二十九話 あの……近いんですけど

 秋麗。今日は朝から気持ちの良い風が吹き、街路樹が秋色に染まりつつある。

 普通の人ならとても心地の良い通学路に思うだろう。

 でも私は……。


「ねえ、あのお噂、聞きまして?」

 ……噂ではなくて偽情報ガセネタの間違いでしょ。


「ご実家では庭仕事をさせられていたらしいですわね」

 ……あぁ、薔薇園の事ね。


「何でも、本当は下女との妾の子だとか」

 ……正真正銘、公爵と夫人の実子ですけど。


 覚悟していた嫌な日々の始まり。何処からか噂と言う名の癌が生まれ、やがて膨れ上がり、学園中に転移していく。

 もしかしたら何か良い事が起こるかもしれない、そう期待をしていたけれど。


「まぁ、そんなに都合良く事象イベントが変わる訳無いわね」


 この耳が聞こえなければ。この茶色の瞳が見えなければ。きっと何も知らずにいられたのに。

 いいえ、そんな事を思っては不謹慎ね。だってこれは、私が犯した罪に対する罰なのだから。


 ━放課後━


 最後の講義を終えた私は、未だ教室に留まっていた。外面だけを気にした貴族令嬢達を見送り、窓に映る景色を眺める。何も変わらず、見応えもない空を。


「ねえ、ご覧になって。またお一人で残っていらっしゃるわ」


「大方、ご実家には帰りたくないのではなくて? だってほら、あのお噂……」


 例え本人に聞かれていたとしても、どうせ見せかけハリボテ令嬢のアンスリアでは何もできないのでしょう? そんな思惑で優位に立ったような顔で、数人の女生徒達が囁く。

 でもそれは違うわ。私が帰らない理由は、ただ単にメアを待っているだけ。

 私に同伴するメアは、時折帰りが遅くなる時がある。それはレムリア学園の敷地内に併設された使用人学校キャリアガーデンで講習を受けているから。

 使用人とは言え未成年なのだから、最低限の知識を学ぶ為にも必要だもの。


「なぁ、お前声かけてみろよ。遊んでくれるかもしれないぜ」


「確かに。何なら僕の家に泊めてあげるのも有りかな」


 壁に寄りかかる二人の男性もまた、私の様子を窺う。最早私に対して公爵令嬢としての格式を忘れられている。それに悪役令嬢と言う迫力も威厳さえも失いかけてきているのだろう。


 ……はぁ、教室ここで長居はできなさそう。


 そして私は鞄を抱えて教室を後にした。好奇の目に晒され、嘲嗤われながら。


 こうして私を蔑むのは、まだ一部の人間だけだ。でもいずれ、月日を追う毎に噂が広がっていく。その事象だけは、決して免れはしないだろう。

 大丈夫、今はまだ、大丈夫。

 私がジュリアン様の婚約者でいる間だけは。


 ガチャ。ギィィィ。


 そこは別棟にある書庫だった。

 生徒の姿も無く、物音一つ聞こえない閑散とした一室。背の高い書架が並び、まるで迷路のよう。

 でも今は返って好都合。だって、私の姿を隠してくれるのだから。


「……あっ、この本懐かしいわ」


 何気無く棚を見て回っていた私は、ある一冊の本を手に取った。それは遥か昔に語られた伝記。魔法と言う概念がまだ無かった頃、一人の少女が人々の病を癒して回り、やがて世界を救う。そんなありふれた物語だけど、小さい頃の私は食い入るように読んでいた。

 これは最初の聖女と呼ばれた人物の冒険譚。本当に実在したのか、創作なのか、今となっては真実を確かめる手立ては無い。


「メアが戻るまではまだ時間があるし、ここで暇を潰そう」


 その伝記を持ったまま、椅子に腰かける私。窓から射す陽の光だけが、薄暗い書庫の中で唯一の光源。

 少し物足りない明るさだけど、読む分には十分ね。


「あの、もしや貴女はアンスリア様では?」


 足音も無く私の背後に忍び寄っていたのは、辺境伯令嬢であるルールカさんだった。

 やっと気を落ち着かせて、物語の世界に入ったところだったのに。まさか、この書庫はルールカさんの領域テリトリーなのかも。


「ごきげんよう、私がここに来てはお邪魔かしら」


「とんでもない、この図書室は誰のものでもありませんもの。お気になさらず」


 本音を言えば、私はルールカさんが苦手だ。学園では誰とも馴れ合おうとせず、いつも読書ばかりしている。

 成績の面でもそう。周囲からは何かと比較対象にされるのだから、変に意識してしまう。

 そんな誰にも興味を抱かない彼女が声を掛けてくるなんて、どういう風の吹き回しなのだろうか。


「その本、素敵ですわよね。私、何度も読み返しているんです」


「そう、奇遇ね」


 退屈そうにぱらぱらとページを捲り、冷たく返す。

 さっさと最後のページまで飛ばして、この場を立ち去ろう。


「……あの、何かご用?」


 何故か私の隣に腰掛け、和やかに伝記を見つめるルールカさん。少しだけ椅子をずらし、密着してくる。


「いえ、折角趣味の合うお仲間と出会えたんですもの。より共感できるよう、ご一緒に読ませて頂こうかと」


「読んだ事あるのでしょう?」


「はい、何度も」


 やんわりと微笑むルールカさんは、嘘偽り無く楽しそうに見えた。声を思い出せないくらい口数が少なく、羨む程存在を消すのが上手だった彼女。

 それが今、どうして私の隣に居るのだろう。ページを捲る度にお気に入りの場面シーンを指差し、嬉々として語り出す。時には私にまで感想を求め、声に出して笑う。

 最も傍に居てはいけない、疫病神わたしの隣で。

 もしも誰かがこの部屋に訪れたなら、きっと誤解してしまうだろう。私達は友人同士なんだ、って。


「もうこんな時間なのね。悪いけど、お先にお暇させてもらうわ」


 いつの間にか時間を忘れてしまっていた私は、途中まで開かれていた伝記を閉じた。

 ほんの一刻だけの時間潰しだった筈が、気が付けば太陽はその姿を隠し、秋の夕焼けだけが色濃く空に残る。今頃メアは、私を捜しているのかもしれない。

 決してメアを忘れていた訳ではない。不本意だけれど、時の流れが早く感じてしまっていたからなんだ。ルールカさんと居た、この時間が。


「今日は実に有益な一時を堪能できましたわ。もし良ければ、明日もご一緒に読者を致しませんか?」


 解放された窓硝子の前で、ルールカさんが聞いてくる。純白のカーテンが風に吹かれ、羽衣のように彼女を包む。


「ごめんなさい、遠慮しておくわ。今日は成り行きで来ただけだから」


「うーん……それは残念ですわ。私は毎日、同じ時刻に此方へ訪れておりますので、気が向いた時にでも是非」


「ええ、気が向いたらね。それじゃ」


 口惜しそうに私を見送るルールカさんに背を向け、逃げるように書庫を立ち去る。


 今まで繰り返された転生では、一度足りとも接点が無かったルールカさん。

 私は超能力者でも預言者でもない。だから彼女の本心がわからない。

 誰かから有らぬ噂を聞いて、私を憐れんでいるのかもしれない。

 鉢合わせたのは偶然で、本当に意気投合したのかもしれない。


「……どちらにしても、あの御方とは関わるべきでは無いわね」


 そう。関わってはいけない。

 だって私は、如何なる人間をも傷付ける悪役令嬢なのだから。

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