村人が世界を救って何が悪い

@mayoneezu_r

序章 

プロローグ

 辺りはむせ返るような瘴気で満たされていた。それに加え、鼻の奥を焼くような悪臭が漂う。

 血まみれの兵士たちや魔獣の死体がそこら中に転がっていて、いくつかは燃えている。焼けるような臭いの原因は、死体が燃えている匂いだった。

 目の前に広がる世界を見て、真っ先に思い浮かぶ言葉は一つ――


 地獄だ。


 そんな中に、一人の青年がいた。俯き、黒い髪で目元は見えないが、顔立ちは整っている方だ。

 何故こんなことになったのか。それは、瞬きすら許されない一瞬の出来事だった。

 青年の前に平然と立っている、獣とも人間とも言えない“それ”が、手を振りかざした。手の中には魔力が集まり、禍々しいオーラを放つ球体が形成される。その球体を勢いよく握りつぶした直後、周囲に眩い光を放った。

 放たれた光に、青年は思わず目を瞑る。そして、目を開けた時にはこの状況だった。

 圧倒的な力を持ち、自分以外の生物を虫以下としか思っていない、残虐な行為をいとも容易く行う“それ”を人々は《魔王》と呼称している。

 魔王は喜びや快楽に浸る様子もなく、目の前で膝を着き、絶望に浸る青年を見下ろした。


「哀れだな。力がなくては守りたい者も守れず、自身の死に場所も、死に方すらも選べない」


 重く低い声が、青年の全身に降り注ぐように発せられる。

 青年は守れなかったのだ。何を犠牲にしてでも守りたかった、この世で最も大切な女性を。

 その女性は、青年に抱えられている。

 金色に輝く綺麗な髪は、血と泥にまみれ汚れている。透き通る宝石のような目も、今では輝きを失っている。


「君が………無事でよかった………」


 彼女は、自分の腹に向こう側が見える程の大きな穴が開いているというこの状況でも、血を吐きながら、青年のことを気にかけている。

 彼女はいつもそうだった。どんな状況だろうと、常に周りのことを考えていた。しかし、今だけは、自分のことを考えて欲しかった。

(頼む、もうしゃべらないでくれ。誰か、彼女を助けてくれ)

 涙を流し、助けを求める青年に、彼女は微笑んだ。


「私ね、君に感謝しなくちゃいけない………こうして、私の運命を変えてくれたこと。明日を生きる勇気をくれたこと。本当に、ありがとう………」


 彼女は、自分の終わりが近づいていることを悟り、思いを伝える。

(まだ終わらせない。まだ冒険は終わっていない。この戦いが終わったら、世界を周るんだろう?君とまだやりたいことが山ほどあるんだ。こんなところで終わらせない)

 しかし、青年の願いは、無情にも、彼女の手から力が抜けていくのと同時に儚く消えていく。

 その時、彼女の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。


「君に出会えてよかった。君との冒険は、すごく楽しかった………私は世界一の幸せ者だ………」


 彼女は、目に涙を浮かべながら続けた。これまでの思い出が、全てその涙に詰まっていた。


「最後の我儘をきいてほしい………」


(最後何て言わないでくれ。いつもみたいに、これからもっと我儘を言って僕を困らせてくれよ)


「世界を、救って………君にならきっとできる。だって君は、私を救った勇者なんだから………」


(僕は勇者なんかじゃない。一番大事なものを、結局守ることができなかったんだから。それに、世界を救っても君がいない世界を生きるのは、僕にはできない。君がいない世界なんて、救ったってなんの意味もないんだ)


