第六章……雪狼は小栗鼠に恋をする

第33話 小栗鼠、狼と出逢う


 早朝、人の少ないマルリダの町は静かだ。市場のほうに向かえば準備で忙しなく動きまわっている人の姿が見える。慌ただしい市場を通り過ぎて町の門へとルールエは身体ほどのリスの尻尾を揺らし鼻歌混じりに歩いていた。目の前を黒い魔犬――チャーチグリムが匂いを嗅ぎながら進んでいる。


 ルールエは一人、町を歩いていた。いつもの日課であるチャーチグリムの散歩をしているのだ。いくら魔犬とはいえ、散歩は大事なことなので毎日欠かさずやっている。クラウスからは絶対に一人で町からでないことと注意されているのを忘れてはいない。


 子供じゃないのでそこまで心配しなくてもいいのだがとルールエは思ったけれど、自分が戦いに慣れていないのを知っているうえでのことなので文句は言えない。パーティに入れてくれただけでも有難いのだから。


 町の出入り口まで行ったら戻るのがルーティンだ。今日もいつものように門前の付近まで来たのだが、何やら揉めている声がする。なんだろうかと見れば、数人の男女が言い争いをしているではないか。



「お前はいつもそうだな、ちょっと戦えるからっていい気になりやがって」


「オレは当然のことを言っているだけだが? お前たちの戦いをカバーしている身にもなってほしい」


「はぁ? おれらが弱いってか?」

「強くはない」



 主に揉めているのは襟足の長い白銀の髪の男だ。長身で美丈夫な男は冷めた眼差しで目の前で怒鳴っている男たちを見つめている。



「この、ベスティアのくせに!」

「ベスティアだろうと能力の差は変わらんが?」



 そう、白銀の髪の男の耳には犬耳が着いていた。少し長めのこれまた美しい毛並みの尻尾も着いている。狼の獣人だろう彼は黒いコートに軽鎧を身につけていた。銀狼の男は男たちを見下ろしながら溜息をつく。



「ふっざけ……」

「もうやめなって……」

「そうよ、喧嘩しても……」

「うるせぇ! お前ら女子はこいつがちょっと格好いいからって優しくしてんじゃねぇよ!」



 リーダーだろう男は女性陣にまで怒鳴り始める。そんな様子にルールエはうわぁと小さく声を零す、ここまで険悪なパーティがあるのかと。


 こっそりと眺めているとリーダーだろう男が「もういい!」と言って銀狼の男を指さした。



「お前、もうパーティから抜けろ!」

「別に構わないが」

「ちょっと、今抜けたら困るって!」



 怒っていたもう一人の男もそれは流石にとリーダーを止める。今、彼に抜けられたら戦力が減るのを危惧しているようだ。それでもリーダーは「うるせぇ!」と叫ぶ。



「こんなやついなくともいいんだよ!」

「あ、ちょっと!」



 リーダーはそう吐き捨てると歩いていってしまう。それを男は慌てて追いかけるが彼は歩くのを止めなかった。リーダーの様子に女性陣は申し訳なさげに銀狼の男を見る。



「その、ごめんなさいね?」

「わたしたちも説得はしてみるから……」



 ごめんなさいと言って女性陣はリーダーを追いかけていった。残された銀狼の男はやれやれといったふうに首を振って左手を擦った。


(あれ、あのお兄ちゃん)


 銀狼の男の様子に気づいたルールエはとことこと近づく。男の前までいくと「あのさ」と見上げながら声をかけた。


 ルールエに気づいた銀狼の男はなんだと言いたげに彼女を見下ろした。狼特有の青い瞳にひえっと小動物の性なのか小さく悲鳴を上げてしまう。それでも、引くことはせずにルールエは見つめながら「怪我してるでしょ」と言った。



