第61話 沖縄/特別な時間⑳

 水族館での騒動は心肺停止状態の二人が息を吹き返したことで無事に沈静化された。

 見物人達からすれば五人の少女達の単なる悪ふざけに見えたらしく、大事には至らなかった。

 もしも仮に見物人の中にSCARLETとポーチカのファンが居たら、騒ぎは余計にややこしくなる所だったが、幸いにも五人の少女をよく知る他人が一人もいなかったため直ぐに散った。

 

「死んだフリはいいけど、本気で死んだフリするのは止めて。心臓に悪い」

「いやいや、本当に死に掛けたんだって」

「そうそう!いわゆる尊死……はぅ……」

「柚野思い出しちゃ駄目だよ!」


 柚野と春乃にとって香織とヒカリのキスシーンは心臓発作が起きてしまうくらいとても刺激的だったようだ。

 そしてもう一人、横で同じようにして目撃していた人物もまた思い出しては顔を赤く染める。

 その横でキスをした当事者はいたたまれない気持ちで空気との同化を試みる。

 その更に横でこれ以上の面倒事を避けたいとした香織は予定よりも早く次の段階に移ることにした。


「デートはこれで終わり。私達はポーチカさんよりも早い便だから先に空港の方に向かいます」

「え~やだやだやだ。私は二人の会話をもっとみてたいな~」

(うんうん)


 春乃の我儘を柚野が首を振って後押しするも、香織は「他にも観光スポット寄りたいんでしょ」「沖縄で有名なパンケーキ食べないの?」と言葉を返して説得する。二人が目的とする当初の目当てを思い出させ、ヒカリ達が引き剝がすことに成功。


 残り僅かな現地での時間を楽しむことにシフトを変えた三人は仲良く水族館を後にした。

 残されたヒカリと唯菜は思いがけない二人きりの時間に少しばかり沈黙の状態が続く。

 

「あのね……ヒカリちゃん」


 沈黙を破り、会話を切り出す唯菜は勢いよくヒカリを正面に捉えて逃げ場を塞ぐ。


「私に隠していること色々あるでしょ」

「色々は……多分ない……はず」


 ヒカリにとって唯菜に隠している事実は山のようにある。

 その隠された事実の裏にある真実は決して明るみには出していけないものが大半。その中でも、言えるものだけをピックアップし、唯菜が納得いく説明を陽一は瞬時に考える。


「しいていえば、私と香織が従姉妹だとか……」

「そうそれ!」

「あとは、少し仲が悪かったとか……」

「そうなの!?」

「あとは……初めてキスされたとか……」

「そう……なんだ」


 何の説明にもなっていないが、取り敢えず唯菜は落ち着く。

 陽一自身、かなり取捨選択で言葉を出したが、最後の情報は要らなかったと振り返る。


 『キス』という行為が生まれて初めてで、それも妹の香織からだということに未だ深い困惑を覚えているからか、つい鮮明なまでに思い出した光景を口に出してしまった。

 そして、そのままふと思いついた質問を言葉の風に乗せて伝える。


「ちなみにだけど、唯菜はしたことある?」

「ううん。ないよ」

「へーなんか意外」

「意外って、ヒカリちゃんもしかしてバカにしてる?」

「してないしてない。ただ、唯菜は可愛いからしててもおかしくないって思っただけ」

「もう、おだてて誤魔化そうだなんて……悪い子だ」

「誤魔化してない。本心から言ってる。唯菜は可愛いって」


 自分のどの気持ちからこんな言葉がつらつらと出るのかよく分からなかった。

 陽一の中でここでのある目標が達成されて、良い結果に進んだから内心で浮かれてしまって出た言葉なのか、あるいはこのシチュエーションに流されて自然と出た言葉なのか……今は深く考えることを止めた。

 

(考え過ぎて頭が少し疲れた。少し休みたい)


 久し振りに思考回路をフルに使って何か一つについて真剣に考えて向き合ったせいか、頭のみならず心もま重圧から解放され、一気に色んな疲れが陽一の心身を襲う。

 