「でも………やっぱり、もう少しだけ、君と………生きてみたかったな………」


 彼女は微笑んで言うと、握っていた手が力なくすり抜けていく。

 自分のことよりも、周りの幸せを願う。彼女はそんな人だった。そんな彼女が、最後に放った本心。自分の感情を殺し、周りに尽くしていた彼女が漏らした、彼女の本心。

 青年は、気が付くと叫んでいた。涙を流し、聞こえるはずのない彼女に聞こえるように叫び続けた。戻ってこい、まだ君との約束を果たしていない、と。

 伝えたいことが絶えず溢れる。しかし、青年の言葉は何一つ届くことはない。

 青年を見下ろす魔王は痺れを切らし、怒りを含んだ声で呟く。


「耳障りだ、消えよ」


 魔王は青年に指を向けると、指先に魔力を集めていく。

 数秒後、凝縮された魔力が放たれる。

 地面を震わせる程の衝撃と、爆発音が青年の周りの地面をえぐる。

(終わった。これでいい、このまま彼女の元に行けるなら、喜んで死を受け入れよう)

 青年は目を閉じて、自分の死を待った。

 しかし、魔力の球は、青年に当たることなく、眩い光の壁に阻まれる。


「しっかりしろ!」


 怒号を浴びせるのは、青年の盾となるように前に立ち、煌めく緑色の髪をなびかせる女性だった。特徴的な長い耳をした彼女は、魔法を得意とするエルフだ。どうやら彼女の魔法で助かったようだ。

 エルフは杖の先から放たれる光の壁に魔力を集中させていく。


「泣いている暇があるなら戦え!彼女のためにも!任されたのだろ?世界を救えと!」


 エルフは続けて声を荒げる。


「ならば戦うしかないんだ!君が世界を救うと信じて闘い、命を落としていった者のためにも!だからこそ、この戦いは私達の命に代えても勝たなければならないんだ!」


 エルフは魔力を一気に解き放ち、僅かなすきを作ると、杖から、魔王目掛けて光の波動を放つ。しかし、虫を払うように波動はかき消されてしまった。

(この世界は残酷だ。世界よりも大事なものを失い、生きる意味を失った僕がこうして生きている。生きるべき人が死に、死ぬべき僕が生きている。何故かを考えることも、今はどうでもいい。今はただ、彼女の最後の我儘ねがいを叶えたい。それが、僕の生きる理由だ)

 青年は、横に転がる黄金に輝く剣を拾い上げ、少女を抱えたままその場を離れ、安全な場所へと寝かせる。

 そこへ、身の丈と同じほどの大剣を持った、赤い短髪の男が歩み寄る。


「すまない………俺にもっと力があれば………」

 

 赤髪の男が青年に深く頭を下げる。

(謝らないでくれ。それは僕も同じことだ)

 青年は剣を握る拳に力を込める。


『行こう。この戦いを終わらせに』


 青年の言葉に、赤髪の男は軽く頷いた。

 二人は走り出し、魔王へと近づいていく。その後ろを、エルフが魔法で援護する。

 魔王は両手を胸の前に構えると、今までとは比にならない魔力が集まっていく。


「させるか!」


 赤紙の男は、身長より大きな大剣を一振りする。紅く燃え上がる斬撃が、魔王目掛けて真直ぐに飛んでいく。

 魔力の球体に当たると、風船が割れたように、凝縮された魔力が一気に爆発する。


「ぐッ………!」


 衝撃を間近で食らった魔王は、初めて表情を変える。間髪入れず、エルフは渾身の魔法を連続して叩き込む。白い光線が魔王へとあびせられ、爆発と光を放ち、視界を奪う。

 しかし、これほどの攻撃を仕掛けてもなお、僅かな傷すら与えることができない。


「小賢しい!!」


 魔王の怒号と共に、地面を抉るいかづちと全てを切り刻む突風が辺り一面を襲う。

 赤髪の男とエルフは、青年を前に蹴り飛ばし、青年への直撃を避ける。しかし、二人は一身に攻撃を受け、吹き飛ばされ意識を失った。

 青年は、空中で体勢を整えながら魔王まで一直線に近づき、間合いに入り込む。

 力強く握った黄金の剣は目を覆いたくなるほどに輝きだす。

 青年は、渾身の力で剣を振る。

 剣から放たれる暖かな光は、魔王を包み込み視界を奪った――

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