二十三話 流石に、怒られるかしら

「アンスリアお嬢様、あの、一体何を……」


 アメリナの居る監視主塔ベルクフリートを目指す最中、私は言い争う二人のメイドと鉢合わせてしまった。

 この二人の問題を解決させるには、これしかないわ。


何を・・するか、ですって? 一応聞くけれど、貴女達が揉めてる原因はこれなのでしょう?」


 まるで汚物を見るような瞳で、コートを持ち上げる私。凝固しかけた薄黄色の液体が至るところに付着し、豪奢な装飾を霞ませている。

 この人は今から何を仕出かすのか。そんな不安げな表情の二人は、私の質問に黙って頷く。


「なら、こうするのよ」


 バシャーン!


 汚れた水飛沫が大広間ホールに舞い、床を濡らした。汚水が入った水桶の中には、水浸しにされたコートが。

 そう。私がジュリアン様のコートを投げ入れたから。


「……な、なんて事を」


「もしかして、余計悪化させて私達を解雇するつもりなんですね!? なんて鬼畜なの!」


「蝋が固まる前に水に浸けただけよ。それに、洗えばまた着られるでしょう?」


 例え洗ったとしても、王太子殿下にそんなものを着せられる訳がない。そもそも内密にできる道理もない。そんな事はわかっているわ。

 私が何故そうしたのかは、別の意図があるのだから。


「貴女達、代わりにエヴリンに謝っておいて。私が・・、うっかりコートを水桶に落としてしまったんだ、って」


「そんなの、誰も信じる訳無いですよ」


「いいえ、信じるわ。私の名を出せばね」


 二人に背を向け、その場を立ち去る。

 何せ私は使用人を甚振る悪役令嬢。屋敷では暴虐の限りを尽くし、公衆の前では奴隷の如く扱う外道。

 その私がやったと聞けば、誰が疑うものか。


「ふふふ、噂と現実は、本当に異なるものね」


 ━レーゲンブルク城・監視主塔━


 ガチャ。


 本邸の最上階から繋がる監視主塔ベルクフリート。その頂点に行く為の扉を開いた私は、すぐに一つの人影を見つけた。


「……アメリナ、まだここに居たのね」


「ええへ、アンスリアお姉様が来てくれてたの、気付いてましたから」


 風に揺れる長い髪を押さえながら、アメリナは言う。無邪気な少女のように悪戯に嗤うその表情は、大庭園から見えたものとはまるで違っていた。

 さっきは、私の気のせいだったのかもしれないわね。


「良かったら、一緒にお茶でもどう?」


「えっ、私も……ですか?」


「ええ、そうよ。リヒトが淹れてくれたハーブティーがあるの。彼が淹れてくれた紅茶は、とても美味しいでしょ?」


「……へえ、リヒトさんって、紅茶を淹れられるんだ」


 俯きながら何かを呟くアメリナ。

 再び訪れる怪しい雲行き。快晴の空に忽然と現れる。遠くから照らす太陽の逆光に阻まれ、アメリナの表情が隠される。


「ねえ、お姉様、ジュリアン様って素敵ですよね! 優しいし、格好良いし、それに王子様ですもの!」


「え、ええ、そうね」


 闇の中から見え隠れするのは、笑顔のアメリナ。それでもまだ、異様な気配を醸し出していた。流れる気流が逆風となり、私に吹き荒ぶ。

 どうしてなのだろう。今のアメリナがとてつもなく恐い。全身に鳥肌が立ち、胸元に刃物を突きつけられたような嫌悪感。

 こんなアメリナは、初めて見た。


「ところでお姉様、確か三人でお茶をするんでしたっけ? お姉様とジュリアン様と……私で」


「そ、そのつもりだったのだけど。ごめんなさい、やっぱり嫌だったかしら」


「……。」


 私の顔をじっと見つめるアメリナは、沈黙のまま私の傍へと近付いてくる。決して笑顔を絶やさず、一歩、また一歩と。

 もし私がアメリナを怒らせたのだとしたら、それはやはりジュリアン様の事なのか。

 こう思われたのかもしれない。私がアメリナをお茶に誘った魂胆は、私とジュリアン様が仲睦まじくする場面を見せ付ける為。もしかしたら、そう勘違いしているのかも。


「ねえ、どうして逃げるんですか」


「……あの、アメリナ」


 自然と後退る左足。

 目と鼻の先にまで近付いたアメリナは、その白く細い腕を伸ばした。そっと私の心臓に触れ、身を寄せてくる。

 確かに今のアメリナは丸腰。魔法だってろくに使えない。なのに何故、こんなにも恐ろしいのか。まるで今にも心臓を抉り出され、握り潰されてしまいそうな。そんな恐怖が私を襲う。


