十八話 ええー、この格好で?

 ガチャ!


「お姉様! 一緒に湖に行きませんか!?」


 レーゲンブルク城に帰省してから迎えた最初の朝。

 無作法に扉を開けたアメリナがそう叫ぶ。昨日の馬車の中で二人の誤解は解けたけれど、いくらなんでも強行すぎるでしょ。


「ん……んん」


 もぞもぞと羽布団から顔を出し、サイドテーブルに手を伸ばす。手に取った時計を見ると、今はまだ五時半。完全に早朝じゃない。


「おはよう、アメリナ。でも、早起きにも程があるわ。もう少し、ゆっくり起きたら?」


 身体を起こし、寝間着ネグリジェの肩紐を直す私。乱れた髪を手櫛で整え、威厳を取り戻す。


「えへへ、だって楽しみにしてたから。お姉様とお出掛けするの」


 お出掛け? そんな約束はした覚えないけど。でも、あんなに瞳を輝かせているアメリナを蔑ろにはできないし……。

 はぁ、仕方がないわね。


「湖に行きたいんだっけ? 別に良いわよ」


「本当ですか!? やった!」


 大きな声でアメリナが喜び、私のベッドに飛び込んでくる。反発するスプリングが私達を持ち上げ、ベッドに横たわらせた。


「ついでに魔法も教えて下さいね!」


「魔法を? でも、まだ帰省したばかりだし、それに疲労が……」


 厳密に言うと、昨日の大掃除で全身が筋肉痛だったりする。本気のリヒトとメアに感化されたせいで、少し張り切り過ぎてしまったのよね。


「あーっ、今度魔法を教えてくれるって約束したのに、もう忘れちゃったんですか?」


 ……そうだった。そう言えば、そんな事を言っていたわね。あの時は考え事をしていて、完全に聞き流していたけれど。

 まぁ、いいか。


「はぁ……わかったわ」


「わーい!」


「ちょ、ちょっと! そんなに抱き付かないで」


 ━ヴェロニカ領・ルヴール湖━


 今は昼前。リヒトとメアを付き添い、ルヴール湖を訪れていた。真夏にもなると避暑地として賑わうこの湖も、今はまだ閑散としている。

 ここは海水と淡水の混ざる汽水。そのお陰なのか、砂浜には様々な生物が顔を出し、湖面からは色鮮やかな熱帯魚達が跳びはね、空に水の橋を描く。


「お姉様ーっ! お待たせしましたーっ!」


 キラキラと陽の光に照らされたアメリナが、馬車の中から駆け寄ってくる。爽やかに手を振り、眩しい笑顔も絶やさずに。

 完全にアイドルの撮影現場ね。


「それで、どうして私達はこんな格好なのかしら」


「どうしても何も、ここは湖ですよ? なら、やっぱり泳がなきゃ!」


「……魔法は?」


 そう。今の私達の服装は水着。流されるままに私も着てしまったけれど。

 まぁ、いいわ。周囲に人が居る訳でもないし。


「うわ、何あの二人。姉妹揃ってナイスバディとか、今すぐ溺れてしまえばいいのに」


「……お前、よくクビにならないよな」


 そんな私達のやり取りを、遠くからリヒトとメアは見守っていた。日傘を立て、ガーデンテーブルを組み立てながら、大層恨めしそうな顔で。


 そうよね。私達のお世話ばかりで二人も疲れているのに。こんなところにまで付き合わされた挙げ句、当の私達は遊んでいるだなんて。リヒトとメアにも休暇を与えないと。


「そうだ! このおやつのクッキーにバターを塗りたくって……」


「わっ! 馬鹿、やめろ! 俺まで怒られんだろ!」


 まずいわ。何だかリヒトが怒り出してる。あぁ、胸が痛むわ。暑い中、ろくに休まずに働いているんだもの。苛立つのも無理はないわ。


「は、離せーっ! あのお色気姉妹を肥え太らせてやるんだから! これもだ! えいっ!」


「あーっ! 洋菓子マリトッツォがクリームまみれになったじゃねえか! こんなもん食わせられるか!」


 どうしよう。何を言っているのかまでは聞き取れないけど、何だか発狂したメアをリヒトが羽交い締めにしているわ。

 と、とりあえず水遊びはこれくらいにしておかないと。


「アメリナ、そろそろ遊びは終わりにして、魔法の訓練をしましょう」


「へっ? あっ、はい!」


 魚と戯れるアメリナを呼びつけ、直ちに練習へと移る事に。

 幸いにもここは水が豊富にある。土も緑だってある。暑い陽射しが照り付け、程よい風も吹く。完璧な条件だわ。


「良い? まずは魔法とは何かを知る事から始めましょう」


