姉と兄

 風呂の準備も終えてすることがなくなった俺はスマホを片手にテレビを見ていた。


「ただいま。蓮帰ってる?」


 どうやら姉さんが帰ってきたようだ。

 姉さんは俺を見つけて嬉しそうに表情を崩し、ソファに座る俺に抱き着いて来た。


「ただいま蓮。あぁこうしてると幸せだわ」

「……姉さん、ちょっと苦しい」


 巨を超えて爆の域に達している胸を顔に押し付けられると息が出来なくなるからやめてほしいけど、この幸せな感触に鼻の下が伸びてしまうのもまた男の性か……けど、改めてこうやって記憶を思い出すと腑に落ちないことがある。


「蓮成分補給完了ね。それじゃあ蓮ご要望のハンバーグを作るとしましょうか」


 ゲームで見た姉さんはザ・悪役と言った感じで主人公の有坂を絶望させる一人だ。

 その魅惑的な体を惜しみなく使う描写もそうだが、自身が屑であることを自覚しているのも質が悪い。

 姉さんが有坂に見せた表情は慈愛に満ちた仮面の笑みか、裏で嘲笑う本性からの笑みの二つなんだけど。


「ふんふんふ~ん♪」


 ジッと姉さんを見つめてみる。

 楽しそうに料理をしている姿はこちらまで笑顔になりそうなくらいだ。

 姉さんが何を考えているか俺には分からないけど、これだけ見てたら普通の優しいお姉さんにしか見えない。

 しかし目の前に居る姉さんがゲームと何も変わらないということを俺は知っていた。

 料理中の姉さんの動きを止めるようにスマホが着信を知らせた。


「……ちっ」


 分かりやすいくらいの舌打ちをして姉さんは手を洗い電話に出た。

 スピーカーにしなくてもスマホから漏れ出る声はそこそこ聞こえるもので、どうやら姉さんに電話を掛けてきたのは男のようだ。


「はあ? なんで私があなたに会いに行かないといけないのかしら。もう私にはあなたと会うメリットがない。そもそも、既に何も持っていないあなたに私が興味あると思っているの?」


