第65話 オフ日/花火(後編)
屋台船が並ぶ桟橋に着くと普段の仕事モードで着ているスーツ姿とは装いを花火verに変えたジル社長がうちわを片手にこっちこっちと手を振ってアピールしていた。
「やぁやぁ、二人共。奇遇だね」
「呼びつけている時点で奇遇ではないと思います。てか、何で観に来てるって分かったんですか?」
「先程、橋の方に向かう。二人を見かけてね。もしや、と思い声を掛けたまでさ」
冷静なツッコミを入れつつ、思った以上に甚平の似合う姿が様になっていたジル社長に同性としても素直にカッコいいと感じてしまう。
「甚平姿、よくお似合いです」
「ありがとう。唯菜ちゃんもその浴衣、よく似合っているよ。当然、君もね」
「……ども」
反論したい気持ちを抑えつつ、軽く会釈をする。
「一先ず、二人共船に乗ろうか。もうそろそろ出航するみたいだし」
ジル社長に導かれるまま船内へと乗り入る。
甲板に立ったタイミングで船が桟橋を離れ出した。
浴衣と草履で足元が覚束なく、手摺に掴まりながら縦に伸びた両サイドに並べられたテーブルを囲むようにしてお座敷に座ったお客さんが出された料理やお酒を飲み食いしながら賑やかな雰囲気で宴会を催していた。その中に一人だけ、ポツンと端っこで見知らぬ大人達に囲まれながらも一生懸命笑顔を取り繕って談笑に強制参加させられている浴衣姿のルーチェに目が往く。
「今日は事務所の関係者達と屋台船で宴会を開いていてね。ここにいる方達は一応、僕の知り合いの人達なんだ」
なるほど、ジル社長はここで営業していた訳だ。
これまで知り合った芸能事務所のマネージャーや役員を自ら主催するこの宴会に招待して、情報交換もとい、次なる仕事を得ようという魂胆だと見抜く。
「あの……私達、御一緒してよろしかったのでしょうか?」
「君達二人、加わっても大した問題ではないさ。こちらとしてはお招きした手前、席と料理を用意出来ないから申し訳ないと思っているよ」
「別に席は用意されなくても構いません。ただ、花火を船上から見られれば満足です」
ジル社長の営業のダシに使われる気は全くない。
それに俺達を船に呼んだのは別の理由があるとルーチェを見つけた時点で悟った。
「甲板は自由に使ってくれて構わないさ。少し賑やかで小五月蠅いと思うけど我慢して欲しい」
「花火が始まれば気にならないですよ。それと……ルーチェを暫く預かります」
「話が早くて助かるよ」
『済まないが頼んだよ』と目で伝えてくると奥の方で正面を見続けるルーチェの元に向かう。
すると直ぐにルーチェの顔がバッとこちらを向く。
俺と唯菜が居ることに気付くや否やとびっきりの明るい笑顔にパァッと様変わりし、お客さん同士
の背中合わせで出来た一本道をサッと進んでやってくる。
「ありがとう……本当にありがとう!やっと解放される~」
涙ぐんだルーチェが浴衣に顔を埋めて何度も感謝を述べる。
接待に心労の限界を迎えたルーチェが一目散に退散した後の席をジル社長が座り、両手で手を合わせて済まないと再度伝えてくる。
「まぁ、子供一人預かるくらいならいっか」
「誰が子供よ!ほら、こんな地獄みたいな空間からさっさと出て、外行くわよ」
珍しく率先して外に出たがる様子にあの席に居続けるのが相当きつかったのだと察した。
そんなルーチェの後を追う形で潮風の香る甲板へと出る。幅広い河の中心を走る船の先頭で後五分に迫った花火打ち上げの開始を三人で待つことにする。
「にしても、ナイスタイミングだったわ二人共」
「珍しいな。ルーチェがあんな席に付き合うなんて」
「私だって行きたくはなかったわよ。でも……前に兄貴のクレジットカードで勝手にゲームPCを買ったあの話を引き合いに出されたら流石に断り辛くて」
