第14話 聖女と共に



 裏手から教会を出てブリュンヒルトはひたすらに走った。後ろも確認せずにただただ、走り続けた。


 都を抜けて森が見えてくる。鬱蒼と生い茂っている木々を見て、「此処まで逃げれば、大丈夫だ」と呼吸を整えながらブリュンヒルトは立ち止まった。


 はぁはぁと肩で息をしながらこの後の事を考える。自分はまともに外に出たことはない、今から旅人などになれる自信はなかった。


 持ち物だって肩掛けカバン一つとロッド、僅かな所持金だけ。こんな夜に一人で、もし魔物に遭遇したらどうするのだ。攻撃魔法など自分は不得意なのだから。


 ぼろぼろと涙が溢れてくる、考えれば考えるほどに自分にできることが何もなくて。外で生きる知識などもない、戦う術がない落ちこぼれと言われても文句は言えなかった。


 溢れる涙は顔を汚す、拭っても拭っても止まることを知らない。このまま放浪して自分はどうなるのだろうかと不安が、恐怖が、身体を震わせる。


 助けてくれと言えたらどんなに楽だろうか、そんな存在はいないというのに。嗚呼を零してブリュンヒルトが顔を覆ってしゃがみ込んだ。



「大丈夫か」



 ふと、声が降ってきた。ブリュンヒルトはゆっくりと顔を上げて振り返ると、月に照らされて風に靡く黒色の長い髪が目に映った。



「クラ、ウスさん……?」



 クラウスがそこにいた。じっと、ブリュンヒルトを見つめる紅い瞳が煌めいている。


 どうして此処にいるのだとブリュンヒルトは困惑した顔を向けていた。そんな様子に「独り言を聞かされた」とクラウスは話す。



 これは一人の男の独り言だ。彼はそう言ってクラウスを引き留めた。


 私は二人の聖女を見守る立場だ。どちらかが優位など決めることはしないし、そもそも神に失礼な行いだと思っている。


 だが、信徒たちは違う。どちらかが真の聖女であとはおまけなのだと。二人も聖女が選ばれるわけがないと囁き、毒を吐き、比較した。


 私は守らねばならない、神が二人を選んだのだからどちからかを見殺すことは許されないのだ。


 今日の夜にブリュンヒルトを森へと逃がそうと思っている。誰か、そう誰か彼女を攫ってくれないだろうか。救ってくれとは言わない、攫ってやってくれないだろうか。


 男は独り言を聞かせるだけして教会へと戻っていった。



 クラウスは面倒なものを聞かされたと思った。夜の森で都に戻ることは許されず、まともに戦うことができない少女がたった一人でいると知ることになったのだから。


 放っておくことだってできた。ただの独り言として、聞かなかったことにして何事もなく都を出ればよかった。



「できなかった」



 できなかった、自分に彼女にたいしての幾ばくかの良心が芽生えていた。信徒たちの扱いを見て、ブリュンヒルトの話を聞いてそれに――



「俺は嘘が嫌いだ」



 聞かなかったことにするなど、自分に嘘をつくことが何よりも嫌だった。



「私を、攫いにきたんですか?」

「いや……俺にお前を攫うことはできない」



 攫うなど、相手の気持ちも考えない行為はできない。それにそこまで自分は器用な人間ではないとクラウスは言う。


 じゃあ、何をしてくれるのだろうかとブリュンヒルトはクラウスの言葉を待った。



「俺にできることなど限られている」



 父に技術を叩き込まれ、誘われるがままに冒険者としてやってきただけだ。まともに生きるための術など自分は知らない。できることなど一つしかなかった。



「……一緒に来るか?」



 冒険者など危険が伴う世界しかクラウスには分からない。そこでどうやって生きていくのかぐらいならば教えられないことはない、自分もまだ端くれではあるけれど。


 守ってやれるほど強いわけでもないが一人でいるよりはいいだろう。クラウスが手を差し出すその様子は慣れていないようで。


 紅い瞳が真っ直ぐにブリュンヒルトを見つめていた。迷いも、嘘もない、揺れていない強い眼が。


 これは彼の優しさなのではないか、ブリュンヒルトは思った。選択を与えてくれて、危険であるということを教えてくれて、それでもいいのならと手を差し伸べてくれている。


 優しい人なのだなと思いながらブリュンヒルトはゆっくりと立ち上がってぐしぐしと瞼を擦った。



「お願いしますっ」



 涙でぐしゃぐしゃになっている顔で笑みを浮かべながらクラウスの手を取った。



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