第16話 彼は約束を守る優しい人だ


 町を出て東のほうへ進めばコリアナの花が群生している森へと辿り着く。木々の垣根を分けて、茂る草花を踏みしめながらクラウスたちは奥へと進んだ。


 野兎が跳ねてちちちと小鳥の鳴き声が響く。気配を消し、足音を最小に、息遣いを感じさせずクラウスは二刀の短刀を手に獲物を探すように目を凝らす。


 その様子をブリュンヒルトは観察していた。暗殺の技術を父親から仕込まれたと彼は言っていた。歩けば足音は無く、気配も消しているので少し目を離せば居なくなってしまったように感じる。息遣いが聞こえないせいか、生きているのだろうかと少し不安になった。


 足音が無いのはもう癖のようなもので今更直すことはできないし、しないらしい。町などでは気配を消すのを極力避けているけれど、無意識にやってしまうこともあると話していた。息遣いに関してはもう直らないときっぱり言い切っている。


 動いているのだから生きているというのは分かるのだが、ちゃんと呼吸できているのだろうかと思ってしまう。


 ブリュンヒルトも真似てみるのだがどうしても足音がたってしまう。気配の消し方は分からないが、息遣いもやってみたが息苦しいだけだった。



「どうした」

「え、えと……クラウスさんの歩き方とか凄いなぁと」

「これは幼少期から叩き込まれたからな」



 クラウスに「一日、二日でできるものではない。」と言われて、「ですよね」とブリュンヒルトは頷く。そう簡単にできるものではないのだ。



「私と一緒だと見つかりやすくなりませんか?」

「まぁ、多少は」



 クラウスは素直に答えた。嘘が嫌いだからか、あるいは誤魔化すことでもないことだからなのかはっきりと言う。



「お前が気づかれたとて、俺が気づかれていなければ対処できる」

「囮だ……」

「……お前をそうするつもりはないが、なってしまうかもしれないな」

「あの、気になっていたんですけど」



 ブリュンヒルトの言葉にクラウスは「気になること?」と不思議そうに見つめる。そんな様子に「あのですね!」と彼女は声を少し上げた。



「名前で呼んでくれませんか!」



 名前、そうクラウスはあまり人の名を呼んでいなかった。一緒にマルリダの町まで来たが、その間に呼ばれた回数というのは少ない。


 せっかくパーティを組んでいるのだから、いやついてきたのは自身なのだが名前で呼んでほしいとブリュンヒルトは言う。


 クラウスはあぁ、名前かと小さく呟く。



「意識して呼んでいないわけではない。……誰かを識別する時に呼んでいたが、そうか。失礼だった。すまない、ブリュンヒルト」


「謝らなくても……。あ! ヒルデでいいですよ!」



 ブリュンヒルトに「ブリュンヒルトって長いじゃないですか」とそう言われ、クラウスは「お前がいいのならば」と頷いた。


 話す二人の間を風が吹き抜けて、ぴたりとクラウスが足を止めた。耳を澄まして、臭いを嗅ぐように鼻から息を吸う。



「こっちだ」



 クラウスは静かにそう言って歩き出す。ブリュンヒルトは同じく声を小さく返事をして、真似るようにゆっくりと着いていった。


 まず、目に飛び込んできたのは真っ白な花弁だった。一面を覆う白い花が咲き誇っている。百合の花ように大きな花弁で、けれど円を描くように咲いてるそれはコリアナの花だ。


 甘い、鼻を突く強い匂いがしてそれは花畑に入れば嫌でもきつくなった。クラウスは眉をひそめているので、あまり好みではない匂いらしく片手で鼻を隠すように口元を覆っていた。


 確かに少しきつい甘さの匂いではあるがブリュンヒルトは嫌いではなかった。わっと声を上げて花を眺めるために屈む。



「コリアナの花がこんなに咲いているだなんて」

「ブリュンヒルトは此処で花を採取してくれ」

「ヒルデ!」

「……ヒルデ。此処にいれば獣類の魔物は来ない」



 むっとするブリュンヒルトにクラウスは名前を言い直してから言う。ボアーのような獣のような魔物はコリアナの強い匂いを嫌う、此処にいればそれらからは狙われることはないと。