「お願いします、お姉様!」


 そして私は、実際に自然を操って見せ、魔法という現象を呼び出した。

 魔法とは大きく分類して四属性となる。水、火、風、土、誰しもがそれぞれに得意な分野があるのだけど……。


「やあっ! はあっ!」


 発声音だけは一人前なアメリナ。でも、そのほとんどがろくに魔法を呼び出せてはいなかった。

 中等部の頃でも簡易的なものは習っているはずなのに。才能が無いって事なのかしら。


「あれれ、やっぱり駄目みたいです」


「そんな事はないわ。まだ要領を得ていないだけなんだから、練習すればきっと上手くなるはずよ。それまでは付き合ってあげるから」


「本当ですか! やった!」


 てっきり落ち込んでいるかと思っていたけど、大丈夫そうで安心したわ。

 それにしても、アメリナの魔力適正検査はどんな結果が出ているのかしら。とてもじゃないけど、本人には恐くて聞けないわね。


「そうだ! お姉様、久し振りにあれ・・を見せてください! あの大きな鳥です!」


「別に良いけど、見せたら少し休むわよ」


「はい!」


 期待の眼差しを浴びる中、手のひらに炎を生み出した。これは私にとっては造作もない魔法。だって、後は姿を思い浮かべて念じるだけだから。鳥になれ、と。


「わあーっ! 綺麗ですね!」


 描き出したのは炎と氷の鳥。寝起きのように翼を広げて伸びをし、甘えたそうに頭を寄せてくる。そっと人差し指で頭を撫でてあげると、気持ち良さそうに瞼を閉じていた。

 私の魔力をあげている間だけ生きられる儚い命。例え再び産み出せても、その子はまた別の命なのかもしれない。そう思うと、何だか悲しくなってしまう。


「ねっ、お姉様、私も触ってみて良いですか?」


「別に構わないけど、少し熱く感じてしまうから、軽く触れるだけにしなさい」


 本来なら他人が呼び出した魔法は危険なもの。でも、魔力の波長が近しい親族は例外。五感に少し影響するだけで、大した危険性はない。

 現に小さい頃はアメリナと一緒にこの鳥の魔法と遊んでいたし。


「わあーっ! この子、やっぱり可愛いですね!」


 そう言いながら背中を撫で、もう片方の手で嘴に触れようとしたアメリナ。


「痛っ」


 突然翼をばたつかせた鳥の魔法が、アメリナの指を噛んでしまった。『キュー、キュー』と鳴き、威嚇しだす。


「アメリナ、大丈夫!?」


 すぐに魔法を掻き消し、血が滲むアメリナの手を掴む。

 ……良かった。大した怪我ではなさそう。


「えへへ、嘴は嫌みたいでしたね。悪い事しちゃいました」


 少し気まずそうに笑うアメリナ。本当に悪いのは私なのに。魔法演習の時もそう。私の油断と驕りが招いた事だ。


 ━ヴェロニカ本邸・館内━


「今日は楽しかったです! おやすみなさい!」


「ええ、おやすみ」


 その夜、何事も無かったように元気なアメリナと別れ、寝室へと戻った私。カウチソファに腰掛け、机に置かれた魔法書を見つめる。


 今日の出来事は本当に大した事が無かった。リヒトもメアも、当人のアメリナでさえも気にしてはいない。

 それでも私は、恐かった。

 魔法演習での魔法の暴走。もしあれが私の魔法だとしたなら、私の意思とは無関係に暴走した事になる。だとすれば、一度ならず二度も私の魔法が人を傷付けたんだ。


「エヴリンの言う事も、あながち間違っていないわね」


 皆が私とは離れた場所にいる。ほんの少しだけど、安心できるわ。私の身に何かが起きても、迷惑をかけないですむもの。

 それでも、恐い事には変わりない。


 何度も繰り返した中で、今後何が起こるのかは予想できていた。でも、今回は違う。今まで起きなかった事象が多すぎる。

 もしも私の力が暴走したら。もしも沢山の不幸を生み出す切っ掛けになったら。

 万が一そうなってしまえば、今までのような処刑では済まないだろう。一思いに死ぬのではなく、数え切れない憎しみを全身に浴びながら、一つずつ身体に罪を刻まれていく。


 そんな恐怖が脳裏を駆け巡り、ぎゅっと胸を押さえ、踞る私。悪い想像を押さえ付けるようにして、この日は眠れぬ夜を過ごす。

 明日には忘れられる。そう願って。

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