四十四話 絶対に、お断りよ

「アンスリア嬢、どうか罪を認めてください。それさえしてもらえれば僕が手を貸します。死罪だけは免れるよう、手を尽くしますから」


 冷たく、固く閉ざされた鉄格子の中で、私はそう言われた。

 ここは薄暗い牢獄。王都の地下に存在する忌避された場所。

 毎夜同じ時間に、その人は鉄格子の外から話し掛けてくる。彼の名はバーナード・サイ・バルムスキー公爵令息。外した片眼鏡モノクルを手巾で拭き取る姿を、私は何度も見たのだから。という事は、これは私が九回目に死んだ時の記憶だ。

 私を嫌っているはずなのに、彼だけは一日とて欠かさずにやってくる。ジュリアン様だってレオニード公爵だって訪れた事はないのに、どうしてこの人は諦めずに来るのだろう。

 私の事なんて、放っておけば良いのに。


「はぁ、今日も食事を摂らなかったのですか。このままでは本当に死んでしまいますよ」


「わた……しは……や……てない」


 頑丈に重ねられた石垣にもたれ掛かり、途切れ途切れに私は応える。

 この時の私も、断固として冤罪を主張し続けていた。ここで認めてしまったら最後、一生後悔してしまう。そう思っていたから。むしろこう考えていたわ。さっさと死んで転生したい。やり直したいと。


 どうして九回目の転生では早くに投獄されたのか。それは私が指示したとされる野党の一団が、とある村を襲ったから。偶然にも巡回する騎士団によって事態は沈静化されたらしいのだけど……。

 でも、その村からは三人の死者が出てしまった。


 一見無関係に思われた私が、何故罪に問われたのか。

 それは村に慈善活動をしに出向いていたアメリナが居合わせ、不慮の事故に見せかけて殺させようとした。

 捕虜にされた野党の一人がそう証言した為、罪を着せられた私は卒業パーティーの二週間前に投獄されたんだ。

 そして卒業パーティーの日、私は一人独房の中で死を向かえた。

 誰に看取られる事もなく、知られる事もなく。


 ━バステュール邸・三階一室━


「……うっ、頭が、痛い」


 悪夢から戻り、ふと目を覚ました私。

 ぐらぐらと脳が揺れ、酷く頭が痛む。曖昧な記憶が断片的に甦るが、今の自分が置かれた状況は把握できない。全身が倦怠感に襲われ、鉛のように身動きすら取れない。

 ……違う。本当に動けなくされているんだ。

 濃霧に包まれたような僅かな視界に映るのは、固く冷たい鎖だった。それは私の四肢と首に繋がり、ベッドに固定させる為の物。

 これでは何の魔法も行使する事ができない。いいえ、できたとしても私にはこの鎖を断ち切るほどの技術は無い。


 ガチャ。


「あっ、もう起きちゃったんだ。やっぱり先輩達の言う通り、アルコールに混ぜないと効果は薄いか」


 開かれた扉から平然と歩いてくるのは、やはりオーウェン様だった。

 鎖に繋がれた私を見ても素のままという事は、やっぱり彼が私を拘束したのね。


「一人にしてごめんね、夜会の片付けが長引いちゃって」


 ベッドに腰掛け、微笑むオーウェン様。


「オーウェン様、これはどういう事なのかしら。早く錠を解いて頂戴」


 ガシャガシャと鎖を揺らし、できる限りの抵抗を見せる。


「それはできない頼みだね。だってやっと手に入れたんだから。愛しのアンスリアを」


「まさか……メアを刺したのは貴方なの?」


「メア? ああ、あの侍女メイドか。そうだよ、君を連れ去るのに邪魔だったからね。まっ、結局妨害されちゃったけど。あの執事に」


 どうして私は気が付かなかったのだろう。以前夜会に参加した時も、先程手渡されたグラスもそう。オーウェン様は私の飲み物に睡眠薬を混ぜていたのね。そもそも屋敷に地下牢がある事自体が不自然だった。

 初めからオーウェン様は、ジェラルド様達と共謀していたんだ。

 でも、例えそうだとしても。


「公爵令嬢の私に手を出せば、一族諸ともお仕舞いよ。一生を独房で過ごす事になるわ」


「ははは、殿下の婚約者以外に価値が無い君に、一体何の力があるって言うんだ? ヴェロニカ家では立場が無い事なんて誰でも知ってるんだよ」


 私にはそれ以上は言い返せなかった。私の身に何が起きてもレオニード公爵は動かない。そんな事、私が一番理解しているのだから。


「それに殿下は今、妹君のアメリナに夢中だしね」


「……。」


 そうね。私が消えても、ヴェロニカ家にはアメリナがいる。いいえ、私なんていてもいなくても、ジュリアン様の傍にはアメリナしかいない。この物語の、最後には……。


「だから俺が救ってやるんだ。殿下との婚約が破談になったらアンスリアはどんな扱いを受ける事か。なら俺が君を飼ってやろうって、そう決めたんだ。その整った顔も、身体も、声も、心さえも全部、もう俺の物だ」


 オーウェン様の狂気を目の当たりにした私は、恐怖に押し潰されるような感覚に陥った。一瞬にして血の気が引くほどの悪寒が走り、震えが止まらなくなっていく。


「そ、そんな事、できるはずが無いわ。大勢の人に私を連れていった場面を見られているんだから。まず初めに疑われるのは貴方、オーウェン様よ」


 そうよ。外にはまだリヒトとメアが居るんだもの。あの二人なら何を言われようと私を置いては帰らない。だからきっと、すぐに異変に気付いて……。


「ああ、良い、良いねえ! 君の綺麗な顔が恐怖で歪む。これからは色んな表情を独り占めできるだなんて。ああ、最高に興奮するよ!」


 最早オーウェン様には、理性の欠片も残ってはいない。足の爪先から頭の頂点まで、私を嘗め回すように見続ける。その姿はまるで、血肉に飢えた魔物だ。


「何も心配はいらない。誰にも俺達の邪魔はさせないから。実は君の為に別荘も買ったんだ。誰の目にも付かない山奥にね。そこで幸せに暮らそう。結婚して子供も沢山作って、死ぬまで一緒に居るんだ」


 私の頬に手を添えて、少しずつオーウェン様が迫る。

 甘く囁くその言葉は、どんな死よりも恐ろしい宣告だった。もしも子供なんて産んでしまえば、私は永遠に逃げる事はできないだろう。例え望んで産んだ子供ではなくても、自分の子を捨てられる訳がないのだから。きっと死にたくなるような苦痛の中、私は生き続けなければならない。

 そんなの、そんな人生なんて……。


「い、嫌……嫌よ」


 しきりに首を振り、自然と涙が溢れる私。

 恐い。この人が、オーウェン様が恐い。

 こんなに恐ろしい人が、ずっと私の近くに居ただなんて。

 お願いリヒト、助けて。


「大丈夫、恐がらなくて良いから。最初は痛いらしいけど、すぐに慣れるさ」


 そう囁きながら、オーウェン様の顔が更に近付く。


 バリィンッ!


 互いの口許が触れようとしたその時、激しい音と共に大きな窓硝子が砕け散った。その破片は部屋中に飛散し、反射された照明を煌めかせる。

 割れた窓枠から飛び出してきたのは、一つの人影。

 でもそれは、私が予想すらしていなかった人物のものだった。

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