 こんな話を聞くのも初めてではなく、目の前に電話先の男が居たらゴミを見るような目で見つめていそうだ。

 現に今の姉さんの目は怖いというより何だろうか、悪意をこれでもかと煮詰めたような目をしている。

 それから暫く姉さんは電話をしていたが、もう話すことはなくなったのか何の未練もなさそうに電話を切った。

 それから何か操作をしていたがたぶんブロックしたんだろうなと予想する。


「ふふ、美味しくなあれ♪ 美味しくなあれ♪」


 さっきまで浮かべていた見下すような表情を一瞬で笑顔に変え、姉さんは料理を再開した。

 この変わり身の早さ恐ろしい、一体どんな内容の電話をしていたのか気になるが……気になるけど世界の裏側というか、深淵を覗き込みそうになるので聞くのはやめておく。


「姉さん」


 特に用はなかったが呼んでみると、姉さんはさっき電話していた時に浮かべていた顔とは正反対の笑顔で俺に視線を向けた。


「どうしたの?」

『どうしたの? お姉さんに甘えていいのよ?』


 記憶の中の姉さんと今の姿が被り、なんとも言えない気持ちになる。

 何も答えない俺に姉さんは首を傾げながら近寄ってきた。


「ごめん。何でもない……」

「……そう」


 料理の手を止めさせたのに用がないと伝えられた姉さんは何を考えているのだろう。

 心の中でこのクソガキとでも思っているのだろうか。

 ある意味ではそれがこの姉さんにとっては当然の反応だとは思っている。

 ただやっぱり俺に対する姉さんは少し違うのだ。


「ふふ、何か考え事でもしていたのかしら」

「……え? ちょっと!?」


 ソファに座っていた俺の横に座り、無理やりというには乱暴な言い方だが少し強く俺の体を引っ張った。

 姉さんの太ももを枕にするような体勢になり、俗に言う膝枕のような形になった。


「蓮はあまり自分から甘えてくれないものね。私はお姉ちゃんなんだからたくさん甘えていいのよ?」


 もう高校生なんだから姉に甘える時間はとうに過ぎている。

 そう、これだ。

 ゲームで見せる表情はもちろんだが、俺に対する姉さんは本当に優しいのである。

 これで裏があるのなら女優も真っ青だけど、優しく頭を撫でられる手の優しさを感じながら俺は聞いてみた。


「姉さん、俺は姉さんにとってどんな存在なの?」


 こんなこと普通なら聞くはずもない。

 でもどんな答えが返ってくるにせよ聞いてみたかった。

 俺の問いかけに姉さんは一切の間を置かずに答えてくれた。


「愛する弟、私に残された最後の宝物」


 姉さんは愛おしそうに俺を見つめてそう口にした。

 姉さんは最後に頭を撫でて料理を再開するためにキッチンに戻ったけど、今の言葉の真意は一体……どうやら俺の知らない姉さんの一面があるらしい。


「おまたせ、どうぞ召し上がれ」

「おぉ……」


 ただのハンバーグ、されどハンバーグ。

 もちろん他にもおかずはあるが本当に美味しそうだ。


「いただきます」


 ハンバーグを箸で一口サイズにして口の中へ運ぶ。

 うん、最高に美味しい。

 姉さんは自分の分を食べずにニコニコと俺を見守っているのでちょっと気まずい。


「美味しい?」

「うん。最高だよ」

「そう、良かったわ♪」


 やっぱりだ。

 ゲームで見た他者を貶めて嗤うような笑みじゃなく、心から嬉しそうに姉さんは笑っている。

 記憶が戻り姉さんの本性と言うか、本質みたいなのを改めて知った今だけど、もう15年以上家族として同じ屋根の下で過ごしてきたんだ。

 俺にとって、やはり兄さんもそうだが姉さんも掛け替えのない家族ということなんだろうか。

 それから姉さんはご飯を食べるのはもちろんだが、ビールの方も進み少し酔いが回ったらしい。


「ねえ蓮、私と涼のようになってはダメよ? あなたはあなたのまま、人を思いやれる……子のままで……はふぅ」

「姉さん?」


 そうだった姉さんは極端に酒が弱い人だった。

 基本家でしか飲まないし、外では絶対に酒を飲まないという鉄壁ぶりではあるのだが、やはりゲームのイメージが先行してしまうよなぁ。


「流石にこのままだとあれだよな……よし!」


 洗い物とかは後で俺が済ませるとして、まずは姉さんを部屋に連れて行こう。

 姉さんの肩を抱くように支えようとしたのだが、俺を抱きしめるように体重を掛けてきたものだからそのままソファに背中からダイブする形に。


「この匂い……蓮だぁ」

「……完全に出来上がってやがる」


 スリスリと頬を擦りつけてくるその様子は普段の姉さんからは想像……出来ると言えば出来るけど酔っているというのも一因だろうか。


「……あ」


 そこで俺はふと思った。

 姉さんは今俺にこうして甘えているような状況だけど、姉さんがもっと小さい頃……つまり子供の時だ。父と母が亡くなってから姉さんは誰かに甘えることが出来ていたのだろうか。昔の俺は姉さんもそうだし兄さんに甘えていた。親代わりのような存在だからそうなるのも当然だけど……俺のようにはいかなかった姉さんたちは。


「……れ~ん♪」


 今度は頬に自分の頬を擦りつけてくる姉さん。

 酒の匂いがダイレクトに伝わるけど、少しだけセンチな気分になっていた俺は姉さんの抱擁を甘んじて受けていた。

 暫くの間姉さんの好きにさせているとすぐに寝息が聞こえてきた。


「今日はこのままかなもしかして」


 姉さんの柔らかい感触と酒の匂いに包まれて眠るのか……。

 男としては嬉しくもあるものの少しだけゲンナリしていたその時、玄関の扉が開く音が聞こえた。

 どうやら兄さんが帰ってきたみたいだ。


「なんだ、丁度飯の時間だったか。二人とも今――」


 そこで兄さんと目が合った。

 兄さんの角度的に俺が姉さんに押し倒されているようにも見えるだろう。

 しかも俺は姉さんの背中に手を回している状態だ。

 兄さんは一度目を瞑り、そして擦って口を開いた。


「邪魔したな」

「待って兄さん!!」


 そんなボケはいいから助けてくれってば!

 そんな俺の気持ちが通じたのか兄さんは悪い悪いと笑って、姉さんをお姫様抱っこするように持ち上げた。


「……なんかダメ男に触られてる気がする……すぅ」

「このクソアマ叩き落してやろうか」


 姉さんも姉さんでそんな寝言は言わないでほしい、兄さんの目がマジだったから。

 それから兄さんが姉さんを部屋に連れて行くのを見届け、俺は使った食器を綺麗に洗う。


「ったく、あの女最後に蹴ってきやがったぞクソ」

「……姉さんそんなに寝相悪かったっけ」

「お前が傍に居る時は普通なんだがな……」


 そうだったのか、時々姉さんがベッドに潜り込んでくる時あるけどその時は特に暴れたりしないもんな……なるほど、そんな一面も姉さんは持っているのか。


「手伝うぞ」

「ありがとう」


 兄さんは腕まくりをして洗い物を手伝ってくれた。

 男二人で並んで洗い物をするこの光景、隣に居るのがゲームだと夢野を寝取る男だと言うのだから驚いてしまう。

 ゲームでの先入観、そして今でも女好きというのは変わらない。

 けれどこうやって俺の手伝いをしてくれる優しさは持っているのだ。


「兄さんは何してたの?」

「男と女がたくさん集まるパーティだ」

「……ふ~ん」

「なんだ? 興味あるのか?」


 たぶんそういうパーティなんだろうなと予想する。


「いずれ連れてってやるよ。麻美の目が届かない時にな」

「行かないよ。俺はそういうことするならちゃんと好きな人がいいし」


 所謂乱交パーティ的なやつでしょ、画面の向こうから見るならまだしも実際に行くのはごめんかな。

 こう言うと兄さんは鼻で笑うと思ったけど、その反応は少し意外だった。


「……そうか。お前はそれでいい、俺みたいになるなよ」


 家族だからこそ向けられる優しい目、姉さんと一緒だ。

 洗い物を終えて兄さんはすぐに風呂へ向かった。

 俺はそんな兄さんの後ろ姿を見送って小さく溜息を吐く。


「……はぁ、どっちの顔が本物なんだろうな」


 どうせなら何も思い出さず、この世界の住人として生きていけたならこんなことで悩まなくてもいいのにな……。

 俺はその日、眠くなるまでずっとそんなことを考え続けていた。

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