 今の彼女が、何を考えているのかわからない。


「ふあぁーっ……よく寝たぁ。んあ、あれ?」


 その時、私の背後から聞こえた寝惚け声。

 それはやはり、リヒトの声だった。


「これはこれはお嬢様方ではありませんか。お恥ずかしい所をお見せしてしまい、大変失礼致しました」


 監視主塔ベルクフリートの屋根から飛び移り、直ぐ様畏まるリヒト。


「あーっ! やっとリヒトさん見つけたーっ! ずっと捜してたんですよ!」


 突然普段の調子を取り戻したアメリナが駆け出し、リヒトの手をぎゅっと掴む。

 次から次へと姿を変えるアメリナに付いて行けない。毎度都合良く現れるリヒトの心理もまるで読めない。

 こんな混沌の渦に放り込まれてしまえば、当然立ち尽くすのみの私。


「申し訳ございません。監視主塔ここの屋根にある日陰が実に心地好く、つい転た寝を」


「もう! 今日は一緒に街に行くって、約束したじゃないですかーっ! 前から欲しかった限定品のぬいぐるみは、今日しか売ってないんですよ! もし買えなかったら……わかってますよね」


「も、申し訳ございません。すぐに早馬を手配致しますので」


 ……えっと、もしかしてリヒトを捜す為に、監視主塔ベルクフリートに居たと言う事? あんなに怒っていたのって、欲しかったぬいぐるみが手に入らないかもしれないから、なの?


「ごめんなさい、お姉様。そう言う事なので、お茶会はまた今度誘ってください!」


「え、ええ、残念だけど、また今度ね」


 そしてアメリナに背中を押され、早々にリヒト達は消えていった。激しく鳴り響く階段の音が、すぐに静まり返る。

 それにしてもリヒト、寝起きの割りには随分と眼が冴えていたわね。声だけは演技できても、仕草が不自然だったわ。

 そうまでして嘘を吐いた理由。それは間違いなく、アメリナが恐いから。

 リヒト、本当はメアの手伝いサポートをしていたのだものね。


「はぁ……それにしても、まさか怒ったアメリナがあんなに迫力あっただなんて」


 ……いや、本当に恐かった。流石はレオニード公爵の娘だわ。


 ━レーゲンブルク城・大庭園━


「やあ、お帰り。遅かったけど大丈夫? 少し横になる?」


 足を組みながら、優雅に読書に励むジュリアン様。いつの間に書籍を用意していたのか。余程お手透きだったのかしら。

 それにこの反応、絶対に腹痛で用を足しに行ったのだと思われているわね。このままお花を摘みに行ったと誤解されるのもあれだし、ここは正直に言おう。


「申し訳ございません。実はアメリナを見掛けましたので、お茶に誘っていたんです。それともう一つ、お伝えしなければならない事がございまして……」


 あの時は勢いでやってしまったけれど、やっぱり言い難い。でも、ちゃんと言わないと。


「私、ジュリアン様のお召し物を汚してしまいました」


 ぎゅっと両手を握り締め、恐る恐るそう語る。


「そうなの? でも気にしなくて良いよ。暑くて着たくなかったし、後で洗えば良いだけだからね」


「違うんです。わざと汚れた水桶に投げ入れたんです」


「……そうなんだ」


 多くは話せない。でも嘘も言えない。真実を話してしまえば、いずれ何処からか綻びが生まれ、大きな惨事へと花開く。

 最悪の結末はアンナとクロエの解雇通知。それは即ち、私が裏切った事になる。


「申し訳……ございません」


 だから私は、謝る事しかできない。いつもいつも、それだけしかできない。


「ははは、謝る事は無いよ。君がそうしたのなら、それはきっと正しい行いなんだ。だから安心して、事情は聞かないから。って、簡単に結論を出してしまうのは駄目かな? ごめん、僕の悪い癖だね」


「……ジュリアン様」


 それは本当に予想外な答えだった。彼が私を責めない事はわかっていた。でも、私を信じてくださるなんて。

 やっぱりいつもと違う。今、私の目の前に居るこの御方は、今までのジュリアン様ではない。

 過去の転生で何度も彼を避け、突き放した。それきりジュリアン様とは疎遠になるのが普通だった。

 なのにどうして、こんなにも歩み寄ってくれるのだろう。この一一回目の転生は、やっぱり何かが違う。


 ━レーゲンブルク城・正門━


「アンスリア、今日は僕の我が儘に付き合ってくれてありがとう。とても楽しかったよ」


「いえ、私の方こそ、貴方様の優しさに甘えてばかりで……」


 夕陽が山並みに沈む頃。

 王都へ帰還するジュリアン様を見送っていた。是非泊まって行って欲しい、と言うレオニード公爵の招待も断り、馬車へと乗り込む。


「それじゃあ、また学園で会おう」


「はい、お気を付けて」


 遠く地平線へと消えていくジュリアン様。馬車が見えなくなるまで、私は見守っていた。

 少しずつだけど、ジュリアン様への疑心が解け始めている。何度も裏切られ、疑われ、見捨てられた。

 それでもまた、彼を信じてみようと心変わる。

 やはり私は、優柔不断な愚か者なのかもしれない。

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