、何であんな夢を見たんだろうなぁ」


 授業中に寝たのは俺が全面的に悪いけどあんな夢を見せるくらいならもっといい夢を見せてほしいと思う。

 それこそ何というか、もっと幸福というか幸せな夢というか。


「死なないよ……あなたは絶対に死なない」

「……夢野?」


 俺の手を両手で包んだのは夢野だ。

 手を通して感じる体温は俺に安心感を与えてくれるが前髪が垂れ下がって目元が見えないのは少し怖い。

 だけど二度目になるが安心するというのは確かだった。


「……やば……寝るわ」

「うん。おやすみなさい」


 柔らかくも温かい、そんな声を聞いて俺の意識は闇に沈んだ。


「大丈夫。私が必ず守るから」









「……あれ? 今私何か言った?」


 目の前で眠っている蓮を見つめながら亜梨花はそう呟いた。

 しかし一瞬意識が飛んだような感覚を感じただけで特に変化はなく、少しだけ首を傾げたのも束の間、亜梨花の意識は握っている蓮の手に引き寄せられる。


「ふふ、もう眠っちゃったんだ」


 規則正しく寝息を立てる蓮の様子に亜梨花は微笑みを零す。

 眠ったままなら少し悪戯しても大丈夫かな、そんな気持ちで頬を撫でてみた。

 擽ったそうに顔を揺らす姿にまた小さな微笑みが漏れて出た。


「……神里君……蓮君……っ~!」


 いつもは名字で呼んでいるのに、少し名前で呼んだだけで顔が赤くなってしまう。


「あら夢野さん……それに神里君? どうしたの?」


 自然と体を離すようにした亜梨花は事の経緯を伝えた。

 それなら寝かせておきなさいと言われ、とりあえずはここに居ることの説明は出来た。

 眠っている蓮はともかくとして元気な亜梨花がここに居るのはまた別の話である。


「夢野さん、あなたは戻りなさい。後は私が見ておくから」

「……分かりました」


 渋々ながら立ち上がった亜梨花を先生は目を丸くして見つめそしてこんなことを口にする。


「珍しいわね。てっきりそういうのは有坂君だけにすると思っていたのに」

「“彰人”君だったとしてもしないですよ。それに彼とはただの幼馴染ですから」

「そう? 恥ずかしいのかしら」

「失礼します」


 最後に蓮を一目見て亜梨花は保健室を出て廊下を歩いて少ししたところで亜梨花の眉間に皺が寄った。


「誰も彼も彰人君彰人君……幼馴染ってだけで何でそんな風に言われないといけないの」


 昔からそうだった。

 ただ傍に居る男の子が彰人というだけでその仲を勘繰られるのだ。

 とはいえ幼馴染だからこそ一緒に居る時間が多かったせいか、彼を突き離せないのも今の状況を作り上げた原因とも言えるのだが。


「……っ!」


 思わず頭に手を当てて蹲った。

 一瞬、本当に一瞬だが見えてしまった……“また”あの光景だ。


『こんにちは蓮君、元気にしてたかな?』


 そう言って亜梨花が言葉を届けた先に居るのは人ではなく一つのお墓だった。

 神里蓮、そう名が刻まれた新しいお墓。

 その墓を見つめる亜梨花はとても苦しそうで、悲しそうで、そして――そんな感情とは正反対の激情を感じさせる荒々しさも秘めていた。


『私に付き合ってくれる涼さんと麻美さんには感謝してもしきれないよ……たぶん、二人にとっても私は恨む対象のはずなのに』


 垣間見る光景に覚えはない、けれどどこか既視感を感じるのも確かだった。

 それこそ体ではなく心が覚えているような漠然とした感覚で、お墓に触れると蓮を感じることが出来る……否、そんなことはなかった。

 感じるのは石の冷たさであって決して人の温もりではない。


『私ね……死のうと思ってるんだそのうち』


 そこで亜梨花の意識は現実へと戻った。

 時折こうして見てしまう不可思議な光景、恐れよりも前に何か意味があるのではないかと亜梨花は訝しむ。

 こんなことは誰にも相談できない、こんなことを口にしてしまえば頭がおかしいと思われても仕方がないことだから。


「彰人君は幼馴染……ただそれだけの関係だよ。あの時からそれ以上でもそれ以下でもない」


 ずっと大切にしていたカエルのキーホルダーを彰人に捨てられたその時から、亜梨花はずっと仮面の笑みを貼り付けて幼馴染と接していた。

 それに気づけた存在は誰も居ない、彰人も……ましてや蓮でさえも気づけてはいなかった。

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