十七話 ただいま、過去の私

「アメリナ、アンスリア、支度はできましたか?」


「はい、お母様!」

「はい」


 馬車の傍で待つシャルロット夫人に呼ばれた私とアメリナ。

 今日から一ヶ月、レオニード公爵が統治するヴェロニカ領へ帰省する事になっていた。勿論拒否権は無く、私も同行する羽目に。


「さあ、アメリナ、お前もこっちに乗りなさい」


 優しい笑顔のレオニード公爵が、アメリナへ手を差し出す。


「いいえ、お父様、私はアンスリアお姉様と一緒に乗ります!」


 なんて幸先の悪い旅路。比喩ではあるけれど、早速空に暗雲が立ち込めているじゃない。それにどんよりとしたこの空気、酸欠になりそうだわ。


「……仕方がない。アンスリア、しっかりアメリナを見張っておくんだぞ」


「はい、畏まりました」


「もう! 二人共、子供扱いしないでよ!」


 ━王都西方・ヴェロニカ領━


 ガタガタ、ガタガタ。


「見て見て、お姉様! ルベール湖よ! 懐かしいなあーっ!」


「ええ、そうね」


 馬車の中、私はアメリナと二人きりになっていた。御者席にはリヒトとメアがいるけれど、何とも落ち着かない空間。


 このレムリア王国は封建制の国。それはこの異世界では決して珍しくはない。各地の諸侯が土地を与えられ、独自の政治と発展を主導する。当然、我がヴェロニカ家も例外ではない。

 代々受け継がれたこの土地は、緑の自然に恵まれた豊穣な土地だった。農業も盛んで領民達の生活も潤い、笑顔が絶えない。でも、何よりも発展させた理由は、魔法具を生産しているヴェロニカ家の恩恵があるから。


「ねえ、お姉様」


 すっと私の隣に腰掛け、俯くアメリナ。普段の明るさが嘘のように消え失せる。


「どうしたの? 言ってみなさい」


「実は夜会にジュリアン様を招待したの、私なんです」


 なんだ、そんな事か。言われなくても、おおよそ見当はついていたけれど。


「最近、お二人の仲が宜しくないように見えて、それで……」


 それでオーウェン様にも頼んで、私を夜会に参加させた。

 まぁ、アメリナの思惑なんて、恐らくオーウェン様は知らなかったのでしょう。彼が夜会に招待してくるのなんて日常茶飯事だし。


「お姉様が私の事をお好きではないのは知っています。私、迷惑ばかりかけてましたよね。何をやっても空回りで、私のせいでお父様にも叱られて。でも、本当にそんなつもりではなかったんです」


「アメリナ……」


「今まで、ごめんなさい」


 本当に予想外だった。アメリナがそんな風に思っていただなんて。

 確かに私はアメリナと距離を置いていた。でもそれは、自分の身を守る為だった。


「アメリナ、謝るのは私の方よ。私はずっと貴女を避けていたんだから」


「……やっぱり」


 膝の上で握り締めたアメリナの手に、透明な雫が落ちる。


「違うの、貴女は悪くないわ。私が臆病だったせいよ」


「えっ?」


 顔を上げたアメリナは、潤んだ瞳で私を見つめた。

 正直に言えば、恨んだ事もあった。憎んだ事も、疑った事も。でも嫌いになった事はただの一度もない。だって……。


「だって、アメリナはこんなに可愛くて良い子なのよ。嫌いになる訳ないじゃない。明るくて、素直で。ちょっとお馬鹿なところもあるけれど。それも全部含めて、私の大切な妹なのよ」


