第18話「意外な来訪者」
その日、私は悶々とした気持ちを抱えたまま眠りに就いた。
クラヴィスという女性は、この国の神使。
そして神使とは、国王に次ぐ身分。
その神使であるクラヴィスが陛下にとって大事な方というのは、いったいどういう意味だろう。
いや、想像は付く、というよりもマティルダの物言いからその意味を察するなというほうが無理な話である。
それでも、理解したくない自分の気持ちに気付き、そのことに大いに戸惑った。
陛下に良くしてもらっているのは事実だけど、だからって昨日会ったばかりの人に恩人以上の感情を抱くものだろうか?
いや、それより何より、マティルダに邪魔されたせいで陛下に聞きたいことがあったのに聞きそびれてしまった。
私が見た十七歳の陛下とアスヴァレンのやり取りは、夢でも幻覚でもない。
今となってはそう確信している。
陛下は何か、深刻な事情を抱えていると見て間違いない。
それが何であるか、一刻も早く確かめたかったけれど、その翌日は陛下に会うことがないまま終わった。
更にその翌日も会えないまま時間が過ぎた。
思いきって侍女たちに尋ねてみたのは、午後のお茶が終わってからのことだった。
「陛下はどうしていらっしゃるの?」
私の言葉に、サーシャとマルガレータは同時に固まった。
今、私たちは自室から程近い回廊にいる。
縦に長い空間だけど、横幅も十分なゆとりがある。高い天井には、巨匠が手掛けたような絵が描かれている。
その天井に向かって等間隔に設置した柱には細かな装飾を施し、柱と柱の間には大小様々な絵画や調度品が飾ってある。
侍女たちを伴って数々の美術品を眺めながら、その由来や付随する物語について聞かせてもらっていたところだ。
「王女殿下、陛下に何かご用でしょうか?」
そう言ったのはサーシャである。
さり気なく彼女を観察したところ、今はいつも通りの平静を装っているものの、確かに一瞬動揺した。
「はい」
「私たちは、王女殿下が快適に過ごせるように尽力せよと陛下から仰せつかっておりまる。ですので、不足があれば何なりとお申し付けください」
はぐらかされた、私はそう感じた。
そういえばマルガレータが妙に静かだと気が付いて彼女を伺うと、不自然に視線を彷徨わせていた。
私と目が合うと、誤魔化すように笑って首を傾げる。
「陛下に直接会ってお話ししたいことがあるの」
「恐れ入りますが、王女殿下」
サーシャは口調こそ丁寧に、けれども有無を言わさないぴしゃりとした物言いをした。
「貴女様と陛下では、お立場が違いすぎます。貴女様は今まで深窓で過ごされたため、見聞を広めたくて陛下を頼ってこちらでお過ごしだと伺いました。そうですね、お時間を持て余していらっしゃるのでしたら、新たなことを学ぶための専門の教師を招くというのはいかがでしょう? マティルダを通して、陛下に打診致しましょう」
その淀みない言葉を聞きながら、何となくこのサーシャという侍女のことが見えて来た気がする。
要するに彼女は、私を世間知らずの姫君だと思って下に見ているのだ。
確かにこちらの世界における常識に疎いのは事実で、私の発言に対して侍女たちが怪訝な顔をすることもは何度かあった。
言外に「そんなことも知らないの?」と言いたいのだろうな、と思う。
それに、マティルダが彼女たちに何か入れ知恵したのかもしれない。
何だか酷く腹が立ってきた。
「ねぇ、サーシャ。貴女は陛下のことをどう思う?」
「え?」
この質問は意外だったか、サーシャは虚を突かれたような顔をする。
「マルガレータでも構わないわ。陛下についてどう思うかしら?」
「あ、あたしですかぁ。陛下は、あー、なんていうか」
「……素晴らしい方だと思います。人の上に立つ方に求められる素養を全て備えた、まさに名君。それでいて驕ったところがなく、私たちのような使用人や民草のことも気に掛けてくださる心優しい方です」
「そうですねぇ。すごい素敵でかっこいいし、正直憧れてます」
二人はそれぞれに陛下への評価を述べた。
その人は……貴女たちが慕う国王は今、何か深刻な事情を抱えているのだ。
そして私なら彼女たちに、いや、他の誰にもできないことができるのではないか、そんな気がするのだ。
なのに邪魔立てしようというのか。
でも、それをどう伝えたらいい?
いや、詳細を説明しなくてもいい、とにかく陛下に会わせろと駄々をこねるべきか?