 それを聞いてブリュンヒルトが「クラウスさんは?」と問えば、「俺はボアーを狩ってくる」と返された。



「少し先で鳴き声が聞こえた。そう離れてはいないのですぐに終わらせてくる」

「……ちゃんと、戻ってきてくれますか?」



 不安げ見つめるブリュンヒルトの真っ青な瞳が揺れていた。クラウスは少し困ったように首を掻き、そして彼女に優しげな眼を向けて頷いた。



「すぐに戻ってくる」

「分かりました。此処で待ってます」



 返事を聞いてクラウスは音もなく、気配を消して森の奥へと入っていった。その背をブリュンヒルトは見送ってコリアナの花に手をかける。


 確か、根元から折るのがいいと本で読んだことがある。思い出しながら掴んで茎を折ってみた。ぽきっと小さな音を立ててあっさりと採取できたので本で見たことは正しかったらしい。


 ブリュンヒルトはぽきぽきと茎を折りながら花を採取していく。時折、周囲を見渡して警戒しながら。


 両手で数えるほどの花を手にして、カバンから袋を取り出すとその中に入れた。これぐらいでいいだろうかと確認してもう少しと花を折る。


 そうやって採取してやることもなくなったブリュンヒルトは花畑の中で座ってぼんやりと空を見上げた。青い空に大きな白い雲がゆっくりと流れていく、鳥が飛んでいて気持ち良さそうだ。


(教主様は大丈夫だろうか)


 修行に出たことになっているのだろうか、自分は。

 教主様は何か言われていないだろうか。

 私は迷惑をかけていないだろうか。


 ブリュンヒルトは膝を抱えた。考えれば考えるほどに不安があふれ出したから。大丈夫だと言い聞かせるけれど心は震えている。


 こんなに自分は弱かったのか、ブリュンヒルトは弱さを知る。もっと強くなれないだろうかと思うけれど、そう簡単にはできないだろうなと理解していた。


 冒険者としてやっていけば、少しは強くなるだろうか。まだ成り立ての初心者もいいところではあるけれど。ブリュンヒルトは思案して首を振った、想像できなかったのだ。


 せめて、少しでも強くなれたらいいな、此処で一人待つのだけで不安に思わないぐらいに。ブリュンヒルトは抱えた膝に額を当てて瞼を閉じる。


 風の音がする、鳥の鳴く声がする、花の匂いがする。



「どうした」



 低いけれど、優しい声がした。ブリュンヒルトはゆっくりと目を開いて顔を上げる。


 鮮血で頬を彩ったクラウスが小首を傾げて立っていた。ぶわりと風が吹いて、彼の馬の尻尾のように結われた長い黒髪が靡く。



「クラウスさん、血! 頬に血が!」



 ブリュンヒルトは見惚れていた意識を戻して声を上げながらクラウスに駆け寄っていく。



「怪我はしていない」



 返り血だとクラウスは冷静に言う。


 怪我をしていないことに安堵はするものの、そのままでは見た人を驚かせるだけだ。ブリュンヒルトは肩掛けカバンからハンカチを取り出してクラウスの頬を拭った。



「これでよし!」

「……すまない」



 クラウスは頬を擦る。慣れていないのか、少しだけ目を開かせて。


 ブリュンヒルトが「早かったですね」とハンカチを仕舞いながら言うと、クラウスは「あぁ、言ったからな」と返した。



「すぐに終わらせると」



 ブリュンヒルトは数度、瞬きをして目じりを下げた。彼の優しさを感じて。



「私も、採取終わったんですよ!」



 ブリュンヒルトが袋の中を見せる。中身を確認して「牙も採取できたから戻ろうか」とクラウスは言って彼女の背を押した。



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