「もう、お姉様ったら。酷いです」


 そう言いながら、私の肩に寄りかかるアメリナ。そこからはずっと、二人で故郷の景色を眺めていた。

 もうアメリナから逃げるのはやめよう。

 例え断罪の日が訪れても、最後までこの子の姉でいよう。


 ━ヴェロニカ領・城内━


「アンスリアお嬢様、アメリナお嬢様、到着致しましたよ」


 馬車の扉を開き、リヒトがそう知らせる。

 そこはヴェロニカ公爵家の誇る本邸、レーゲンブルク城だった。何代にも渡る祖先達が財を成し、その権力を誇示する為に建てられた建造物。

 巨大な城壁が敷地を取り囲み、至るところに水路が走る。その中心に聳えるのは、五階建てにも及ぶ屋敷。天にも昇る監視主塔ベルクフリート


 私が幼少の頃に暮らしていた景色のままだ。年月で言えば、ほんの五年前。でも今の私からしてみれば、一六年分もの遠い過去の記憶になる。

 両親から確かに与えられていた愛情の思い出欠片が、辺り一面に散らばり、両親から打ち捨てられた悲壮の過去わたしが、幻覚として城を彷徨う。


「……お姉様?」


「……何? どうかした?」


「あの、それ……」


 アメリナが指差したのは、私の頬だった。瞳から頬を伝り、流れ落ちていく涙。

 なぜ涙してしまったのか、自分でもわからない。


「ごめんなさい、気にしなくて良いわ。少し感極まってしまっただけよ」


「そうなんですか? なら、良いんですけど……」


 この子に心配をかけてしまうだなんて、姉失格だわ。だってアメリナは笑顔が似合うんですもの。


「お帰りなさいませ」

「家臣一同、心よりお待ち申し上げておりました」


 そう言って私達を出迎えてくれたのは、上級執事のアイザックと家政婦長のエヴリン。

 その後ろには何十人もの使用人と衛兵が並び、瞳を輝かせている。


「お前達、荷物を運びなさい」


 エヴリンの一声でメイド達が動き出し、手際よく馬車から荷を下ろす。


「エヴリン、長旅で肩が凝ってしまったわ。少し休息を取りたいから、ハーブティーを庭園まで寄越して」


「畏まりました、奥様」


 扇で風を浴びながら、シャルロット婦人が庭へと向かって行った。


「アメリナ、貴女もいらっしゃい」


「はい!」


 アメリナもまた、楽しそうに駆け出していく。

 いつの間にかレオニード公爵もアイザックに付き添われ、屋敷へと消えていた。

 忙しなく私の隣を往復する使用人達は、まるでスクランブル交差点を渡る現代人のよう。その中心で佇む私は、世界から取り残された亡霊。


「アンスリアお嬢様、もし宜しければ、貴女様の自室を拝見させて頂けますか?」


 そこには、心配そうに私を見つめるリヒトとメアの姿があった。本来ならリヒトは私の傍に居てはならないのに。いいえ、彼ならそんな当たり前な事なんて承知の上で言っているのね。


「ええ、ここに来るのは初めてだものね。ついでに案内してあげるわ」


「お心遣い、恐悦至極にございます」


「あっ! じゃあ私もー!私の方がお嬢様よりお屋敷の事知ってるし!」


 深々と頭を下げるリヒトとは真逆に、大手を振るメア。


「ふふふ、それじゃあメアも一緒にね」


 そんな対象的な二人を見ていると、つい面白可笑しくなってしまうわ。


「うわ、お嬢様の笑った顔、久し振りに見たわ」


「おぉ、すげえかわい……。流石はアンスリアお嬢様、とても素敵な笑顔にございます」


 ……なんか馬鹿にされてる?


 ━ヴェロニカ本邸・自室━


「ここが私の私室よ。さあ、入って」


 久々に訪れた屋敷内を見て回った私達は、五階の一番角の部屋に到着していた。それは私の寝室。他の家族は皆、二階に寝室を置き、隣り合っている。

 何故私の部屋だけが遠く掛け離れているのか。それは家政婦長エヴリンの提案だった。歴代のヴェロニカ家の中でも、随一の魔力を持つ私。その異質な力がいつ暴発してもおかしくはない、というエヴリンの苦言により、独り居住区から離された。何の証拠も、根拠も無いのに。


「……ごめんなさい。すぐに片付けるわ」


 扉を開き、自室を一番に垣間見た私は、自然とそう口に出してしまった。


 わかってはいた。こんな事は予想していたんだ。私の知っている部屋は、もうそこには無いという事を。

 蜘蛛の巣が大きく張り巡らされ、色鮮やかな家具は埃で色彩を失い、衣服が床一面に散らばるこの部屋。壁紙が剥がれて、ベッドの天蓋も落ちていて。

 私が王都に出て以降、一度もこの部屋を清掃に来た者はいないんだ。ただの一度も。


 カーテンレールを走らせ、大きな両開き窓を開ける私。吹き抜ける風が、部屋の陰気を取り除いていく。

 落ち込んでいても仕方がない。暫くはここで生活するんですもの。


「よーし、メア! どっちが部屋を綺麗に掃除できるか勝負しようぜ!」


「はっはっは! 新人執事の癖に生意気ね! 私はこの道一二年のベテランメイド! お嬢様のお世話を仰せつかって一五年のプロフェッショナルよ!」


「いやいや、計算おかしいだろ」


 途端に張り合うリヒトとメア。袖を捲り、雑巾片手に部屋中を駆け回る。顔中埃まみれになって、汗も沢山流して。頭に蜘蛛の巣なんか付けちゃって。


「クスクス……あはははは! 二人共、後でしっかり身体を洗いなさい」


「はーい!」

「御意!」


 誰も立ち寄らない最上階のこの部屋も。照明が灯る事はない薄暗いあの廊下も。今ではこんなに明るい場所に変わった。それはリヒトとメアが居てくれるから。

 今までの転生では、決して私の傍に存在しなかった二人。もし次の転生で、また二人が消えてしまったなら。

 私は、今度こそ堪えられないと思う。この温もりを知ってしまったから。


 嫌だな。死にたく……ないな。

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