「なんだか、お疲れ様だね」

「色々あってね。ちょっと休んでもいい?」

「うん……あそこにベンチあるから座ろうか」


 近くの空いたベンチに腰掛け、二人で潮風が漂う海岸線を眺める。

 空には少しばかり雲が覆い、真夏日の陽射しが一時的に遮断され涼しい潮風が頬を伝う。

 その心地良さに誘われ、ミツヤバクスイオーとしての血がここで目覚める。

 ウトウト気味で目を瞑りかけたヒカリは自然と唯菜の肩に寄りかかる。


「あ、ごめん」

「ヒカリちゃん、眠い?」

「眠いです」


 「十分でもいいので、寝させて下さい」と一心な思いで微睡に誘われた陽一は意識を徐々に眠りの世界へと落とす。そこで妙に温かく柔らかな感触が心をより安心させられ、心身を何かに委ねる思いのまま加速し、一瞬で一眠りに就く。


「え、もしかして本当に寝ちゃったの?」


 唯菜の膝の上で気持ち良さげにスースーと寝息を吐くヒカリに驚きつつもクスリと笑む。

 その眠る姿がまるで自身の知る誰かと似て見えてなんだか面白く感じてしまった。


「私の膝、そんなに気持ちいいのかな」


 肩で寝るよりも膝を枕代わりにして、横になって寝た方が少しは気持ち良いのではないか。そんな唯菜の配慮が予想以上に効果があったことを当事者の表情を伺って知る。


「ふふっ、可愛い」


 お日様の陽光を一杯に浴びた綺麗な明るい黄色髪に優しく触れながら顔を近づける。

 無邪気な子供みたいな見てて飽きない寝顔に向かって頬で人差し指を突く。

 質感のある柔らかな肌に指の腹が心地良さを感じ、三度起こさないようにそっと触れる。

 そのまま指を唇まで近づけ、なぞるように触れて自身の唇までもっていく。

 

「好きだよ……か」


 どんな気持ちで香織はヒカリに向けてその言葉を発したのか。

 今更ながら唯菜は疑問に感じた。

 香織と唯菜が従姉妹である以上にどんな関係性なのかは知らない。


 だけど、ただの従姉妹とは思えなかった。

 従姉妹というよりも二人は姉妹に近い。

 姉妹というよりも兄妹……いや、それはない。


 なんせ、ここにいる三ツ谷ヒカリは唯菜同様に女の子である。

 見た目や性別、身長、声といったあらゆる観点から香織の兄である三津谷陽一である訳がない。

 唯菜も自分の目で確認している以上、真実が揺らぐことはない。

 それは間違いないのだが、腑に落ちない点があった。


 それが好きという気持ち。

 香織がヒカリを好きであるように、唯菜もまた香織に負けないくらいヒカリが好きであった。

 初めて心の底から信頼し合えるパートナーとしてヒカリを慕ってきた。

 まだ関わってから二ヶ月も経っていないが、一年以上一緒に過ごしたと錯覚するくらい唯菜はヒカリに対して信頼を預け、ヒカリもまた唯菜を同じくらい信頼していると感じていた。


 その信頼感が唯菜の中でいつしか好きへと変わり、ヒカリに対して特別な感情を抱くようになっていた。無論、決して恋愛感情的な意味での好きではなく、友人としての特別な好きである。

 他の友人達とは違う特別な時間をお互いに共有していることでより一層、他とは違う種類の好きがヒカリへと向けられていた。その最中で香織の好きを聞き、その感情が表する行為を間近で目撃したことで唯菜の中で嫉妬に似た何かが薄っすらと芽生えた。


 ヒカリを想う特別な感情が自分だけではないと知り、その特別さが薄れてしまう気がして怖くなった。

 渡したくない……この気持ちは私だけがヒカリちゃんに向けたものだから。 

 今まで思ったこともない自分の中に秘められた独占欲が表立ってそう告げる。


 この瞬間、この二人きりの時間は二人だけのもの。


 こんな寝顔を見られるのも、膝枕出来るのも、私だけ。

 

(……でも、ヒカリちゃんは私だけのものじゃない)


 己の中に秘めた本心に向かって自制するよう忠告する。

 そんな風に心を汚すのは私らしくない。

 私だけの一存でヒカリちゃんを独占するのはよくない。


 唯菜はそう言い聞かせて歯止めをかけた。

 でも、好きだという気持ちに裏も表もない。

 その本心には従うべきだとして、耳元で囁くように伝える。


「私も好きだよ。ヒカリちゃん」

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