やれやれと首を振っているが自業自得だとしか思えないが意外にも反省しているようであった。
結果として見事にルーチェは上手く使われた挙句しっかりとお灸を据えられたらしい。
「接待なんて二度と御免。それより、あんた達は花火を観にわざわざここまで?」
「うん。ヒカリちゃんと一緒にね」
「へ~、浴衣なんて着て二人で……デートの邪魔しちゃった?」
ニマニマと小馬鹿にしてくる態度に少しイラッとする。
「邪魔だからルーチェにはさっきの場所に戻ってもらおうかな」
「ごめんなさい。調子に乗りました。あそこは嫌なので暫くご一緒させてください」
一瞬で頭を下げ、高速詠唱を唱える勢いで謝罪を述べた。
「でも意外、ルーチェちゃんも浴衣着てるなんて」
「無理矢理兄貴に着させられたのよ。風情があるからって」
「馬子にも衣裳……って言うけど、本当によく似合ってる。ロシア系美少女×浴衣は反則級に萌え要素が強い」
唯菜同様に長い髪を後ろで一つに結び、普段はあまり見れないルーチェの綺麗な首筋が見えるのも凄く新鮮なのだが、それ以上に髪と同じ色の布地の中に小さな赤い金魚が泳いでいるのが妙な愛らしさを引き立てている。
これで中身も可愛いければ文句ないのだが……「は、その如何にもラノベ系主人公気取りの目線で感想を述べてんのよ。突き落とすわよ」と睨みを利かせてくる理不尽な言動には全然可愛いさを見出せない。
「まぁまぁ、折角なんだし。船上からの花火を楽しもうよ」
唯菜の提案にバチバチと睨み合いを利かせているのを互いに一旦止める。
時間的にそろそろ打ち上げ時刻な気するのでスマホで時間を確認しようとすると……何処からひゅーうという効果音に似た何かが聞こえ、顔を夜空へと挙げた直後、色鮮やかな輝きが大きく夜空のキャンバスに描かれた。
打ち上げられた距離からしてほぼ真正面。頭上を見上げた先に天高く打ち上げられた花火が夜空に煌めく様に一瞬で心を奪われた。
後からドンと鈍い大きな音が周辺一帯に響く。この花火特有の衝撃音がを与える感覚に今更ながら夏であると実感させられる。
「綺麗……」
横から唯菜の感嘆とした言葉が聞こえると赤、青、緑、黄色と単色の火の玉が次々と隅田川上空を鮮やかな色彩で埋め尽くされていく。
確かに綺麗だ。
部屋の窓から遠くに打ち上げられた花火を眺めるよりも近くで眺める方が圧巻で、迫力が段違い。
「来てよかった」
心の底からそんな風な声が漏れるも、花火音に搔き消されて左右の二人はおろか自分の耳ですら聞き取れなかった。それから絶え間なく夜空に花火が打ち上げられると火の玉が照明代わりとなり、開始前まで見えなかった両岸に並んでいた人達がはっきり見えるようになっていた。
一様にして大勢の見物客が頭上を仰ぎ、同じ景色を共有する光景に何だか花火が他人事のようには思えなかった。
「私達、今ステージに立っているみたいだね」
肩を合わせ、空いた手を重ねるようにして指を絡めて握る唯菜が顔を近づけて呟く。
確かに船上をステージ、花火がスポットライト代わりの照明役を担い、岸辺にいる見物客を応援してくれるファンと見立てるのであればそう思えるのもやぶさかではない。
人から離れ、特設ステージの上で花火を眺めているから余計にそう思ってしまうのも頷ける。
何ならさっきの他人事ではないという感覚の正体は唯菜の表現したそれだ。
アイドルとして……ステージに立つ者としての感覚が妙にこの光景とリンクしている気がする。
夜空というステージで華やかに彩り、観る者の心を天へと縫い付け、感性を刺激する何かを与える。輝くのはほんの一瞬で、その輝きが爆発的な印象を観る者の心の奥深くに刻む。
忘れられない最高の一時と共に。