「左手、怪我してるでしょお兄ちゃん」

「……何のことだ」

「さっきから気にしてるじゃん。怪我してるなら手当てしなきゃだめだよ」



 ルールエは腰に付けたポシェットから薬と包帯を取り出した。ほらほらと銀狼の男の左手を優しく掴む。これ持っててと包帯を男に渡してコートの袖を押し上げる。


 籠手で守られている箇所は無事だったが、二の腕に切り傷が一つ。深くはないけれど手当てをしない理由にはならないのでルールエは薬を塗っていく。


 銀狼から包帯を受け取ってささっと巻いてきっちりと結んでやれば手当は完了だ。はい終わりとルールエは手を離して包帯と薬をポシェットに仕舞う。



「お兄ちゃんも大変だろうけど傷の手当てはちゃんとしなよー」

「これぐらいどうということは……」

「だめだだめ! そういうのがよくないんだぞ!」



 化膿したりしたらどうするのだとルールエは注意する。銀狼はそこまで心配することかと言いたげな瞳を向けていたが、ダメだよともう一度、言われてわかったと頷いた。



「そうそれでいいんだよ」

「礼は言わないぞ」

「別にいいよー。あたしが勝手にしたことだからねー」



 にこっと明るい笑みを見せてルールエは言った。



「じゃあね、お兄ちゃん。早いところパーティの人たちと仲直りするんだよー」



 じゃっとルールエは手を振ってチャーチグリムを連れて走っていく。何でもないように行ってしまった彼女を銀狼は見送った――彼女の笑みに見惚れながら。


          ***


「ルールエちゃん、何してるんですか?」



 ブリュンヒルトはルールエの背後から覗き込むようにして問う。彼女は何やら縫物をしているようだった。



「新しいぬいぐるみ作ってるんだよー。クラウスお兄ちゃんから毛皮もらったから」


「あ、この前の魔犬のですか?」

「そうそう。ただの布でもいいんだけど、魔物の毛皮とかで作ると強度が上がるんだよねー」



 ドールマスターの操る人形の素材は布でも木材でもいい。けれど、魔物の素材というのは材質が他のものと違って頑丈だ。頑丈であればそれだけ長持ちするので消費が少なくて済む。人形もただでは手に入らないのでできれば無駄にはしたくない。



「布だとすぐに壊れちゃうからさー。魔犬退治の時に結構減っちゃって……」

「あーなるほど」


「ぬいぐるみ作るにも材料費がかさむからなるべくなら頑丈にしときたいって言ったら、毛皮の端切れならあるぞってクラウスお兄ちゃんがくれたんだー」



 魔犬ガルムの毛皮は売ってしまったのだが、売れない端切れが出たのだという。持っていてもどうしようもないので捨てようとしていたところだから使うならいいぞとくれたのだった。


 これぐらいの端切れならぬいぐるみ一個は作れるとルールエは楽しそうに毛皮を縫っていた。



「この中に魔法石を入れるんですか?」

「そうだよー。魔石は媒体になればいいから純度は関係ないんだー。あたしはお金かけれないから屑石を使ってるよ」



 純度が低く、アクセサリーにもマジックアイテムにも使えない屑の魔法石を使っているのだとルールエは説明する。屑石は簡単に手に入るので苦労しないのだと。


 なるほどとブリュンヒルトはルールエの隣に座る。ぬいぐるみ制作はあと綿と魔法石を入れて縫い閉じるだけとなっていた。慣れた手つきで綿と魔法石を入れて縫い合わせていく。完成したぬいぐるみは狼の姿をしていた。



「可愛いですね!」

「でっしょー! これなら暫くは持つはず! 毛皮が思った以上に頑丈だったから!」



 少しは役に立てるとにこにこしているルールエにブリュンヒルトは余程、パーティに入れたのが嬉しいんだなと微笑ましく見つめる。



「ヒルデ、ルールエ」

「あ、クラウスさん」

「お兄ちゃんどうしたの?」

「次の依頼だ」



 クラウスは依頼書をひらひらとさせる。依頼と聞いてルールエは目を輝かせながら立ち上がった。彼女からすれば、パーティ初の依頼になるのだからそういった反応になるのも無理はない。なになにと興味津々にしている姿にクラウスは小さく笑うと「害獣駆除だ」と話す。


 ウォーターリーパーの駆除が今回の依頼内容だった。沼に潜み、白く犬ほどの大きさで蛙の胴体に魚の尾に羽根をもつ下級の魔物で、力はそれほどないが人獣を襲う。


 戦えるものならば遅れを取ることはないだろうが、ただの人間や獣はそうではないので見かけたら駆除の対象となっている。どうやら近くの集落で数を増やしたウォーターリーパーがいるらしい。



「その駆除依頼が出ている。ランクの低いヒルデとルールエでも参加できるものだから大丈夫だ」


「被害が出ているなら早いうちに対処したほうがいいですよね」

「急ごう、急ごう!」



 ルールエは急いで裁縫道具を片付けて椅子に置いていたリュックに仕舞った。彼女のリュックにはぬいぐるみが詰まっている。よっこいしょとリュックを背負ってやる気満々な様子にクラウスは「やる気があるのはいいが無茶はするなよ」と注意しておいた。



「無茶しないもん!」

「それならいいが。外でフィリベルトとアロイを待たせている、行こう」

「はい」



 クラウスはそう声をかけて二人を連れてギルドを出る。わくわくとしているルールエの横目に大丈夫だろうかと少しばかり心配になるも、そうなる気持ちが分からなくもないので黙っておいた。



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