四十五話 あれって、そういう事だったのね

「だ、誰だ貴様! 名を名乗れ!」


 突然激しく割れた窓硝子に驚き、慌てて立ち上がったオーウェン様。

 壁に飾られていた剣を持ち出し、その人影に向けた。


「全く、この屋敷の人間は使えぬ者ばかりですね。親身を睹して仕えるべく主人の居所すら知らないとは、なんたる怠惰の極み。お陰で、見付けるのに余計な時間を浪費してしまいましたか」


 割れた窓から飛び出してきたのは、憲兵本部へ向かったはずのバーナード様だった。

 剣を向けられているにも関わらず、平然と片眼鏡モノクルをかけ直し、正礼服タキシードに付いた硝子片を払う。

 私を疎んでいるはずの彼がどうしてここに居るのか。バーナード様の言い様では、どうやらオーウェン様を捜していたみたいだけれど。


「なっ、何で貴方が! だって衛兵と一緒に憲兵本部まで行ったはずじゃ……」


「無論同行しましたよ。その後にこちらへ戻ってきたまでの事。少々時間が惜しかったので、不躾ながら民家の屋根を飛び越えて来てしまいましたが」


 なるほど。バーナード様は終業の鐘が鳴る度に瞬間移動ワープして来ているのかと思っていたけれど、実際はバルコニーや窓を飛び移って来ていたのね。

 ……意外と活動的アクティブな方だったんだ。


「そ、そもそも、どうしてこの部屋がわかったんだ! 扉の場所は俺しか知らないはずだぞ!」


「何、簡単な事です。廊下から見える扉の数と間取り、それに対して外から見えた窓の数が一致しなかったからですよ。扉が見つからないのであれば、直接窓から入れば良いだけの事」


 活動的アクティブな上に観察力も備えているとは、恐れ入ったわ。過去の転生では的外れな事ばかり言っていたけれど。


「しかし、やはり急いで正解でしたね。どうもこの屋敷は、前々からきな臭かったので」


 そう言いながら、バーナード様は私を見つめる。

 まさか逸早く駆け付けてくれたのが彼だとは、一体誰が予想できた事だろう。

 以前より怪しんでいたバステュール邸の調査中に偶然ここへ来た。ただそれだけなのかもしれない。私を助けに来たつもりではないのかもしれない。

 それでも私は、バーナード様の姿に心から安心した。


「それに君、学園内ではアンスリア嬢の事を付け回していましたね。彼女に同行していたこの数日間、僕が気付かなかったとでもお思いですか?」


 確かにそうだ。他教室のはずだったオーウェン様は、何故か私の行動を知っていた事がある。恐らくはメアが襲われた時も、ずっと後を追われていたんだ。

 バーナード様は、その事に気付いて警戒していたのね。


「……ちぃっ、見られたからには仕方ない。バーナード、お前には死んでもらう!」


「良いでしょう。レムリア学園の先輩として、貴殿に稽古を付けて差し上げます」


 血気盛んなオーウェン様に対し、涼しい表情で警棒を伸ばすバーナード様。その技術は実に流麗で、一つ一つの動きが繋がって見える。普段から闘技場アリーナで鍛練に励むオーウェン様ですら、軽くあしらうほどに。


「な、何なんだお前は! 俺とアンスリアの、邪魔をするなぁーっ!」


「ふむ、先程から無礼極まりない言動ですね。ならば生徒会副会長として、少々きつい指導を致しましょう」


 そう言い放ち、警棒を構え直すバーナード様。彼の目付きが変わった瞬間、オーウェン様が振るう剣を弾き、懐へと入り込んだ。


「……ア、アンス……リア。ぐほぁっ」


 そして、オーウェン様の手から剣が溢れ落ち、胴を抑えながら床に倒れた。

 たったの一撃。それだけでオーウェン様を昏倒させてしまった。次期親衛騎士団長と謳われた彼を、意図も簡単に。

 体格差も血筋も、明らかに格上だった相手なのに。


「アンスリア嬢、お怪我は?」


 私を繋ぐ鎖を外しながら、バーナード様は尋ねる。


「……はい、大丈夫です。助けて戴いて、心から感謝致します」


 自由の身になった私は、バーナード様に向けてそう言う。

 助けられた今でも、これは夢なのではないのかと錯覚してしまう。もしも私を助けてくれるとしたら、その人はリヒトかメアしか存在しないと思っていたのだから。

 でも、それは違ったんだ。こんなにも私を助けてくれる人がいるだなんて、未だに信じられないわ。


「僕が傍にいながら、貴女には恐い思いをさせてしまいましたね。深くお詫び致します」


 片膝を突き、私の手を握るバーナード様。


「いえ、そんな……」


 どうしてかしら。ずっと苦手に思っていたバーナード様だったけれど、今ではその感情さえも遠い過去のように感じる。

 だってそうでしょう。もっと冷たい人かと思っていたのに、彼の手はこんなにも温かいのだから。


「全く困ったものです。時折、学園でも僕に逆らう者がいるんですよ。どうも僕は貧弱に思われがちなのでね」


「ええ、実は私も、知的なバーナード様は身体を動かす事に疎いかと思っていました。でも、本当はお強いんですね。とても、格好良かったです」


 小さく笑いながら、私はそう返した。


「あ、あれくらい、たた、大した事はありません! さ、さあ、帰りますよ!」


 あまり誉められる事に慣れていないのか、バーナード様はお顔を真っ赤にしていた。何度も片眼鏡モノクルをかけ直して、決して目を合わせようとしてくれない。きっと照れ隠しをしているのね。

 私はずっと誤解していたのかもしれない。本当のバーナード様は、とても優しい御方なんだ。

 もしかしたら彼は、本当は私の事を嫌ってなどいなくて、不器用なりに気遣ってくれていたのかもしれない。何度この一年をやり直しても、手を差しのべてくれていたのかもしれない。

 そんな事を考えながら、彼の背中を見つめていた。屋敷を出るまでの間、ずっと。


 ━翌日・ヴェロニカ邸━


 次の日の朝、オーウェン様の実父であるバステュール家当主、ドミニク・バステュール自らが私の元へ赴き、涙ながらに謝罪した。

 拘留中のオーウェン様は他国へ留学させ、行く行くは幼い次男へ家督を継がせると約束をして。

 レオニード公爵はその謝罪をすんなりと受け入れた。今から恩を着せておけば、いずれ役に立つ。そう言いながら、その日の夕食をいつも以上に美味しそうに召し上がっていた。

 もし襲われたのが私ではなくアメリナだったなら、ドミニク男爵が敷居を跨いだ瞬間に首を刎ねていただろう。

 結局私は、政治の為の道具に過ぎないんだ。


 どうしてかしら。全てが片付いたはずなのに、こんなにも気分が晴れないのは。

 そうだ。まだ終わってはいないからだ。結局マーカスとルールカさんを出会わせた者の正体を突き止められていない。今回の一件にはもっと、もっと裏があるのかもしれない。

 その真相がはっきりするまでは、私の悪夢はこれから先も続く。

 それでも私は、きっと抗うだろう。

 何度失敗しても、何度やり直しても。

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