花火とアイドルはそういった意味では意外にも通じる所があるのだと気付く。
「私……何で花火を観たかったのか、分かった気がする」
唯菜がどうしても観に行きたかった理由(わけ)。それは……
「ヒカリちゃんとこうして特別な時間を過ごしたかった……あの時みたいに……また」
あの時……とは横浜でのことを指しているのだろう。
二人で観た忘れられない光景と関連するものと言ったらそれしか当てはまらない。
目を閉じれば何度も鮮明に蘇るステージからの景色。
唯菜と二人で中心となって生み出したあの光景は決して忘れられない。
忘れることなんて出来ないくらい印象的で感動的なステージ。
それは何度経験しても飽きない。
もっともそんな頻繫に経験出来るものでもない。
あれはデビューライブというステージ、憧れの人物との初の同じ舞台での勝負、似た感情を共有する者同士の共鳴で成り立った勢いのあるパフォーマンス。
そんな様々な要因が重なったことで生まれたのが……あの特別な時間である。
たった一度きりしか経験し得ない決して忘れられない感動。
それと似た特別な時間を過ごすにはあれ以上の試練が目の前に立ち塞がり、乗り越える必要があるかもしれないが、何もアイドルの活動を通じて得ることに拘らなくていい。
アイドルとは何の関連もないこういった行事でも忘れられない思い出は作れる。
「ねぇ、ヒカリちゃんは私との時間は特別だと思える?」
そんな問いかけに思わず……
「なんか発言が重いよ。今、大きく打ち上げられた花火の玉並みに」
「そこは雰囲気に任せて無視して欲しかったなぁ~」
「ははっ、ごめん。噓だよ。凄く特別だと思ってる」
「もう……でも、ありがとう」
ぷくぅと頬を膨らませるもぷっと吐き出して笑う。
友人にしか見せない可愛い顔。
これを見られただけでも特別だと思える。
いや、毎日が特別なのかもしれない。
唯菜と居られる毎日が俺にとっては普通であってはならないのだから。
そんな物思いに耽りながら眺めていると第一会場での花火は全て打ち上げられたようだ。
これから第二会場の方も追って始まるということで船の向きが百八十度回転し出す。
「こんな場所を用意してくれたジルさんには感謝しないとだね」
「素直に感謝したいとは思いたくないけど」
「左に同じく」
「二人共、ホントに素直じゃないな~」
まぁ、少なからず感謝はしてる。
あの人がこの腕輪を渡してくれなかったら何も始まらないままだったし、一歩も前に進めずにいたに違いない。俺も……唯菜も……って、何か言いたげな顔でこっちを見つめている。
「あのね。二人に一緒にやって欲しいことがありまして、ですね……」
「何で敬語?」
「分かったわ。一緒にたまや~って叫んで欲しいとか言う気でしょ」
鋭いルーチェの指摘にコクリと頷く。
「高校生になってまで玉屋って叫ぶはちょっと……」
「声出すの面倒よね」
「お願いだからそういう時だけ二人で結託しないで!でも、ヒカリちゃんには今日一日だけ何でも命令を聞いてくれる権利を私は持っているから。ここで使います!」
「花火大会を観に行った時点で使い終えたのでは?」
「有効期限は今日一日なの!だから、叫んで」
「分かった……」
仕方なく唯菜のお願い事に付き合うとする。
「一人だけやらないのはなんか浮くから……仕方ないわね。私もやってあげる」と少しソワソワしたルーチェもなんだかんだ言いながらも参加を希望した。
そして、再び空を切る花火玉の音が聞こえ、三人船上に並んで両手を口元に添えて準備する。
大きな色鮮やかな火の粉が夜空に大輪の花が描かれたタイミングで叫ぶ。
『た~まや~』
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