「ねぇ、……」
「こちらにいらっしゃいましたか、王女殿下」
私が口を開こうとした時、突如として別の声が聞こえた。
舌打ちしたい衝動を抑えながら振り返ると、予想通りマティルダが立っていた。
とは言え、実際に彼女を前にすれば、そんなことはとてもできそうにない。
この年配の侍女には、独特の威圧感のようなものがあって、彼女と向き合うと萎縮してしまう。
有り体に言えば、私はマティルダが苦手だ。
二人の侍女は、マティルダに向き直ると丁寧なお辞儀をした。
マティルダは侍女頭で、この二人より強い立場にいるのだ。
そして、彼女たちは間違いなく私よりこの侍女頭のことを目上に見ている。
「マティルダさん。どうしたのですか」
「王女殿下、今すぐお部屋にお戻りください。貴女に来客です」
「えっ?」
そのこと言葉に、心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「やっほー」
私の部屋の、私のお気に入りの椅子に我が物顔で座ったアスヴァレンは、ひらひらと手を振った。
もう片方の手に、食べかけのクッキーを持っている。
呆気に取られて目の前の男をまじまじと見つめるけれど、当然ながら次の瞬間に陛下の姿に変わるということはない。
相変わらずボサボサの黒髪に皺だらけの白衣という格好で、椅子に座るその姿もだらしなく気怠げだ。
彼は大きく欠伸をしてから、目を細めて私を見た。
「エルじゃなくて心底がっかり、って顔だね?」
「え……」
痛いところを突かれて答えに窮してしまう。
はいそうですとはさすがに言えないけど、だからと言って心にもないことを即座にできるほど弁が立つわけでもない。
傍らのマティルダが、大きく咳払いをした。
「坊ちゃん……と、失礼致しました、陛下はご多忙な立場にあらせられます。それに、近頃はクラヴィス様のご容態も思わしくないため、お時間の許す限りはお側にいたいと思っておられるのです。私たちは、あの方のお心を尊重するべきでしょう」
遠回しに、私に会いに来る暇などないと言いたいのだろう。
マティルダの言葉、特にクラヴィスの名前に大いに心を掻き乱されながら、彼女を無視してアスヴァレンへと向き直る。
そして、男なら誰でも見惚れる綺麗な笑顔を見せた。
「アスヴァレン様、よくおいでくださいました」
「いや、そういうのいいからさ。めんどくさいし」
アスヴァレンは言葉通り、面倒臭そう首を振った。
唖然とする私を無視し、マティルダへと視線を向ける。
「エルダ、だっけ? お菓子持って来てくんないかな、いっぱいね。いーっぱい。その後はすぐに出てっておくれよ」
「既にご用意させております、アスヴァレン様。お待たせして申し訳ありません」
「いいからさっさと持って来てくんないかなぁ」
マティルダは失礼な物言いに反論することも、名前の間違いを訂正することもせず、丁寧に頭を下げたした。
その言葉の通り、すぐにティーワゴンを押したサーシャとマルガレータがやって来た。
侍女たちは手際良くお茶とお菓子を並べると、一礼して退室する。
何だか、私への態度とは違いすぎる。
私に対しての強気はどこへやら、アスヴァレンに対しては、何だかまるで……物腰こそ丁寧だけど、あまり関わりたくないような、畏怖を抱いている印象を受けた。
当のアスヴァレンは全く意に介することもなく、侍女たちが運んで来たお菓子を食べ始める。
はっきり言って、行儀も礼節もない食べ方だ。
彼はお菓子を口いっぱいに頬張りながら、呆気に取られる私を見上げた。
「そんなとこに突っ立ってないで座ったら?」
「……はい、失礼致します」
この部屋の主は私なのに、どうして彼に指示される立場になっているのだろう。
釈然としない思いを抱えながら席に着く。
失礼なことを思っている自覚はあるけれど、全身から滲み出るだらしなさ故か、この男は側に寄ると臭いそうなイメージがあった。
けれども、彼と卓を挟んだ正面に座ったところ、意外にもお風呂上がりのような石けんの香りがした。
そういえば、アスヴァレンはこの国の浴場設備の開発に大きく貢献したと、マルガレータが話していたっけ。
三徹明けのマッドサイエンティストみたいな見た目に似合わず、お風呂好きなのかもしれない。
……正直、気まずさもあるけれど、知りたいことを知るいい機会だ。
そんなことを思っていたら、相手のほうが先に口を開いた。
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