第30話 獣人少女は冒険者



 鬱蒼と生い茂る木々によって日差しが遮られる。葉から零れる光を頼りに薄暗い山を歩きながら周囲を見渡す。青々と茂っている草木によって視界はあまりよくはない。魔犬が通りそうな獣道は足場が悪く歩きにくかった。


 獣が通り踏みしめらた道を歩きながら耳を澄ます。鳥の鳴き声が遠くから聞こえるが、今のところは変わった音はしない。



「いませんねぇ」

「獣道らしい、獣道は此処しかなかったけどなー」



 アロイはしゃがみ込んで獣が通っただろう後を確認しながら呟く。獣の足跡がいくつか残っている中に、ひと際大きなものがあった。


 牛の蹄ほどの大きさの足跡に此処を通ったのは間違いないはずだ。アロイは指をさして「これ間違いないと思うんだよなぁ」と呟く。確かに他の獣よりも大きい足跡なので魔犬の可能性がないとは限らない。


 昼間ということもあって息を潜めているのかもしれない。クラウスはもう一度、耳を澄ましてみた。


 しんとする空気が僅かに震える、吠える何かの声が耳に入った。



「あっちから声がする」



 クラウスは獣道の先を指差してすっと足を速めた。それは音もなく、気配もないものだからアロイは一瞬、気づかなかったけれどすぐに立ち上がった。



「偵察はクラウスの兄さん得意なのは分かるけど、オレらを置いてくなー」



 そう声をかければクラウスは「すまない」と謝るも、速度は落ちないので言っても無駄のようだ。これは駄目だなと三人は顔を見合わせてから彼の後を追いかけた。


          ***


 とことことぬいぐるみが歩く。ウサギ、犬、猫。可愛らしい小型のぬいぐるみが小さな斧やナイフを構えながら二足歩行している。


 ふわりふわりとそれらが浮いたかと思うと一直線に飛んでいった。狙うは目の前の魔物、牛ほどの大きさの狼———魔犬。


 ぬいぐるみたちが攻撃をしかけると、魔犬は小さく呻りながら抵抗した。皮膚を切られ血を流しながらもぬいぐるみを食いちぎっていく。



「くっそう、ぬいぐるみが何体か駄目になった!」



 少女は小さく舌打ちをして腰にかけていた大きなバックからぬいぐるみを取り出すと投げた。それはぽんっと息を吹き返したように跳ねると魔犬へと飛んでいく。


 自分の身体よりも大きいリスの尻尾を膨らませながら少女は魔犬を睨む。物陰に隠れながらぬいぐるみを操作する手は慎重だ。



「ガゥアァァアァァッ!」



 魔犬が一鳴き上げるとぶんっと身体を振ってぬいぐるみを弾き飛ばした。あっと少女が小さく声を上げると魔犬は一直線に飛び駆けてくる。



「うわっと!」



 少女が慌てて茂みから転がり出ると魔犬は牙をむく瞬間、黒い犬が現れて魔犬の首根に噛みついた。その衝撃に魔犬は鳴いて下がり、噛みつく犬を振り払おうとする。



「グリム、そのまま嚙みちぎれ!」



 少女の指示に従うように黒い犬は力を籠める。ぎゃんっと魔犬は鳴くと思いっきり身体を振るわせ、その勢いで黒い犬を吹き飛ばす。


 黒い犬は宙で身体を反転させて着地すると牙を魔犬に向ける。魔犬はじろりと赤い瞳で少女を睨んで駆けだした。


 少女がぬいぐるみを動かし、魔犬の動きを止めよとする――



「ギャオンっ!」



 魔犬の首根に短刀が突き刺さった。音もなくやってきた驚きと痛みに魔犬は鳴きながら動きを止める。



「クラウス!」



 その声に魔犬の首に刺した短刀に力を籠めようとすると思いっきり振り落とされた。抜かれた短刀が落ちるが、素早くそれをクラウスは回収する。


 どろどろと血液が地面に流れ落ちる、魔犬はそれでも立っていた。怒りを表すようにクラウスを睨むとばっと茂みに飛び込んで駆けていく。



「逃がしたか……」



 狙いは良かったはずだったがとクラウスが短刀を納めて振り返ると、息を切らしているブリュンヒルトは目に留まった。ぜえぜえと肩で息をしている姿にかなり走ったのだなと気づく。



「すまない、早かったか」

「だ、大丈夫、です……」

「おい、そこの嬢ちゃん大丈夫かー」



 アロイは少女に声をかけると彼女はむーっと頬を膨らませていた。そうだったとクラウスも顔を向ければ、「逃がしたー!」と怒られる。



「やっと追いつめたのにー!」

「追いつめたとうよりは追いつめられていたのではないのか?」

「おじさん、違うもん! あたしが追いつめてたの!」



 ぶーっと口を尖らせながら少女は言う。周囲を浮くぬいぐるみたちも抗議するように動いていた。そんなぬいぐるみを見てブリュンヒルトが目を丸くさせる。



「え、ぬいぐるみが動いてる!」

「お嬢ちゃん、もしかして人形技師 《ドールマスター》?」

「そうよ! こう見えても腕は良いだから!」



 アロイの問いに胸を張る少女にブリュンヒルトが首を傾げる。どうやら人形技師—―ドールマスターを知らないらしく、フィリベルトが「魔術の一種だよ」と教えてくれた。


 人形に媒体となる魔法石などを入れて魔力を使って操ることができる術者のことを人形技師——ドールマスターと呼ぶ。基本的にはサポートぐらいしかできないのだが、術者の技量によっては戦闘という高度な操作もできる。


