第3章
第20話 運命の別れ
二十日後、カルメラ国王より、チリーノ釈放のための身代金である銀貨が、ライハナ宛に送られてきた。
ライハナは恨めしく思いながら、異国の銀貨を睨みつけていた。これだけ払ってもらったら、釈放しないわけにはいかない。
とりあえず、その頃には魔法騎士団は帰還していたので、朝から訓練に向かう。苛立たしく、精霊たちの魔法を空に放って、鬱憤を晴らす。
そこにハーキムがやって来た。
「例の王子様の身代金が届いたようだね」
「……耳が早いな」
「君、まさか返さないつもりじゃないだろうね?」
「まさか。ちゃんと返すぞ。でないと国際問題になる」
「そうしたら、俺にも君と正式に恋人同士になる権利が与えられるわけだね」
ライハナは胡乱な目でハーキムを見た。
「気が早いことだ。私の気持ちを無視してそういうことを言うのは控えてくれないか」
「でも、あの王子様との関係は一時的なものだ。分かっていただろうし、覚悟もしていただろう?」
「……」
「俺は君が好きなんだから、それくらい夢見たって構わないと思うのだけれど」
「……いくら言っても、私の心は手に入らないぞ」
「言っただろう、待つって。君がその気になってくれるまで待つさ」
「……」
ライハナは風の魔法をハーキムの顔に軽く当てた。ハーキムはのけぞった。
「ぶわ。何するんだい」
「うるさい。今は放っておいてくれ」
ライハナはすたすたとその場を去った。
訓練が終わると、チリーノの旅支度は随分と進んでいた。ライハナがチリーノの部屋を訪れると、チリーノは人目を憚らずライハナに抱きついた。
「ライハナ、僕、帰らなくちゃいけなくなっちゃった」
「……ああ」
「分かっていたけどとても寂しい。もう二度と、こうして触れ合うことができないなんて」
「……ああ。私もひどく寂しいよ」
もう機会は永劫に来ない。ライハナはそっとチリーノの背中に手を回した。チリーノはもっと力を込めてライハナを抱き締めると、優しく手を離した。
「明日には出発するって」
ライハナは頷いた。
「見送る。それ以上のことはできないが」
「その時はまた抱き締めてくれる?」
「あ……うん」
「良かった。約束だよ?」
チリーノは気丈にも笑って見せた。
翌朝、馬車が用意された。チリーノの他にも、釈放される捕虜たちが並んでいる。ライハナは見送りの列から飛び出して、チリーノの馬車の元に走り出した。周囲がざわついたが、気にしてなどいられない。
「チリーノ!」
ライハナは呼ばわった。日除け布の間から、チリーノの白い顔が覗いた。
「ライハナ」
チリーノはすとんと馬車から降りて、その勢いのままライハナに抱きついた。ライハナも今度は迷いなくぎゅっとチリーノを抱きしめた。
「さよなら、ライハナ」
「さよなら、チリーノ」
「ずっと大好きだよ」
「私だって」
ライハナは声を震わせた。
「あんたが好きになってくれる何年も前から、私はあんたのことが好きだったんだから」
「うん」
「私のこと忘れたら許さない」
「忘れないよ。今この瞬間のことだって、ずっと忘れない」
出発の時間を告げる鈴が鳴った。チリーノは従者の手に引かれて馬車に乗り込んだ。それから布の間から顔を出した。
従者が、危ないですよ、と止めたが、チリーノは聞かなかった。
「さよなら、ライハナ!」
「……さよなら、チリーノ」
馬車は動き出した。
青の前庭をまっすぐに遠ざかっていく。ライハナは一人前に出て突っ立って、その様子を見つめていた。
やがて隊列は町の角を曲がって、見えなくなってしまった。ライハナは絶望のあまりくずおれそうになるのを、必死でこらえていた。
その日のライハナはまるで使い物にならなかった。訓練に参加したはいいものの、魔力が弱くてろくに精霊の力を借りられない。ターリクは諦めたようにライハナに休息を命じた。そこでライハナは庭にある天蓋付きのベンチに寄りかかって座って、ぼんやりとチリーノのことを考えていた。
休憩時間になって、ハーキムがベンチのもとにやって来た。机を挟んで向かいのベンチに座る。
「落ち込んでいるようだね」
「……当然だろう」
「俺では君の気持ちの慰めにはなれないかな」
「同僚として慰めてくれるのならありがたいけど、あんたには下心があるじゃないか」
「参ったな。残念だ」
ハーキムは石の机に両の肘をついて手を組んだ。
「では、気長に待つこととしよう」
ライハナは溜息をついた。ハーキムのことは嫌いではないが、今後このようにしょっちゅう話しかけられるであろうことを考えると、鬱陶しかった。
しばらくは何事もなく日々が過ぎた。次の日にはさすがにライハナも気分を切り替えて魔法の特訓に励んだし、ハーキムは諦めずにライハナに話しかけてくる。
異変があったのは五日後のことだ。
あの別れから初めて、チリーノが魂飛ばしをしてライハナのもとに現れた。
ライハナはぱっと顔を輝かせたが、チリーノは随分と慌てた様子だった。
「大変なんだ、ライハナ!」
チリーノは青い顔で縋るように言った。
「僕たちの乗った船が……!」
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