 この少女は戦っていたので並みのドールマスターよりは上のようだ。だから胸を張っているのだろうとクラウスは納得したが、それよりも気になることがあった。



「すまないが、その犬は魔犬・チャーチグリムじゃないか?」

「そうよ、お兄ちゃん知ってるのね」



 少女は隣に座る黒い犬の頭を撫でた。チャーチグリム、それは魔犬の一種だ。墓守犬とも呼ばれ、教会や墓地を守っているとされている。一般的なチャーチグリムは墓を荒らす者や教会を守るのだが、少女の傍に居るこの魔犬は少し違っていた。


 教会や墓地から離れることはないはずのチャーチグリムが自由に動き、少女の命令を忠実に聞いているのだ。クラウスがその疑問を口にすれば、少女は「グリムはあたしに懐いているの」と答えた。



「グリムはあたしが拾った犬よ。村に小さな教会を建てる時に柱になっちゃったけど……」



 チャーチグリムの生まれ方、それは教会を建設する際に生贄として捧げられること。贄として捧げれられた動物が墓地を教会を守る存在として蘇る、それがチャーチグリムだ。


 本来、教会や墓地を守るはずだが、少女に拾われて主と認めていた犬がチャーチグリムになったことで彼女の命令をきいていたようだ。こんなこともあるのかとクラウスが驚いていれば、フィリベルトに「チャーチグリムがいようと一人では危険だ」と注意する。



「一人であの魔犬と戦おうなど危険すぎる」

「何よ! あたしだって冒険者だもん!」

「冒険者であっても危険な行為だ」



 小型の魔物ならばまだしも、大型の魔物を一人で無策に狩ろうとするなど何かあったらどう対処するつもりなのか。命の危険もそうだが、不意の事故で身動きが取れなくなることもあるのだから一人で深追いするのは危険な行為だ。


 フィリベルトに叱られて少女はむっとしながらも、言っていることが正しいのを理解しているからなのか反論はしない。それでも魔犬と戦うのを止める気はみせなかったので、どうしたものかとフィリベルトはクラウスを見遣る。



「此処は俺たちに任せてほしいのだが……」

「いーや! あたしだって戦えるもん!」

「戦えるだけではいけないことだってあるんだぞ」


「お兄ちゃんもおじさんもそう言うの! 村の人もじいじもそう、どうしてそう言ってあたしを認めてくれないの!」



 少女は「みんなそうよ!」と声を上げる。もう大人だというのに子供扱いされて、ドールマスターとして才能があっても、「お前には無理だ」と言われる。誰も自分のことを認めてはくれないじゃないかと。


 少女の叫びにクラウスはどう声をかけたらいいのか分からなかった。彼女が言いたいことも分からなくはないのだが、まだ魔物の危険性というのを理解しているようには見えない。そんな状態で勝手に動き回らせるわけにはいかなかった。


 フィリベルトもクラウスと同じ考えなのかどうしたものかと視線で訴えてくる。どうするか、クラウスが思案しているとブリュンヒルトが「一緒に行きましょう」と言った。



「一人は危険です。でも、私たちと一緒なら大丈夫ですよ」

「おいおい、ヒルデの嬢ちゃんマジで言ってる?」

「だって、放っておけないじゃないですか」



 ブリュンヒルトは「それにこの子の気持ち、分かるんです」と呟く。才能があっても周囲から認められない。それは聖女であるのに認めてもらえない自分のようで。


 そう言われては事情を知っているアロイは何も言えず、クラウスを見遣る。ブリュンヒルトにも上目遣いで見つめられてしまい、クラウスは額を押さえた。こういう頼まれ方は苦手だと改めて思う、弱いと。



「着いてくるにしても守ってもらう条件がある」

「条件?」


「まず、勝手な行動をしない、前に飛び出さない。このパーティの指示は俺とフィリベルトが行っている。その指示に従ってもらう」



 いくら戦える力があろうと無策に動かれてはこちらの陣形を崩しかねない。それで足を引っ張るどころか危険な状態にされては迷惑をかけるどころの話ではなくなる。


 命を預かっていることへの責任を持つこと、それは大事なことだ。自分の動き一つで誰かの命を脅かすことになるのだから。


 クラウスに言われて少女は命と小さく呟いた。



「お前一人の勝手な行動で誰かが死ぬかもしれない。だから、指示には従ってもらわなければならない。できるか?」



 クラウスの言葉は冷たく重い。少女は暫く黙っていたがきりっと強い眼差しを向けて「わかった」と頷いた。


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